◆◆◆◆◆1話
真っ白い雪が舞い地面を白く染め、山々から徐々に緑を奪う。
その白さは山の頂上を超え、空の雲との交わりを求めるかのように勢いを増す。
やがて山々を覆い尽くした白さは流れる雲達と一年ぶりの再会を祝い、山々から聞こえる
木割れの音が、カーン、カーンと白さの中に溶け込んでいく。
葉を落とした木々は僅かな陽の光で自らを暖め、木割れして行く仲間達を無言のまま偲ぶ。
時折吹く風に乗って粉雪が舞い、僅かな陽の光を木々達から奪って消えて行く。
木々達は次第に白い衣を身に纏い、その下からカーン、カーンと自らの命が尽きる音を
ただ、ジッとして聞いていた。
そして木々の側を大地の白さに負けじとばかりに、真っ白い毛に覆われた野うさぎが忙しく駆け回り
辺りの白さに対抗するかのように茶色を身に纏った野狐が、真っ白い野うさぎの足跡を辿る。
山の麓(ふもと)を駆け回る子供達は頬を紅く染め、白さに浮き立つように赤や青や緑色の帽子を
スッポリと耳までかぶり、二股の毛糸の手袋は母親の温もりを小さな手に伝えている。
継ぎ接ぎだらけのチャンチャンコは孫を愛しむ御婆ちゃんの温もり伝え降り注ぐ白い雪を溶かし、
まん丸に膨れ上がったスボンは太陽に負けじとばかりにその丸さを見せつけ、大地との接触を
拒むように藁靴は自然の厳しさから子供達を守っている。
あちこちから聞こえる子供達の笑い声が風に乗り、山伝いに空へと届けられると嬉しそうに
山々を白い雲達が時折流れる。
はしゃぐ子供達を遠くから見守る母親だろうか、家の前の雪をかき出しながら手を休めては見守り、
大きな屋根の上で白い吐息をはきながら、下の様子と子供達の様子を見守る男達。
大地が白さで覆われる時、喜びに満ちる子供達に、ひたすら険しい顔を隠し微笑む家族達。
子供達が楽しさで汗するとき、大人たちは招かれざる客に汗を流す。
大きな屋根の軒下にぶら下がる大根は、黄色と緑色が辺りの白さを否定するように、
見る者に過ぎ去った懐かしい季節を思い出させる。
都会に流れでた若者たちが笑みを浮かべ、土産を手に手に里に戻るとき、この山間の里にも
ようやく時期外れの何かがが訪れ口々に 「ただいま!」
メリークリスマス!! と、聞こえた気がする……
◆◆◆◆◆2話
山々がスッポリと白に覆われると里へ来る唯一の道も白で塞がり、往来の妨げになる。
ただでさえ細い里への道は乗用車が一台やっと通れるほどの狭さで要所要所に待機場所がある。
道幅が解らぬほどで除雪車も滅多に入ることもなく、時折通る住人達の車と馬だけが
白い道を踏み固める厳しい冬の里。
電信柱に積もった白(ゆき)は、雪ん子たちの帽子のようにホッコラとしながら時間と共に丸みを帯びる。
白の衣を纏った電柱に綿帽子がこけでもかと聳えるころ、山の里は閉ざされ生きる物を阻む。
隣町への道のりは9キロ、道幅の解らない白の上を凍りついた茶色の四本足がザクザクと雪煙を上げ、
時折、大きな真っ白な湯気を上げる。
大地の匂いを白の上から感じ取り、休めることもなくザクッザクッと力強い四本足が突き進む。
文明を寄せ付けない大地は自然に生きる者たちにだけは少ない門戸を開いている。
四本足に続けとばかりに平べったい二本の足が、その上を滑るように流れ山から迫り出した木々から
バサッ、バサッと枝に降り積もった白が音を立てて舞うように道の白に重なり合う。
山の斜面から落ちたのだろう大きな白の塊を目の前に 「大丈夫かぁ」 と、主の一声。
無言のまま、ザクッ、ザクッと音を立て大きな湯気が天に昇っては消えていく。
一山、超えてまた一山超えると、馬はようやく隣町へとソリを運んだ……
◆◆◆◆◆3話
一面を覆う白が恨めしくなるほど何処まで進んでも変わることの無い景色。
見慣れている白が、滅多に見ぬ隣町への心細い山道を覆い隠し、獣達の足跡を道標に雪ん子は、
重たい荷物を持ち替えながら母親に言われた集落を目指す。
左手には米が一升入った袋と右手にスルメイカを30枚持ち、雪風の吹き付ける中を黙々と進む。
年の瀬、都会に出ている懐かしい顔ぶれに食べさせるために、里の小さな雪ん子は只管目的地を進む。
雪ん子を拒むように木々は、重たい雪風に押され時折バサッっと枝に蓄えた白を左に右にと落とし
吹き付ける風で、緑色した笹の葉がザワザワとざわめき、雪ん子を脅かす。
手から手袋を少しだけ外して、悴んだ手に息を吹きかけ立ち止まることなく雪ん子は足を進める。
時折立ち止まろうとするものの母親から言われた 「立ち止まるんじゃねえど」 を、思い出し前に見入る。
白で覆われた山の中には山犬(蝦夷狼)がうろつき、眠りの浅いヒグマが腹を空かして獲物を待つ。
生まれながらにして自然の中に身を置く、雪ん子たちの脳裏に焼き付けられた言葉。
「立ち止まるんじゃねえど」そして…「振り向くんじゃねえど」
雪風と山の木々と獣に脅かされながら山の道を2時間あるけば、藁半紙の欠片に書かれた集落。
「ご免ください…」 山道で疲れ果てた雪ん子の、か細い声を暖かく出迎える 「はいよぉ!」 と、主。
「遠いどこ1人で来たのか? そかそかー じゃぁこれは褒美だ♪」 と、主から雪ん子に渡されたゲンコツ。
黒い鉄で出来たストーブから見え隠れする炎と、主の笑みが雪ん子の小さな心を暖めた。
大きな四角い鉄のオバケが、横に広がった大きな口で、スルメイカを飲み込むと別の場所から音を立て
新聞紙ほどの大きさで薄くなったスルメイカを吐き出した。
雪ん子は小さな目を真ん丸くして、主の仕草に見入ると突然 「ドオォォーーン!」 と、言う大きな音。
ビックリして両耳を塞いだ雪ん子を山以上に驚かせた大砲は、次々に大きな音を鳴り響かせた。
ドオォォーーンと鳴るたびに雪ん子は店の中で飛び跳ねた。
「ほいじゃぁ、この米の2合とイカ5枚は手間代でな♪」 と、雪ん子の頭を帽子の上から撫でた主。
一升の米は八号のドンに化け、30枚のスルメイカは25枚のローラーに化けた。
山深い里で七つになった子にさせる一人旅、そして小商いの真似事は今はもう夢の中だろうか。
雪ん子は帰りの9キロの山道を、笑顔で迎えてくれる母親を頼りに只管歩き続ける……
※ドン(米を熱と圧縮で作るポップコーンの米版)
※ローラー(スルメイカを引き伸ばした食べ物)
※ゲンコツ(ドンを黒砂糖で固めた丸い菓子)
◆◆◆◆◆4話
白で覆われ閉ざされた山間の里から大人の足で三日間、後ろに背負った背負子(しょいこ)は
俄かに無臭の獣道に匂いを放つ。
向かう先での小商い、同時に我が身が生き延びさせるための貴重な食料。
凍て付く寒さの中で夜を明かし寝ずに歩き続ける獣道は時折、大きな吹き溜まりとなって進む道を掻き消す。
道を塞いだ吹き溜まりに真っ暗な中、月明かりを頼りに身の丈半分の穴を掘りそこへ「どっこいしょ」
背負子に手を伸ばし、悴む片手で背負子に積んだ大袋の太い紐を手探りで解く。
中から取り出した一本の食べかけのそれは、穴の中に里の匂いを充満させる。
「ポリッ、ポリッ」と、口で齧ると匂いに誘われたのか、何処からともなく風が巻き起こり粉雪を舞い上げた。
頬かむりの手拭いに粉雪が触るとゆっくりと凍り、頬に小さな氷柱(つらら)を作る。
「ポリッ、ポリッ」と、噛締めるようにゆっくりと頬を揺らすと「ポキッ、ポキッ」と静寂な闇の中に氷柱の音が響く。
眠ることが出来ないながらも、腹を満たし身体を休める。
薄っすらと夜が明けだした頃「よいしょっ」と心の中で自分に掛け声をかけて立ち上がる。
辺りを見回し、吹き溜まりを避けて降り積もった雪の下の獣道を見分ける。
白い衣に身を包んだ樹木達に挨拶するように凍りついた手袋でペタペタと軽く叩いて自然の道標を探す。
歩き出すこと数時間、ようやく向こう側に拓かれた集落と、その奥に白い波のうねる海が広がった。
眉毛も睫も凍り黒かったヒゲも白に変わる頃、辿りついた漁業の集落。
「かっちゃーん、こどしもまだ来たぞぉ」と、集落の民家の戸を開くと「待ってたよぉ」と、温もりが迎えた。
背負子を降ろして取り出した里の自慢の沢庵を取り出すと、さっそくオケを片手に小商い。
「アンタのとこの沢庵たら美味しいすけ毎年、楽しみなんだぁ」と、口元を緩ませる漁師の奥さん。
毎年、山越えをして里の沢庵を漁村に届け、干した魚を買い求める風習は今もマブタの奥に焼き付いている。
山越えは命がけだが、命をかける価値を里の人々は見出しているのだと思う。
◆◆◆◆◆5話
薄暗い家の中の真ん中にある囲炉裏の真ん前にある、一際大きな麻で出来た御爺ちゃんの座布団。
いつかあの囲炉裏の一等席に座ってみたいと手に棒を持って、板の間を駆ける雪ん子。
外から聞こえる吹雪の音がバンッバンッと閉め切った木戸を叩いて揺らす。
時折バタバタバタと小刻みに寒い音を家中に伝え、誰かが外にいるように雪ん子たちを騙す。
囲炉裏の横で編み物をする母親と、藁で雪ん子たちの靴を作る御婆ちゃんを見ては
「かあちゃん! 婆ちゃん! 外に誰か居るよ!」と、母親と婆ちゃんを交互に見る雪ん子。
少し離れた土間の引き戸の前で、春に備えて農具の手入れをする御爺ちゃんが…
「まんだまんだ、あっはははは♪ 騙されおってぇ~」と、雪ん子を見て微笑む。
すると外からドンドンドンドン!と、戸を叩く音がして御爺ちゃんが「おぉ、終わったようじゃの」と笑うと、
「あっははははは♪ 爺ちゃん騙されでらぁ♪」と、さっきの仕返しとばかりに笑い転げる雪ん子。
寒さで凍りつく木戸は叩いて開けるものだった……
木戸がガアァーっと音を立てると、頬かむりして顔を真っ赤にした父親が姿を現す。
「あぁ! 父ちゃだ! 爺ちゃんすげえなぁー!」と、御爺ちゃんの後ろにひっついて木戸を見詰める。
雪かきを終えた父親から沸き上がる風呂の湯気のような白い靄(もや)を雪ん子が指差した。
「あははははは♪ 父ちゃ、風呂から出たみたいだ♪ あははははは♪」と、爺ちゃんの手に頬寄せる。
そんな雪ん子を見てニンマリと口元を緩める父親が大きな藁靴を脱いで小上がりに置く。
「うんしょ! うんしょ!」と、水を含んで重たくなった藁靴を雪ん子が掛け声と共に囲炉裏のそばへ。
母親と御婆ちゃんに「腹減ったなぁ」と、父親が囲炉裏の前に座りながら声を掛けると、
笑みを浮かべた御爺さんが居間の奥から丸く硬い緑色を持って来ると、囲炉裏の網の上に並べた。
「どっこいしょ」と、一声かけて座った囲炉裏の真ん前の一等席の御爺ちゃんを見ていた雪ん子が、
「どっこいしょ」と、御爺ちゃんの真似して御爺ちゃんの胡坐の上に座った。
網の上の緑色は少しずつ焼けて香ばしい匂いを囲炉裏の前に漂わせる。
「オド! そろそろいいんでないか?」と、腹を空かせて網を見る父親。
無言のまま網の上の緑色を見詰める御爺さんが「おお、忘れておった!」と、慌てて火箸で緑を反した。
「おお、忘れておった!」と、爺ちゃんの胡坐に座る雪ん子が真似して火箸を使うフリをした。
何もない山里の一軒家の中に広がったささやかな温もりだった。
そして翌朝、早起きした雪ん子が囲炉裏の一等席の横に座って御爺ちゃんを待っている。
するとそこへ母親が静かに来て「爺ちゃんなぁ… 遠いどこさ行ったはんでぇ、こごさ座ってろ」と、母親。
雪ん子は御爺ちゃんの起きて来るのをずっと座って待っていると声がした「坊、座れてえがったなぁ♪」
と、雪ん子の前に現れた白いヒゲの御爺ちゃんは微笑んでスーッと壁の中へと消えていった。
雪ん子が一等席に座れたのは御爺ちゃんの死んだ朝のことだった。
そして雪ん子が本当の一等席とは何んだったのか知ったのはずっと後のことだった……
「どっこいしょ」
◆◆◆◆◆6話
パチパチと勢いよく燃える石炭ストーブの中を、扉に付いた火の見窓からそっと覗くと、
白樺の皮が音を立てて燃え上がっている。
雪が降る前に拾い集めて来た、白樺の剥がれ落ちた皮を、麻袋の中に入れ玄関に置いて、
降り注ぐ白(ゆき)から守っている。
焚点け用の薪は家の外、家の横側に地面から大人の身の丈ほどに積み上げられる。
「爺ちゃん、なして白樺は中で薪は外なん?」と、ストーブを覗く爺ちゃんに雪ん子が尋ねる。
火の見窓から中を見た爺ちゃんが、ストーブの横の木で出来た石炭入れから、小さなシャベルに
石炭を入れると、そっと火の見窓の付いたフタを開けて中に放り込む。
「ごおぅー!」と、勢いよく爺ちゃん目掛けて炎が飛び出すと「うわぁ!」と、雪ん子は爺ちゃんの後ろへ。
爺ちゃんは雪ん子を我が身で庇うように身体をずらす。
火の見窓の左右ある箸ほどの小さい穴から「ボッ! ボッ!」と、白い煙が出る。
まるで馬の鼻からでる荒息のように出ては消え、そして出ては消えるを何度も繰返す。
「爺ちゃん、ストーブって生きてる見たいだな!」と、爺ちゃんの影からそっと雪ん子が顔を出した。
石炭の入った箱から一杯、また一杯と、御爺さんは石炭を取ってはストーブにいれる。
ストーブから聞こえる炎の音を真似て雪ん子が「シュッシュポッポ♪」と、蒸気機関車の真似をする。
「シュッシュ♪ ポッポ♪ シュッシュポッポッ♪」両手を前に半分突き出して家中を走り回る雪ん子。
ストーブが燃え上がるとポカポカして来たのか、雪ん子は御爺さんの横で暫しの休憩。
「ホラホラ、こったらどごで寝てだら、かんぜ引くど…」と、寝入ってしまった雪ん子にチャンチャンコ。
「シュッシュポッポがぁ~」と、小声で話すと、キセルに刻み煙草を入れ火を点けた御爺さん。
キセルから出た白い煙は輪を描きストーブの中へと吸い込まれていった。
御爺さんのチャンチャンコに包まれて、眠る雪ん子は機関車に乗っている夢を見ているのだろうか……
「シュッシュポッポ」時折チャンチャンコの中で頬を揺らす雪ん子を見てニッコリした御爺さん、
外から薪を持ってきてストーブの中にポイッと入れると「ジュゥー」と、ストーブの中で音が出た。
「熱過ぎず、寒過ぎずじゃろうかのおぅ」と、雪ん子の寝顔を見てニッコリする御爺さんだった。
※石炭ストーブには空気を調節して火力を強めたり弱めたり出来るが、
外から持って来た水分を含んで凍結した薪を入れることでも速攻で強弱が出来る。
そしてストーブの中で溶けだした水分が徐々に乾き、薪に火が燃え移ることで時間の
調節もしている。
凍結した薪で火力と時間もコントロールしてしまうと言うこと。
◆◆◆◆◆7話
数日間続いた吹雪が収まる頃、家はスッポリと白で覆われ、ミシミシと薄暗い家中に冬の魔物の声が響き渡る。
早起きの得意な御爺さんが魔物の声に耳を澄まして聞き入ってアチコチを忙しく歩き回っていた。
そしてフッと見た囲炉裏を通り過ぎて土間側の障子で出来た引き戸を開けようとしたものの、軋んで一向に開かない引き戸を諦めて、またまた囲炉裏の方へやってきた御爺さん。
囲炉裏の直ぐ横にある、屋根から外へと通じる木で出来た階段を、天井から滑車を使ってスルスルッと降ろして見た。
天井の梁に手を掛けながら上ったものの、屋根に積もった雪の重みで屋根の出口が開かない。
それを見ていた二番目に早起きの雪ん子が「じーじー」と、下から声を掛けた。
御爺さんは雪ん子を上から見つめると下に降りて来て「坊ーさ頼むがなぁ!」と、7つの雪ん子の頭に手を置いた。
御爺さんは雪ん子の小さな手を優しく握ると雪ん子と一緒に土間へ降りて、雪ん子に身支度を整えた。
玄関は当然のこと降り積もった白で開くことはなかったが、御爺さんは雪ん子の腰にクルクルッと麻で出来た縄を結び付けるた。
玄関の扉の横にある縦横40センチくらいの小さな扉の前に二人並ぶと、御爺さんが雪ん子に「坊ー、ええが?」と微笑んで聞くと雪ん子が「うんっ!」と、声を張り上げた。
真横の小さな扉を手前側に引っ張ると「ドサッ」と、雪崩れ込んで来た白を掻き分けると外側に薄緑色の光が差し込んでいた。
腰縄を付けられた雪ん子が、小さな扉の前で屈むとゆっくりと四つん這いのまま落ちてくる白も何のそのとばかりに突進した。
土間で雪ん子に付けた腰縄を少しすづ緩める心配顔の御爺さんが「坊ーっ!」と、声を掛けると雪ん子がカチャカチャと音を立てて「ええよぉー!」と声をだした。
雪ん子につけた腰縄を少しずつ手繰り寄せると扉から「ばあぁー!」と、満面の笑顔を見せた雪ん子に御爺さんが御爺さんがニッコリ微笑んだ。
扉を閉めて中に入って来た白を竈(かまど)の横の水捨て場に置くと、二人は囲炉裏に薪(たきぎ)を入れて温まった。
家族が起きて来ると、雪ん子の手柄を我が手柄のように嬉しそうに微笑む、御爺さんの白いヒゲが揺れていた。
数時間後、里の有志達が来て家の玄関を開けてくれた。
雪ん子は外にあるマストのロープを引いて里の有志達に助けの旗を揚げたと言う話し。
◆◆◆◆◆8話
「よっこらせぇー! よいっこらせぇー!」と、白で覆われた里の一軒家の軒下に響く、人々の声が白い衣を纏った木々の間を駆け抜ける。
一切れのみかんを横にしたような木に、薄くて細い鉄板を釘で打ちそれを地面に置いて上から板を横に並べて打ち付ける。
家々で異なった形を持つソリは雪ん子たちの遊び道具を兼ねながら、その上に大きな樽をのせ大人たちが掛け声と共に、積もった白を入れては遠くに運び出す。
樽に白を入れる道具は木で出来ていて、塵取りのオバケのように大きくズッシリと重い、縦横40センチほどだろうか山から切り出した太さ10センチの枝を、針金でその塵取りのオバケに縛りつけて使う。
ただでさえ重たい道具だが、里に生きる人々の暮らしを支える重要な任を担っている。
そんな道具を、密かに大人たちの横で真ん丸い目をしてソリを引いて手伝う雪ん子たちが尊敬の眼差しで見守っている。
山積みになった大きな樽を載せたソリを後ろから押す、女衆と積み込んではソリについた縄を引く男衆は「よっこらせぇー!」と、力を合わせる。
白にも負けぬほどの白く透明な吐息を立てながら男も女も「よっこらせぇー!」と、掛け声と共に平らに積もった白の上に二本の細い線をうがい手行く。
ソリで運んだ白は御爺さんが藁靴を履いた足で無言で踏み固めている。
側で御爺さんに負けまいと、小さな藁靴も時折り白にズボッと嵌りながらも一緒に白い吐息を吐きだす。
足を休めることなく御爺さんが側の雪ん子に「坊ーも、早く団扇が使えるようになりゃえぇなぁ~♪」と、白いヒゲを緩ませて笑う。
時折り吹く雪風に鼻の頭を紅く染め、小さなチャンチャンコの裾を揺らしながら御爺さんに見入る雪ん子。
運ばれて来た白と真剣勝負をするがこどく、大きな団扇の枝を肩に掛けて奮闘する少し大きい雪ん子も、後ろの方で樽に白を積み込む大人たちに負けじとばかり顔を顰める。
肩に天秤棒を乗せてザルに入れた白を運ぶ御婆ちゃんが「こりゃこりゃ、まんだ早いってばー♪」と、奮闘する雪ん子に頬を緩ませる。
家の周りは、雪ん子たちの気迫に押された大人たちが白い吐息を吐くたびに地面を平らにして行くと、やがて白のしたから緑が顔を出し始める。
白の下から見え隠れする緑に円を描くように雪ん子たちが、シャガんでジーッと見入ると「じーじー! ばーば!」と、大きな声で雪ん子。
頬を伝う汗を手拭いで拭きながら、御爺さんと御婆さんが雪ん子の側へゆっくりと近づくと、雪ん子が「ほれほれー!」と、目を真ん丸くして小さな指を指す。
御爺さんと御婆さんも雪ん子たちの輪に入って、久々に見る緑に見入っていた。
何もない山の里では白の下から見える緑がなにより御馳走だったのかも知れない。
じーじー! オラもおっきくなったら団扇でいっぱい緑色出すんだ!! 緑の上に寄り添う雪ん子達だった……
※団扇(木で出来た雪かきスコップのことで15キロほどの重みで使うたびに重量は増して行く)
※里では団扇を使えることが大人の証とされ、雪ん子たちの憧れの道具の一つでもある。
◆◆◆◆◆9話
ポツポツと緩やかな傾斜地から徐々に急勾配へと続き、白を纏った木々の間を縫うようにそして笹林と消える小さな足跡。
緑色が一面の白から浮き出るように見える笹林を抜けると、小さな足跡は木々に掴まりながら歩いたのだろうか、急勾配を物ともせずにしっかりと地面を捉えていた。
よく見ると足跡の横にポツンと小さな穴が必ず付いていて小さな足跡を支えた何かの形跡だった。
時折り足跡の横に木々から落ちたであろう白がパラパラと地面の白に転げ落ちていて、
地面の白は木々から落ちた白を邪魔者扱いするように溶け込むのを拒絶している。
小さな足跡はやがて急斜面を登りきると、なだらかな場所の所々に見える笹林に立ち寄るかのごとく痕跡を消し、そしてまた別の笹林へと足跡を残して行く。
小さな足跡に寄り添うようにポツン、ポツンと地面の白に残る別の足跡も疲れて来たのか地面の白を辺りに散らす。
青い空と遠くの山々の境目が雲で覆われた頃、小さな足跡は再び何かを引き摺って白で覆われた地面に痕跡を残し時折り吹く雪風がそれを掻き消して行った。
風の吹く場所と身を潜めて休む場所を心得ている雪ん子は、自然の厳しさと暖かさの狭間で生きることを学んでいる。
ホッペを紅く染めた雪ん子が、里の家に戻ると「おんやまぁー随分と取れたごと♪」と、雪ん子の小さな手に持たれた野うさぎを見て微笑む家族達。
小さな雪ん子は、自らが仕掛けたウサギの罠を空が青々した時に一人で山へと向かう狩の名人だったようである。
雪ん子の小さな足跡の後ろから大きな足跡が付いていたが、山々が気を利かせたのか雪ん子の目にふれることは無かったようだ。
この日の夜の雪ん子は、特等席であるジージーの膝の上で愛らしい笑顔を家族に振舞っていた。
そして囲炉裏に掛けられた大きな鍋には、野菜と醤油でグツグツと煮込んだ自然の恵みと、
狩の名人の笑顔に家族は暫しの団欒を楽しんだ。
厳しい自然の中で生きる雪ん子に暖かい毛皮の首巻を作ってくれたのは、バーバだった。
◆◆◆◆◆10話
薄暗い家の中の中央にある囲炉裏でパチパチと音を響かせ炎を上げる薪。
時折り、バチンバチンと強い音を出し、辺りを景気づけながらユラユラと左右に踊る炎。
まだ小さい雪ん子が白いホッペをプルッとさせて後ずさりするものの、音が静まるとまたジーッとまん丸な瞳で炎に見入る。
赤や橙色した炎が揺らめくと、お湯の入った大きな鍋がグツグツと白い湯気を出し、側にいる御婆ちゃんに差し水を合図を送る。
薄暗い中で僅かに入った陽の光で、手元を照らしながら縫い物をする御婆さんが、立ち上がろうとすると「バーバこれ」と、小さな柄杓に入った水を雪ん子が手渡した。
御婆さんは嬉しそうに口元を緩ませ「まあまあ、いい子だごど~♪」と、雪ん子の頭を撫でると直ぐ側の母親も嬉しそうに口元を緩める。
すると土間で農具の手入れをしていた御爺さんが「どっこいしょ」と、掛け声と共に立ち上がると、曲がった腰を一度伸ばしてから、台所の横の手押し井戸から水をくみ上げる。
汲み上がった水を桶に入れ直すと、今度は父親が出て来て「ジッちゃん、オラが持ってゆぐがら」と、桶に両手を添えた。
囲炉裏の中でグツグツと白い湯気を上げる大鍋の横に、燃えた薪の破片が飛んで小さな小枝に燃え移ったのを、ジーッと小さな炎を、まん丸な瞳が見詰めている。
小さな雪ん子が囲炉裏の端っこで小さく燃える炎へと、小さな愛らしい手を伸ばすと、側の母親が慌てて止めに入ろうとした。
そんな母親を行かせまいと、片手で母親の道を塞いだ笑顔の御婆さんと、心配そうに我が子を見据える母親に御婆さんが、無言で首を左右に振った。
土間で心配そうな顔する御爺さんに、水の入った桶を持ったまま立ち尽くす父親。
雪ん子が手を伸ばして小さな炎に触れた時「あぎゃぁーー!」と、大きな泣き声を薄暗い家中に響かせた雪ん子。
顔を引き攣らせて立ち尽くす父親から水の入った桶を、取った御爺さんは雪ん子の側へ行くと「坊ー あっははは♪ 熱かったがや♪」と言って、桶を床に置くと雪ん子の手を持って自分の手と一緒に桶に浸した。
我が子の悲痛な声に驚いて涙し父親に寄り添う母親と、ニコニコと笑顔で雪ん子に語りかける御爺さん、薬箱から薬を取り出して準備する御婆さん。
雪ん子は家族に見守られながら大切な二つを学んだ。
小さな水の入った柄杓をバーバに届けた褒美に、雪ん子は炎は熱いものだと言うこと、そして水は火傷を癒してくれると言うことを、バーバから褒美として受け取った。
そして一番、より多くを学んだのは御母さんと御父さんだったのかも知れない……
その後、雪ん子は、けして手を囲炉裏の中に入れることは無かった……
◆◆◆◆◆11話
陽の光が白の水平線に隠れる頃、雪ん子たちはぞろぞろと数珠のように連なって、大きい雪ん子を先頭に徐々に後ろは小さく並ぶ。
空に浮かんだ丸い月が雪ん子達の足元を照らし、白を纏った木々が道標の任を担う。
大きい順に月明かりで出来た影が白の上に黒い柱を醸し出す。
ザクザクザクと藁の長靴の向こう側に白い煙がモクモク見え隠れすると、後ろの小さな雪ん子が「わあぁぁーい♪」と、喜びいさんで前に出る。
すると前を歩く大きめの雪ん子が「オバケが出るぞぉぅ~」と後ろから近寄る小さな雪ん子を脅かすと、慌てて元の場所へ「うわぁー!」と戻る小さな雪ん子たち。
それでも暫くすると小さな雪ん子たちは我慢出来ずに「ソロリソロリ」と、前に来ると二番目に大きい雪ん子が「うわぁ! オバケだぁ!」と、屈みながら辺りをキョロキョロして低い声を出す。
それを何度も繰返し、ようやく煙の出るところへ来ると突然「うわぁー!」と、声を上げて小さな雪ん子たちは一斉に、引き戸から明かりにしがみ付いた。
中から「あーっはははは♪ オバケは出ねがったがなぁ~♪」と、笑みを浮かべて雪ん子たちを見回しながら出て来た白いヒゲの御爺さん。
この時ばかりは小さな雪ん子たちが先頭きって、御爺さんの腰に纏わり付きながら中へと入り、おっきい雪ん子たちも嬉しそうに後ろから眺めた。
中に入って出迎えてくれたのは、低い天井から吊るされた金色の傘のランプ。
ランプは嬉しそうにハシャグ雪ん子たちを見守るように炎を揺らし、楽しげに大きな声で「オバケだどおぅ~♪」と、ハシャグ雪ん子たちに「坊ー! ちゃんとおー 肩まで浸かれよぉぅ~♪」と、薪を風呂釜に放り込む笑顔の御爺さん。
内風呂の無かった時代に、家々が共同で作り守って来た外風呂は今は遥か昔の思い出……
風呂場で聞こえた「チャポ~ン」そして「ドサッ!」と、屋根から落ちた白に雪ん子達は「わぁぁー♪ うわぁー♪」大歓声を上げていた。
◆◆◆◆◆12話
白に閉ざされた山間の里には尋ねる者もなく「ヒュゥー」と、吹き付ける風と青い空を埋め尽くす白だけが辿りつく。
木の温もりも草の香りも太陽の光でさえも遮る白は、時には大きな川をも飲み込んでしまい、そこに生きる者たちに辛く厳しい試練を幾度も与え続ける。
一度白が吹き荒れると全ての生きた証を消し去り、人々はジッと白がおさまるのを息を殺して待ち続けるしかない。
薄暗い家の中で、木枠で出来た古びたラジオからは、都会から訪れた観光客の白と戯れる歓声が聞こえ、白と向き合う里の人々の心を葛藤させる。
パチパチとラジオの音に苛立つように囲炉裏の薪たちは、激しい音を家の中に響かせている、それはまるで家の住人たちの心の中を代弁するかのごとく。
「春よ来い♪ 早く来い♪ 歩き始めた……」と、囲炉裏の前で縫い物をする御婆さんがラジオを切ると、小さな雪ん子の頭を撫でながら口ずさんだ。
すると「ドンドンドンドーン」と、家の戸を叩く音が聞こえ、御婆さんが「誰が来たかや?」と回りに問う。
「風だろう…」と、家に差し込む僅かな陽の光で、何度も読み返したであろう古い本を持つ雪ん子の父親が答える。
すると「ドンドンドンドーン」と、また戸が叩かれると、御爺さんが壁に掛かった暦(こよみ)を見てニッコリと頬を緩ませた。
それに気がついた雪ん子の御母さんが、モンペ姿で立ち上がると「坊ーも出迎えてやりゃえー♪」と、お母さんにニッコリする御爺さん。
「ドンドンドンドーン」と、再び戸が叩かれると「はーい♪ ただいまー♪」と、雪ん子を抱っこした御母さんが土間へ降りて行く。
ガラガラガラーっと開かれた引き戸の向こうに大きな荷物を背負い、頭に白を積もらせて頬かむりしたニコニコ顔の御爺さんが立っていた。
「まぁまぁまぁー♪ 遠いどこすまんこってぇー」と、雪ん子を抱いた御母さんが暫くぶりの来客に「こないだのお腹だよぉ~う♪」と、満面の笑顔で迎えた。
大きな荷物を背負った御爺さんは藁合羽を脱ぐと「はぁ~♪ 北海名物~♪ あぁこりゃこりゃ♪」と、玄関の中で突然歌い始めた。
歌い始めた来客の歌声に手拍子で聞き入る家人たちは、誰もが楽しそうに頬を緩ませていた。
来客が歌い終わると、抱っこされている雪ん子を見て「おめでとうさんです♪」と、頬かむりを緩めて顔を出した。
恵比寿様のような笑顔は、白に耐え抜いた家人たちの心を和ませ、囲炉裏の側へ来ると「坊ーにはこれとこれ」と、背負っていた大包みの中からキラキラと光る物を小さな手に渡した。
「おどー、おばーにはこれとこれだな♪」そして「旦那と奥さんにはこれとこれ♪」と、手渡された都会の匂いのする本や雑誌は、都会に働きに出ている御婆さんに二人目息子を想いださせた。
この日は来客の登場で薄暗い家の中が夜だと言うのに遅くまで明るかったようである。
来客は数日間を家人たちと過し、帰り際には雪ん子に泣かれ難儀したようだった。
人は白によって里だけでは無く、心をも閉ざされてしまう弱い生き物だが、年に二度来る来客はしっかりと家人たちの凍った心を溶かして消えた。
白で覆われた辛い里に、紙風船と笑顔を運ぶ薬売りだった……
◆◆◆◆◆13話
外から戻った雪ん子たちを、薄暗い土間の中で藁を打つ御婆さんがニッコリ頬を緩ませる。
雪ん子たちの着物の裾が白から土色に変る頃、閉ざされた窓の雪囲いを外ではずす御爺さんと雪ん子の父親の掛け声にも張りが感じられる。
薄暗かった土間から入る陽の光に、深々と頭を下げ両手を合わせて感謝する御婆さんに雪ん子が「ばーばー♪ ほれ♪」と、小さな両手に零れそうなほどの蕗の薹を見せる。
蕗の薹を御婆さんに嬉しそうに手渡すと、雪ん子は土間から上にあがり込み、外から次々に入る陽の光を追いかけるように家中を駆け回っては歓声をあげた。
屋根に降り積もった白はその量を減らし、囲炉裏の真上にも数ヶ月ぶりの陽の光が立ち込めさせると、赤かった囲炉裏の炎は恥ずかしそうに薄色に変わった。
台所からも「わあぁぁーー♪」と、喜びの声を上げて出て来た雪ん子の御母さんが「ばっちゃーん♪」と、嬉しそうに御婆さんと顔を見合わせる。
薄暗く側まで行かないと解りづらかった壁掛け時計が「ゴォ~ン♪ ゴォーン♪」と、数ヶ月ぶりの陽の光を出迎えると「いんやぁ~腹減ったー♪ あっはははは~♪」と、土間の引き戸が開いた。
ほんのりと緑と土の香りが土間に漂うと、台所の方から負けじとばかりに味噌汁の匂いが立ち込めた。
笑顔で陽の光を浴びて、囲炉裏を囲む家族たちの椀の中には蕗の薹(みどり)が浮かんでいた……
お日様に感謝しながら暮らす里の家族の心は澄んでいた……
◆◆◆◆◆14話
白が少しずつ消え地面から黒が恥ずかしげに「こんにちは♪」と、顔を出し、ポツポツと緑が山から吹く風に肌寒さを感じるように「寒いよぉぅ」と、全身をサラサラと揺らす。
降り積もった白が空に帰る準備をする時、送り出す側の黒は太陽の光を溜め込んで最初に空から降りた順番に白を透明に変える。
太陽の光が辺りをポカポカさせ心地よくさせると、焼餅を焼くように山の風が何処からか白を運んでは黒と緑に吹き付ける。
遠くの方から風に乗って聞こえる鈴の音が里の家々に遅い春を告げて回ると、水で湿った重たい引き戸が開かれる。
黒の上に丸い穴がポツポツそして後ろから、細長く平べったい物が開いた穴を隠すように里の家に向かうと、開けられた家の引き戸から次々に頬を緩ませた人々が出て来て手を振る。
「ばっちゃーん、じっちゃーん♪」と、笑顔で手を振る馬ソリの男と、時折り「ヒヒィーンブルブルブル♪」と、再会を祝う大きな身体のお馬さん。
家の前に止まった馬ソリから次々に降ろされる、味噌塩醤油の入った樽が遅い春を里に届けていた。
「次は秋口に来るからよぉぅ~」と、背を向け手を振る男と、馬の尻尾は左右に揺れていた。
◆◆◆◆◆15話
白と黒と緑の上を太陽の陽に包まれながら歩くと、降り積もった白に何千何万と言う無数の穴が深く開いている。
まるで黒から何かが白を通過して外に出て来たように、穴は真っ直ぐに天へと向かう。
耳を澄ますと聞こえる何か… 屈んで俯き耳を澄ます… 「チョロチョロチョロ…」と、何かが流れるような可愛い音色。
白を纏っていた木々はその衣を上から下へと滑らせるように脱ぎ、脱いだ木肌から小さな小さな緑が点々と見える。
アチコチから集まったであろう白は透明と言う色に我が身を変え、天に昇る準備に追われている。
里の家から続く道は、溶けかかった白の左右に緑を見せ、雪ん子が落ちぬよう風に揺れて道の端っこを知らせる。
行けども行けども続く白に開いた帯びだしい穴は、懐かしい黒の匂いと緑の匂いを道行く者にさり気無く届けていた。
「よおぅーし今日はこの辺にしとくかぁー!」と、遠くの楽しげな人の声に目を細めれば、道の向こうに数人の里人(さとびと)が手に手に持った長い竹竿。
白に苦しめられぬいた里人が、天に昇る準備に追われる白を手助けしようと笑顔で集う、お日様が心地よい一日だった。
里人が竹竿で開けた無数の穴が太陽の光を黒と緑に伝えると、少しずつ白は透明になって天に昇って行った。
「また来いよぉぅ♪」と、里人たちは天を見上げ、傍らで穴の中を覗いた雪ん子たちには何が見えたのだろうか。
◆◆◆◆◆16話
白が徐々に天に帰る頃、里の家々を馬ソリに乗った頬かむりの初老の男が呼びかけて回る。
馬に引かれるソリは白と黒と緑がアチコチに張り付いて、馬の頭にも白は積もることはない。
一軒ずつに配られた質の悪い藁半紙、太い黒字で書かれた手書きの文字に、雪ん子たちが「なんだが変った匂いするぅ~あははー♪」と、目を見開いて大喜び。
藁半紙に顔をくっつけて「あぁー! ホントだぁー!」と、次々に顔をくっつけて匂いを嗅ぐと「こりゃこりゃ♪ この子らわぁ♪」と、周りの大人たちは雪ん子を見て大笑い。
雪ん子たちの顔は、頬に額に鼻先にと真っ黒い色がつき互いに顔を見ては、腹を抱えて転げまわる雪ん子たち。
目立つようにと頭からスッポリかぶせられた真っ赤な毛糸の帽子が、まだ消えぬ白の上にポツンポツンと小さな足跡を付ける。
家を離れて10キロの山道を白い息を吐きながら、集落へと移動する雪ん子たち。
アチコチから赤や黄色や緑や青の色とりどりの帽子が集まってくると「おぉー♪ よおーぅ♪」と、少し大きめの雪ん子たちが、小さな雪ん子を風から守るように互いに手を振る。
雪ん子たちの集落への大移動は遠く離れた山からも見え、キレイに白の上に映えていた。
集落へ入ると連なる家々の軒先にチョウチンがぶら下がり、雪ん子たちに「こっちだよー♪」と、僅かな風に揺れている。
太鼓の音が「どおーん、どおーん」と、聞こえると、雪ん子たちの藁靴がまだ残る白の上を一斉に駆け出し、滑り止めの白の上に敷かれた乾し藁の上を「わあぁぁぁぁぁーーー♪」と、小さな藁靴が「それぇーー♪」と、ばかりに大童(おおわらわ)
慣れぬ暗さに小さな雪ん子の手を、しっかり持った大きめの雪ん子たちが、何やらキョロキョロ辺りを窺うと「はいよぉ! 紅ハッカはこっちだよぉー♪ 砂糖菓子はこっちだよぉぅー♪」と、威勢の良い掛け声が入り、雪ん子達は懐(ふところ)に手を忍ばせて「おら、二つ! おらは三つ!」と、興奮気味に声を放った。
藁が積み上げられた真ん前で、別の行商帽子の男が声を張り上げ「はいよぉ! 今、都会で大流行(おおはやり)! アポロチョコはこっちだよー♪」と、目の慣れた雪ん子たちに両手を大きく振って呼びかける。
別の場所では「爺さん婆さんへの御土産に干魚はこっちだよー♪」と、アチコチから威勢良く声が聞こえると「うわあぁぁぁー♪」と、大きな会館の中を雪ん子たとが駆け回る。
すると何処からか突然「さぁさぁー買い物もいいが! 今、都会じゃ知らん者がおらんと言うくらいの大人気映画が始まるよぉ♪」と、聞こえると天井や壁をキョロキョロと不思議そうな顔して辺りを見渡す雪ん子たちに「さぁさぁー 静かにムシロに腰降ろしてよぉぅ♪」と、またまた何処からとも無く声が聞こえ不思議そうな顔する雪ん子たち。
ムシロにワクワクしながら、雪ん子たちが腰を降ろすと「さあさあー♪ 本日の御題目は鞍馬天狗に月光~仮面そして! 鉄人28号だよぉー♪」と、聞こえると「わあぁぁぁぁー♪ パチパチパチパチ」と、天井が突き抜けんばかりの拍手喝采。
映画が始まると、アチコチから紅ハッカの包み紙のセロハンを開ける「ギュゥキリキリキリー」と、耳に刺さる音が聞こえ、肩耳を片手で押さえる雪ん子で溢れた。
一つ映画が終わる度に「さあさあー 紅ハッカの包み紙と交換で! 2つ目は半分の5円だよぉー♪ さあさあー 残り僅かだよぉー♪」と、威勢良く掛け声がかかる度に雪ん子たちは大童。
雪ん子たちが目をキラキラ輝かせ見入った移動映画(ばそりえいが)は、山間の里に遅い春を告げた。
帰り道は雪ん子たちの楽しげな笑い声が、山々の奥にまで響き止むことは無かった。
雪ん子たちの笑い声に頬緩ませて聞き入る、爺(おどー)ちゃんも父親(おとー)も、この日の湯飲茶碗には酒ではなく水が入っていた。
雪ん子たちの土産話と、差し出された紅ハッカに心温まる家族だった。
※ベニハッカ(赤い色した幅3センチ、長さ10センチほどの現在の10倍はあろうかと言う濃度の駄菓子で食べた雪ん子が涙することもシバシバ)
◆◆◆◆◆17話
「カーン! カーーン!」と、山々にコダマする音は流れる雲の間を擦りぬけるように、青い青い空へと吸い込まれて行く。
黒を覆った白は、緑を丸く描くように空から届けられた陽の光にキラキラと輝いては、透明と言う色に変化し天へと上って行く。
「カーン! カーーン!」と、白の上を駆け巡り、山々の奥へと木々を横切った音は頂上を目指しては消えて行く。
止まることの無い音は、澄み切った空気を流れる微風(そよかぜ)に乗り、山の向こうの里にまで届けられる。
耳を澄ますと「ホラッ」あちこちから… 「カーン! カーーンッ!」と、聞こえる音… 何処から聞こえるのだろうと手を耳に当て息を殺す。
「カーン! カーーン!」と、聞こえる方へ耳を向けると「カーン! カーーン!」と別の方からもそしてまた別の方からも。
山々にコダマする妙な音に近づくこと数分「おど(爺さん)ー! 一服すっべがのぉぅ~」と、額の汗を拭くおどーに声かけて近寄った婆ちゃん。
この日の青空は白が天に昇る時期とは言え、まだ寒さを凌がねばならない里人たちに薪割りの一時を与えたようだった。
白が姿を変えて染み込んで割られた薪から、次々に天に昇った白たちは湯気になって、オドーに空から別れを告げた。
◆◆◆◆◆18話
白と黒の上を大きな足跡と小さな足跡が並び、大きな足跡は小さな足跡に合わせるように歩幅を揃え、緑があるとさの部分だけ小さな足跡は遠回りしてまた、大きな足跡と並ぶ。
白が透明に変化し山々からそして、辺りの黒の上から「待ってくれぇー」と、ばかりに一つに交わり「サラサラサラ」と、辺りに流れる音色を響かせゆっくりと麓の方へと旅立って行く。
何処までも波打つ海原のように厚みを見せる白と、太陽の陽を浴びて緑を暖める黒の境目を、ゆっくりゆっくり辿る変化した白たち。
時折り大きな足跡は小さな足跡を黒から遠ざけ、遠くを眺めれば真っ青な空と薄青色の山々が左右を何処までもその広さを見せつける。
黒の上に付いた大きな足跡と小さな足跡を掻き消すように、姿を変えた白が追いそこに小さな流れが交わり、少し先の少し大きな流れへと白は引き込まれて行った。
大きな足跡は「ヒョィ」っと小さな足跡を固くなった白の上に、そして透明に姿を変えた白の上から木の枝で何やらなぞっていると、辺りの透明はなぞったところに「連れて行けー!」とばかりに集まり始めた。
大きな足跡は小さめの木の枝を小さい足跡に渡すと、大きい足跡の横で黒の上を「うんしょ! うんしょ!」と、なぞり始めた。
あちこちの透明な溜まり場へ大きな足跡と小さな足跡が行くと、木の枝が「スゥー」っと入って透明は導かれるように流れた。
大きな足跡と小さな足跡、そして二本の木の枝はやがて黒と緑を削り取って麓へと押し寄せる白の最後の罪を笑顔で阻んでいた。
黒と緑を愛しみ白に罪を重ねさせない里人の心根は太陽よりも暖かかも知れない。
※雪解け水が濁流になって麓の集落に流れこむのを、雪ん子に行動で教える父親の姿は今はもう遠い昔の想い出だろうか。
◆◆◆◆◆19話
白が姿を変え黒が目立ち始める頃、里人の家の中では囲炉裏の上の渡し網の上に橙色が並べられ、その横に鶯(うぐいす)色に塗れた白い四角い物が鼻チョウチンを時折り見せる。
囲炉裏を囲む家人たちは白の終わる季節を皆が、思い思いの何かを心に描き囲炉裏を見詰めては何を語る訳でもなく、ただジーッとして揺らぐ炎に見入る。
渡し網の上の橙色に切れ目が入ると「プスプス」と白い湯気が立ち上がり、ツゥーンと鼻を突く甘酸っぱさと何かが焦げたような匂いが家人たちを包み込む。
鶯色に覆われた白の四角から大きな鼻チョウチンが壊れては出て、出ては壊れるを繰返すと60センチはあろうかと言う、長い鉄の箸で「ヒョイッ!」っとひっくり返された。
囲炉裏を囲む家人たちの前には、醤油と味噌が入った木の皿に家人が作ったであろう手製の箸が添えられ「さぁ! これで終わったでゃ!」と、御婆ちゃんがが一声掛けた。
すると御爺ちゃんが「よおぅも、まぁまぁみんな頑張ったなぁ!」と、囲炉裏を囲む家人たちを確かめるように見て声を掛けると、正座していた家人たちはようやく足を崩しコンガリと焼けて香ばしい匂いを漂わせる餅に手を伸ばした。
囲炉裏の真横に爺ちゃんと婆ちゃん、向こう側には雪ん子の父親とその横に大きい年の順に雪ん子が並び、そして竈(かまど)を預かる雪ん子たちの母親が左右を仕切るように座る。
渡し網から下げられた橙色は囲炉裏を囲む一番手前側の木の縁に並べられると「いただきますっ!」と、全員が声を揃えて囲炉裏の炎に手を合わせた。
厳しい寒さから命を守って下さった火の神様への感謝の念だったようである。
餅を食べた後はコンガリと焼けた、ミカンの皮を手の上で踊らせながら剥いて「ハフハフ」しながら暖かく甘酸っぱいミカンをみんなで食べた。
橙色(みかん)は子孫が代々続きますようにとの願いが込められていたと言う。
◆◆◆◆◆20話
白が姿を変え天に昇る時、積もった白から次々に顔を出す懐かしい里の住人達。
お日様から頂いたポカポカした陽射しを受け、姿を次々透明へと変化を繰返す白の中から「ただいま♪」とばかりに小鳥達に笑顔を見せる。
頭の上に「お帰り~♪」と立ち止まって久々の再会に会話を弾ませる小鳥たちの鳴き声は、白に反射して様々な小鳥達を呼び集めていた。
姿勢は正しく天を仰ぎ、両手は水平に微動だにせず、真っ黒い口髭を白に浮きだたさせて「ここに居るよ~♪」と、そよぐ風に伝えている。
物言わぬ里の住人は昼も夜も里を見続け、里人達との再会を待ち侘びているようだ。
◆◆◆◆◆21話
北風が東の風そして北風へと交互に変る頃、麓の方から最後の活躍とばかりに黒と緑と白に塗れた馬ソリが尋ねた。
馬の鼻から出る湯気も白から透明へと変化を伴い、白が少なくなった所為か幾分、ソリ引く馬も辛そうに見える。
馬の首にぶら下げられた大きな鈴の音が里の家に届くと玄関の並び、家の端っこの大きな扉が開いて「しばらくだのぉ!」と、手をふる家人たち。
濡れた黒の上に木で出来た箱を置き、次々に家の中から箱の上に置かれる折り畳まれた物は、お日様の陽にキラキラと輝き黄金色を照り返す。
麓から来て馬ソリから降りた馬主は頬かむりではなく、首に手拭いを巻きつけ里が確実に春になっているとこを無言で表している。
馬の身体を労とうように大きな布(タオル)でゴシゴシと、汗と汚れを拭き取っては頭を撫でる馬主を心地よいとばかりに目を瞑る馬。
家の歌人達に背を向け、馬を労とう馬主の後ろから「よっこらせぇ! よっこらせぇ!」と、家人たちが忙しく何かを運んでいる。
後ろの家人たちの「よっこらせぇ!」に、合わせる様に馬主の口からも「よっこらせぇ!」と、馬主が馬の腹辺りに手を伸ばすと「お馬しゃん、ほれぇ♪」と、毛糸の帽子にチャンチャンコ姿の雪ん子が木桶を持って来て橙色を馬に与えた。
美味しそうに馬の頬も緩みを、雪ん子に何度も頭を下げ御礼をいいながら「ポリポリポリ」と橙色を食べ喜んでいる。
馬主の後ろの「よっこらせぇ!」の掛け声も止まると「馬主さん! これで全部だぁ♪」と、家人たちの声も弾み「ひぃ、ふぅ、みぃ」と、馬を拭き終えて布をソリに積み込むと家人たちの運んだ物を数え始めた。
数え終えた馬主が家人に「全部で11反だなぁ」と、手帳に筆記を始めると「いんやぁ馬主さ~ん、10反だってばよおぅ♪ あっははははぁ~♪」と、家人が照れ笑いすると馬主が「いんやぁ~ 確かに11反ある」と、もう一度数えた。
不思議そうな顔して見入る家人たちの前で馬主は「ひぃ、ふぅ、みぃ」と数え「ここのつ、とお」と、箱の上の物を数え終えると箱の上から数える指を避け、雪ん子を指差して「じゅういち!」と、声を少し大きくした。
えっ? と言う顔をする家人たちを一瞬だけ見た馬主は突然ニコニコして、雪ん子を見ると「一反は、坊ーの分だで、坊から馬さ褒美もらったでその御返しと、坊への馬っこだぁ~♪」と、雪ん子の頭を愛おしそうに撫でた。
すると家人たちは皆、馬主に「すまねえなぁ、馬主さんよぉ~」と深々と頭を下げると馬主は「おらの子供みてぇな馬っこへの心尽くしもろおうたでなぁ♪」と、嬉しそうに微笑む馬主だった。
そして家人たちの前で馬主が「どりゃどりゃ! 少し遅いが、馬(ま)さ乗せるがぁ!」と、言うと箱に積み上げられた物を馬の背中に引くと「ほうりゃ♪ 坊ー! 今年一年良い年でありますように!」と、雪ん子を抱いて馬の上に乗せると、一斉に家人たちは拍手して馬主に感謝した。
家人たちは馬ソリに厳しい冬の間に、一生懸命作った黄金色に輝く筵(ムシロ)を丁寧に積み終えると、家を後にした馬主が見えなくなるまで雪ん子を抱っこして見守っていたと言う。
※橙色(にんじん)
※黄金色(藁で編んだ縦180・横90のムシロ)
※馬(ま)に乗せる(動物の馬ではなく、お年玉の意味で馬に乗るのは身分の高い者、又は大金持ちであるから、馬に乗せる=金持ちになると言う意味)
※ムシロは里から買われ、馬主たちはそれを漁村や集落に行き毎年、交渉して売買をしている
※価格は全国ではなくその地域単位の相場で値が付けられ年号、場所にも依るが一反あたり2万円位だった
◆◆◆◆◆22話
藁葺き屋根が時折り吹く春風に「カサカサカサカ… カサッ… カサカサカサッ」と、音を立てる。
聞きなれた春を告げる藁の音とはいえ、頬を緩ませ家の前で立ち止まっては屋根を見上げる家人たち。
お日様の光を眩しそうに額に手傘を作って、白が溶け乾き始めた藁に見入っては春の訪れに感謝する家人たち。
黒の上に立って大人たちの見る方へ小さな瞳を向ける雪ん子にも「カサカサカサ… 春が来たよぉ♪」と、語りかける屋根の藁。
黒を覆うように小さな緑が、吹き付ける春風に心地よいとばかり、左右に「クスクスクスッ」と、笑うと雪ん子は緑に駆け寄り小さな手を揺れる緑に当てる。
藁葺き屋根が「カサカサカサッ」と、語れば立ち上がって屋根に近づき、緑が「クスクスクスッ」と、笑うと戻っては屈んで、緑に見入る大忙しの雪ん子だった。
◆◆◆◆◆23話
家中の囲炉裏の前に敷いている布を被せた藁で編んだムシロを、モンペ姿の御婆さんが何やら丸めている。
チャンチャンコを羽織った雪ん子が外から家中に戻ると「ばぁーばー」と、小さな手を御婆さんの肩にそっと乗せると「今なぁ~坊さ、めぇーもん(美味い物)さ作って食わせっどぉー♪」と、赤いホッペをそっと撫でた。
布をムシロから外した御婆さんは「ドッコイショ」と、一声掛けると外して丸めたムシロを「ヒョィッ」と、持ち上げ土間へと降りると「タッタタタッ」と、雪ん子も後を追いかけて来た。
土間へ降りた御婆さんが、土間で農具の手入れをしていた御爺さんに「おどぉー いいべが?」と、準備が整ったことを知らせると「おぉー 坊も一緒だったがぁ、あっははは♪」と、白いヒゲを緩ませた。
家のアチコチから集められたムシロを、玄関の横に置いてある手押し車に御婆さんが乗せると「よっこらせ~」と、御爺さんが手押し車を押し始めたる
玄関から御婆さんに手を引かれた雪ん子が、おぼつかない足取りで御爺さんの後を追うと「ばぁばー! 忘れもんだぁ~」と、雪ん子のお母さんがカマを持って駆け寄っる。
家の前の一つ目の畑の端に来た御爺さんが「どっこいしょ」と、手押し車を置くと木の切り株に腰を降ろし「おどぉ、ほりゃ♪」と、御婆さんからカマを渡された。
古く厚みの無くなったムシロをカマで半紙ほどの大きさに切って行くと、叔母さんは畑の端に古くなって活字も読めなくなった一冊の雑誌を出して「ビリビリビリッ! モヒャモヒャモヒャ!」と、裂いた紙を丸め黒の上に置くと、マッチで火をつけた。
風も無い畑の端っこで「ポッ! ポッ!」と、赤い炎と白い煙が空に舞い上がると「ほいさ♪」と、御爺さんが切り取ったムシロをそっと炎にかぶせた。
その光景に見入った雪ん子は目を細め、御婆さんの陰に「スッー」と、隠れては時折り顔を出して少しずつ火が回るムシロに見入った。
小さな焚き火は少しずつ大きくなり「ほほぉぅ♪ 燃えたのおぅ~♪」と、御爺さんが頬を緩ませると「どりゃどりゃ!」と、御婆さんは雪ん子の手を引いて、少し離れたコンモリと盛り上がった黒をを置いてあった鍬(クワ)で掘り起こした。
御婆さんが肩から掛けてあった担ぎ籠を、黒の上に置いて掘り起こすと「うわあぁ♪」と、目を輝かせて「ばぁーばー」と、雪ん子も一緒に小さな両手を穴の中に入れた。
黒に塗れた紫色を手にとって、ニッコリと微笑む雪ん子は籠の中に紫を放り投げると、嬉しそうにピョンピョンと跳ねるように籠と穴を往復した。
パチパチと音を出して勢い良く燃える焚き火の中に「ヒョイッ」と、御爺さんが紫色を放り込むと手押し車に一緒に積んで来た湿気った薪をを、焚き火の中に数本投げ入れると「じゅうぅぅー、じゅわあぁぁー!」と、勢い良く燃えている焚き火は徐々に衰えていった。
雪ん子を挟むように手を繋いだ御爺さんと御婆さんは、雪ん子の歩みに合わせ白の中に伸びる黒と緑の上を散歩して歩いた。
白で覆われていた場所から顔を出す案山子や、小さな緑が点々と顔を出した木々に白が姿を変え出来た水溜や小川へと雪ん子に話し掛けながら歩みを合わせた。
雪ん子の白いホッペが赤々に変わり始める頃「おどぉー♪ そろそろええべかねぇ~♪」と、御婆さんが御爺さんに聞くと「うんだなぁ~♪」と、返事して雪ん子のホッペを軽く撫でた御爺さん。
御爺さんと御婆さんに挟まれて、熱々のホッカホッカの紫に「ふぅ~♪ ふぅ~♪」と、笑顔を見せる雪ん子だった。
「山から貰ろた物は山に返せばぁ♪ ほりゃ♪ こんだに、うめぇもんを授けて貰えるでなぁ~♪」と、紫を頬張る雪ん子に、言い聞かせるようにムシロを少しずつ燃やす御爺さんと御婆さんだった。
そして紫も焼きあがって雪ん子も満腹とばかりに立ち上がると、残り火に小さな両手で白を掬って来ては「じゃぁぁー♪」と、楽しそうに残り火の上に投げ入れた。
白は残り火を消し黒の上へと姿を変えて流れて消えると、白い煙が天へと駆け上って行った。
◆◆◆◆◆24話
吹雪で白が吹き荒れ閉めた雨戸をガタガタと小刻みに震わせたかと思うと、突然「シーーン」と、何事も無かったように静まり返り家中を照らす裸電球がチカチカし始める。
外が静まり雪ん子がホッとしたような顔した瞬間!「ビュゥゥゥーン、ドドドドォォー! バタン! ガタガタガタ!」と、激しく家中の雨戸を吹き荒れる風に押されて白が体当たりを繰返す。
柱時計は夕方の6時を指し、何処からか入った隙間風が囲炉裏の炎を勢い良く揺らしては「スゥー」と、静まると傘の付いた裸電球まようやく落ち着きを取り戻した。
夕食(ゆうげ)時の囲炉裏の周りには、暖をとりながら食事をする家人たちに「ゴオォ~ン、ゴオォ~ン」と、6時を知らせる柱時計の音(ね)が伝わり、一瞬家人たちの視線が時計に集まった。
繰返される吹雪からの攻撃に「おっかぁー!」と、耳を塞いで立ち上がって母親の元へ走り寄る雪ん子と「ありゃありゃ♪」と、それを見て微笑む家人たち。
母親にしっかりと抱っこされた雪ん子が「もう… 終わったかや?」と、ばかりに両耳を塞いで母親を見上げる。
抱っこした雪ん子を「ギュッ」と、抱き寄せて吹雪の終わらぬことを雪ん子に知らせる母親から、雪ん子を「ヒョイッ」と、受け取って抱っこする御婆ちゃんが「あれはなぁ♪ 山の神さんたちが元気にしてるかぁって、坊ば見に来てくれてんだぁ♪ なぁーんもおっかなくねえはんでなぁ♪」と、雪ん子の両耳から手を避けて優しく語り聞かせた。
すると雪ん子がバタつく雨戸の方を指差して「ばぁーば、ばぁーば」と、目をまんまるにさせると「神さんはのぉ、開けてやんなくてもホラ、もうここさ入って来とるでなぁ♪」と、囲炉裏の揺らめく炎を指差して微笑んだ。
すると「坊もホラホラ、ちゃんと御飯(まんま)食わねば神さんに怒られてしまうはんで、まんま食え♪」と、湯飲に入った濁酒(どぶろく)を口に含む御爺さんが、囲炉裏の上の渡し網で焼いている沢庵をひっくり返した。
グツグツと囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ) に掛けられた鍋の音が吹雪の音を和らげ、中の三平汁が塩気を含んだ旨みを漂わせると「おっかぁー おら! まんま食う!」と、雪ん子が御婆ちゃんの膝の上から立ち上がると父親の横へと意気込んで移動した。
雪ん子の頭に軽く手を乗せた父親は満面の笑顔で、湯飲茶碗の濁酒をクイッと飲むと、甘しょっぱい香りを立ち上げる御爺さんの焼き沢庵を「ヒョィ」と、箸で掴んで口に運ぶと「くわぁ~坊ば見ててやられてまったでぁ♪」と、額を手の平でパチッと軽く叩いて大笑いする御爺さんだった。
今か今かと焼き上がるのを待っていた御爺さんも、雪ん子の勇ましさに見入ったお陰で、息子に焼き沢庵を取られ悔しいやら嬉しいやらで頬をあからめて大笑いしていた。
雪ん子には熱くて手に負えない三平汁も、引き戸の向こう側の土間に置いた小さなお椀を、神様がちゃんと冷やしてくれたお陰で、雪ん子には丁度いい三平汁だったようだ。
※自在鉤(じざいかぎ)は囲炉裏の中央部に天井から吊るされた鍋の火力調節のための金具
※焼き沢庵は強めの塩加減で作った沢庵を渡し網で焼いて水分を飛ばして暖かくして食べるが、焼いて寒干したものは絶品である
※三平汁と記したが強めの塩汁の中に寒干大根・長ネギ・白菜・昆布・凍り豆腐・干し魚などを入れて煮込みながら食す
◆◆◆◆◆25話
チカチカチカッと金色の傘をかぶった裸電球が突然消える… 外は白が所狭しと暴れまわる猛吹雪。
ガタガタガタと雨戸が鳴って家中に「ゴオゥゥゥー! ビュゥーン! バタン! バタバタバタッ!」と、物音を響かせる。
家中の板の間を「パタパタパタッ」と、小さな足音がすると暗闇の中で「おとぉー! おっかぁー! じぃーじ! ばぁーば!」と、慌てた雪ん子の声が辺りに走った。
猛吹雪で停電したことなど雪ん子には解るはずもなく「おとぉー! おっかぁー! じぃーじ! ばぁーば!」と、半べそのような声を響かせた。
すると暗闇の中から「坊ー! ホラホラこっちゃこー♪ 声の方へゆっくりおいで♪」と、御爺さんの声がして「おどぉー♪」と、安堵の声を発した雪ん子。
ペタペタと四つん這いになっているのか愛らしい音が板伝いに聞こえると、囲炉裏の前に座る、御爺さんの胡坐座りをする足に手を伸ばした雪ん子。
徐々に暗闇に目の慣れた雪ん子が「おどぉー♪」と、キョロキョロしながら抱っこしている後ろの御爺さんに笑みを見せた。
すると御爺さんが抱っこしている雪ん子に「坊ーも夜になったら寝るべぇ~? 今日はなぁ~ 電気休みっちゅうてなぁ、電気も寝る日なんだ、いっつも部屋の中ば明るくしてくれてるべぇ… だから疲れてしまったんだべぇ~♪」と、雪な子のホッペをそっと撫でた。
囲炉裏に小さな小枝をヒョイッと父親が、放り投げると「パチパチッ」と、音がして炎が「ユラユラ」と、舞い上がり「あはははー♪ みんな居たぁー♪」と、揺らめく炎に照らされた家族たちを見回した。
真っ暗な中、囲炉裏の炎が揺らめき、照らされた家族の顔を見て安堵の声を出す雪ん子に「昔、昔、あるところに…」と、御爺さんが雪ん子を抱っこしながら昔話を始めた。
すると「チカッ!チカチカチカッ!」と、点きそうになるものの直ぐに消えてしまった電球を見上げた御爺さんが「おっほほほ~♪ そかそか… 電気さんも、おらの話しっこ聞きたいのかぁ~♪」と、嬉しそうに雪ん子の頭を撫でた。
御爺さんが話し始めると雪ん子は「あっははははー♪ おどぉーの話しっこ面白いがらぁ♪ パチパチパチ」と、小さな手を叩いて電球を見上げた。
話に聞き入る雪ん子を揺らめく炎の向こうで、暖かい笑顔で見守る家族達は囲炉裏の炎を頼りに雪ん子を見守り、小枝が燃え尽きると、一本、また一本と囲炉裏の炎で雪ん子を照らし出していた。
コックリコックリと雪ん子が御爺さんの腕の中で眠り始めると「おどぉ…」と、母親が雪ん子をそっと受け取ると奥の間へと姿を消した。
雪ん子が寝んねして奥へ母親と入った瞬間「チカチカチカッ」と、電球は家中を灯し役目を終えたとばかりに、囲炉裏の小枝も燃え尽きた。
御爺さんが湯飲茶碗の濁酒(どぶろく)を「クイッ」と、飲み干すと「さてさてぇ… おらだちも、寝んねの時間だなぁ♪」と、御婆さんと一緒に奥へと姿を消した。
囲炉裏の前にゴロンと横になって、湯飲茶碗の濁酒を一口流し込んだ雪ん子の父親が「昔、昔あるところに…」と、呟くように口ずさんだのを裸電球は聞いていた。
◆◆◆◆◆26話
白の上を黒々と覆い尽くし、家の周りの畑と言う畑がまるで暗闇に染まるかのような光景が延々と続く。
アチコチの畑の隅では青白い煙がモクモクと空に舞い上がり、見上げれば白く大きな流れる雲ですら青白く見えるほどだ。
里人たちは手を顔を黒に染め、白の上に豆撒きでも始めるように音頭(リズム)をとりながら、畑の上に圧し掛かる白の上にサラサラと蒔いている。
時折り吹く風の方向に敏速に反応するように、身体の位置を変え微妙な手さばきで黒を袋から取っては白の上に塗して行く。
黒は里人の手から放たれると、風に乗ってスゥーッと大きく扇状に広がり数メートル先へと、タンポポの種子のように飛んでは白を覆う。
緩い傾斜地を溶ける白の上をゆっくり上れば、遥か遠くにまで視界は広がり大地を覆う白の上に黒い絨毯が何処までも続いている。
風に乗って里人の声が遠く離れた場所から飛んで来ては、まるで直ぐ側に人が居るごとくの錯覚に陥る。
目を瞑って耳を澄ませば、ヒヒイーィンと馬の声や、鶏の鳴き声が飛び交う中に、里人の楽しげな笑い声、雪ん子たちの元気な声、わっはははは♪と言う何処かの年寄りの声に包まれる一時(ひととき)。
青白い煙は、流れる空の上の雲に届けとばかりに立ち上り、お日様に背を向け輪を描く鳶(トンビ)も煙いとばかりに「ピィーヒョロヒョロヒョロ~♪」と、途中で輪を止め遠くへと逃げて行く。
そして高台から見渡せば無数に立ち上る青白い煙の中に、ポツンポツンと黒と白の混ざった煙が、青白い煙に負けるなとばかりに空に吸い込まれ溶け込んで行く。
里家から少し離れた風呂屋敷(ふろば)では、女子衆(おなごしゅう)が水を汲み上げ、手も顔も真っ黒に染め煙突掃除をして、積み上げた薪を湯沸し釜に入れ勢い良く燃やす。
燃やされた薪からは、黒と白の混ざった煙が煙突を伝って空に吸い込まれ「ボッボッボッ!」と、威勢の良い音を辺りに響かせる。
風呂屋の中の神棚には、濁酒と塩が供えられその真下には一升の濁酒(どぶろく)の入った樽と、漁村から分けて貰った干した魚が大ザルに盛られていた。
風呂屋の外では大勢の雪ん子たちが、積み上げられた薪を手に手にしっかりと持っては次々に釜場へと入って行き手も顔も真っ黒に染まった。
今日は畑で燃やした藁で出来た灰を、里人たちが豊作を祈りながら大地を覆う白を天に返す日だったようだ。
真っ黒になった男衆(おとこしゅう)を、真っ黒になった女子衆(おなごしゅう)と、真っ黒になった雪ん子たちが一年に一度真っ黒になって春を呼び込む大切な一日だったようだ。
数軒で共同で作った風呂屋(ふろば)が一段と賑わう一日でもあった。
◆◆◆◆◆27話
家の裏側を暫く歩くと、緩やかな傾斜地に葉を落とした木々が立ちこめ、その根元は丸く白を溶かし黒から様々な緑色が芽吹いている。
立ち並ぶ木々からポツンとポツンとアチコチに見える笹薮は、緑色の葉の縁(ふち)が山吹色に円を描きその根元に黒がはっきりと見える。
溶け掛かっている白と黒の厚さをみながら足の踏み場を確認するように一歩、また一歩と足を傾斜地に運べば、何処からか「カサカサッ」と、小さな音がしては静まり、そして一歩あるくと今度もまた「カサカサッ」と、音がした。
白の衣を纏っていたであろう木々の肌は水影(みずのあと)が残り、お日様の光に僅かな水がピカピカと輝きを見せている。
二本足でピョンピョン飛び跳ねたであろう野ウサギの足跡だろうか、未だ残る白の上に縦横斜めに辺りに生き物の証を見せている。
暫く昇ると30坪ほどに開けた場所があって、真ん中の笹薮から行き来をしたであろう野ウサギの足跡が無数に見えた。
屈んで足跡を見ると何度も行き来したのだろうか、しっかりと野ウサギの道は踏み固められていて人と変らぬ冬の暮らしを見せ付けていた。
何かの視線を感じてフッと進む向こう側に目をやると、立派な角を生やした4本足の山人(鹿)が数頭、丘の上からこちらをジーッと見入っている。
春が待ち遠しい気持ちは人も動物も皆同じと言うことだろうか… 山人(鹿)の春を待つ楽しげな話し声が聞こえるようだった。
◆◆◆◆◆28話
何処までも続く白の上に立って額に手を当て日傘を作り、風の吹く方向に耳を澄ませば微かに聞こえる誰かの唄い声「ヨイサノォ~マカッショォ~♪ エンヤコラマカセェ~♪」と、遥か遠くからの声の旅人に心和む一時(ひととき)。
途切れ途切れに聞こえる歌声に交じって、太鼓の音(ね)が勢い良く風の上を跳ねては消え、そして歌声がまた「コキリコのぉ~お山ぉ~担ごうとすればぁ~♪ 荷縄が切れて担がれん~♪」と、今度は別の旅人が風に乗ってやってきた。
何処かで誰かが唄を歌っているのかと目を細め、手で日傘を作っては遠くを見るものの見える物は白と灰色の山と青い空ばかりだった。
広大な海原のように緩やかな下りと上りを波のように繰返し、白に覆われた畑の中にポツンポツンと立っている、案山子も唄に耳を澄ますように立ち尽くしていた。
白く大きな雲がゆっくりと右から左へと流れると「ヨイサノォ~マカッショォ~♪ エンヤコラマカセェ~♪ コキリコのぉ~お山ぉ~担ごうとすればぁ~♪ 荷縄が切れて担がれん~♪」何処からともなく、風が耳に伝えた何処かの里人の歌声は、止むことは無かった。
山に住む天狗様が団扇(うちわ)を仰げば、見知らぬ里人の歌声を風の便りで知らせることがあると言う。
◆◆◆◆◆29話
里家の周りには殆ど白は無く、小さかった黒の上の緑も雪ん子の膝くらいまで育ち、フサフサした春の匂いを風に漂わせている。
湿気を含んだ黒は、お日様の温もりで日に日に乾き、雪ん子もヌカルことなく「パタパタパタ」と元気良く走り回っている。
白に埋もれ畑に挟まれた真っ直ぐな道の端っこには、小さかった緑が今ではフサフサと時折り吹き付ける風に大きく揺れる。
家の前では、乾いた黒の上に山吹色のムシロが敷かれ、家族たちが時折り雪ん子を確認するように、手を休めることなく種の選別をしている。
大きなザルに小さいザルと、里の命を繋ぐ種が色鮮やかに注がれると「スゥーザザザーン ザザザザスゥー」と、まるで砂浜を歩いているような錯覚を覚える。
小さな手に畑仕事で使う道具(てくわ)を持って、ホッペを小刻みに震わせて目の前の黒を「うんしょ! うんしょ!」と、耕す雪ん子を種を選別しながら口元緩めて見入る家族達。
黒に穴を掘っては埋め、埋めては別のところに穴を掘り、そして掘った箇所に小枝を立てて「ニッコリ」する雪ん子がにわかに鼻を「クンクンクン」と、何かの匂いに辺りを見回す。
手を休めて顔を上げて「クンクンクン」と何度も何かの匂いに誘われると「坊ー ホラ、こっちゃこぉー♪」と、雪ん子の後ろから優しい声。
道具を黒の上に置いて「じょっこいしょ(どっこいしょ)」と、立ち上がれば腰を「ポンポン」と、片手で叩いて誰かを真似しながら後ろを振り返ると、御爺さんが七輪の上で何やら焼いているのを見つけた。
おぼつかない足取りで御爺さんに近づけば「じぃーじ!」と、ニコっとして胡坐座りの御爺さんの懐へと飛び込んだ。
七輪の上から香ばしい匂いの元を取って「ふぅー! ふぅー!」と、御婆ちゃんがするのを見た雪ん子も一緒に「ふぅー! ふぅー!」と、息を合わせた。
御爺ちゃんに乗って御満悦な表情を見せる雪ん子は、御婆ちゃんに冷ましてもらったスルメを「めぇなぁ♪ めぇなぁー♪」と、何度も家族に伝えていた。
七輪の上から立ちこめる海の恵みに舌堤を何度も打つ雪ん子だった。
◆◆◆◆◆30話
山の麓からポツンポツンと一里ほどの間隔で、葉の落ちた木々の間から見え隠れする里家を左右に見ながら畑の間の道を1時間ほど歩くと、やがて見えて来る色鮮やかな雑貨屋の看板。
見慣れたはずの案山子の姿は何処にもなく、窮屈そうに軒を連ねる家並みは小さな都会の様相を見せ、飲料水や蚊取り線香の看板を空に高々と掲げている。
馬ソリが一台ようやく通れそうな道には大八車の車輪の跡がクッキリと見え、その周りを大勢の足跡が祭りの後のように人通りの多いことを伝えている。
外から見える雑貨屋の帳場に座る御婆さんも、妙に建物に馴染んでいて、中から漏れる真空管ラジオの音が乾いた空気を和らげている。
雑貨屋の隣は駄菓子屋が並び、同じように帳場には御婆さんが座り目を閉じて客の足音を聞いているのだろうか、時折り雪ん子たちが走ると一瞬だけ目を開き、そして閉じられていた。
色とりどりに、赤や青や黄色に緑色の御菓子だろうか、時の経過を物語るように黒々とした木目が微かに残る四角く斜めに傾げられた箱が縦横に並び、鮮やかな色の付いた袋や紙箱が賑やかさを醸し出している。
道の逆側には御日様の光に黄金色に輝き光を放つ鍋に、銀色のツバ釜が立ち並び暑いのだろうか縦横に区切られたガラスの戸が少しだけ開いていて、奥の帳場には金物屋とあって、御爺さんが座りキセルでタバコを吹かしていた。
金物屋の隣は店先に大きな文字で、味噌と書かれた樽がドッシリと正体を明かすように立っていて、その横にも醤油と言う大樽がまるで門のように店の入り口を守っていた。
集落には厳しい冬の形跡は何処にも見当たらず、白が覆っていたであろう黒の上にはビッシリと緑がフサフサと微風に揺られ、その横を「わあぁぁーー♪」と、走り回る着物に股引姿の雪ん子たちの巻き起こす風が微風で揺れる緑を逆側へと大きく揺らせた。
雪ん子たちの後を追うように足を動かせば、醤油の大樽の陰に年季の入った黒々とした木で出来たベンチが横たわり、大勢の雪ん子たちが歓声を上げ、開けられた木枠の出窓から何やら受け取っていた。
出窓の向こうには、喜ぶ雪ん子たちの顔を、嬉しそうに眺める優しい御婆さんが湯飲茶碗を、一つ、また一つと雪ん子たちに与えていた。
雪ん子たちの持つ湯飲茶碗からは、薄い白色の湯気が立ち上り「ふぅふぅーして飲むんじゃよぉ♪」と、楽しそうに微笑む御婆さんに「めえなぁ♪ めえなぁ~♪」と、雪ん子達は笑顔を御婆さんに返していた。
小さな口から一口の飲む度に「はぁー! ふうぅー!」と、雪ん子たちが口から熱さを逃がす光景は道行く者の心を癒す一時(ひととき)でもあった。
飲み終えた雪ん子たちが「婆ちゃん♪ ごっちゃーん♪」と、湯飲茶碗を次々に返すと、勢い良く手に持たれた風車をクルクル回して駆けて行った。
雪ん子たちが走り去った後、仄かに漂った甘酒の匂いが忘れられない。
◆◆◆◆◆31話
着物姿に股引(ももひき)履いて、締めて縛った帯も解け掛かりながら集落の真ん中を元気に走り回る雪ん子たち。
何やら、手に白い紙袋のような物を握り締め、立ち止まっては中に手を入れそして終わると、仲間の方へ走り去るのを繰り返している。
黒を覆った白も姿を消し、緑が今度は自分の番とばかりに黒を深く覆い隠そうとする側を「わーーーい!」と、両手を天に向けれ風車を翳して走る雪ん子たち。
家々の引き戸は少しだけ開かれ、篭った白の季節の匂いと緑の匂いを入れ替えているのだろうか。
雪ん子たちの足音が「パタパタ」と、集落に響くと春の訪れに頬を緩めた里人たちが、引き戸の陰からそっと顔を出し元気な雪ん子たちを見守っていた。
緑の横を一斉に駆け出すと、辺りには仄かに甘い緑の匂いが立ち込め、微風に乗って引き戸から家の中に程よく入っていった。
黒に埋もれるように石ころたちが顔を出す集落の道の上、雪ん子たちが一列横に並んで手に持った白い紙袋を、覗き込んでは大事に大切にと優しい目をする。
紙袋から取り出した何かを「ポン」と、小さな口に放り込めば知らずの内に笑顔になって、並んだ仲間の顔を見て「ニッコリ」と微笑んでいた。
互いが互いの顔を見てはニッコリし、何も語らずただ無言で道の上をゆっくりと歩き紅く染まったホッペを上下に揺らしていた。
歩み(あゆみ)を止めた雪ん子たちの側に近づくと、白い紙袋は「ギュッ」と、固く握り締められ何かを守るようにこちらに目を合わせてくる。
雪ん子から目を反らし見てみると、握り締められた白い紙袋には、見覚えのある四角い切手が貼られ、紙袋だと思えた物は封筒のようだった。
ふっくらと膨らんだ使用済みの切手を貼った白い封筒の中にはと考えていると「ホレ」と、目の前の雪ん子が袋から何かを取り出して差し出して来た。
差し出された小さな手の上には、黒いコーヒー色した菓子が一つ乗っていて、見入っていると「けっ(くえ)!」と、口元を緩ませた雪ん子。
雪ん子の好意に甘え、胡麻り少し大きめの数粒を口に放り込む… 深いコクのある甘さが口の中に広がって「スゥー」と、溶けて喉を滑り落ちて行った。
余りの美味しさに目を閉じていると「ほりゃ、こっちも!」と、別の雪ん子の声に目を開くと、小さな手が差し伸べられ手の上には飴玉ほどの大きさのコーヒー色が一粒。
雪ん子に軽く頭を下げるように頷きながら、口に放り込むと今度は歯応えがあるものの「サクサク」した感じの菓子で、さっきのとは一味違う触感と強みのある甘さに再び目を閉じた。
すると雪ん子が「えろごめだ!」と、小さく囁くと「わーーーー!」と、楽しげな笑い声を上げて走り去って行った。
えろごめは、白から開放された里人達が黒を喜んで迎える小さな、小さな御祭りだと聞かされた……
都会に出た人を思い出しながら、ゆっくりと少しずつ外を食べ歩く小さな祭りだった。
※えろごめ=炒り米(米粒を乾燥させて溶かした黒糖と塩などを加えて油で揚げてある、里ならでの御菓子で大きく分けて二種類、米粒のままの物と米粒を飴玉サイズに半練りさせた物がある)
※各家庭で作り方や味付けが別々で小さな集落では一粒食べただけで、何処の家の物かわかるほどに味を大切に守っているが、中には正月の餅を砕いて作る家も多かったようだ。
※都会に働きに出た家族や親戚から来た、手紙の入った封筒に菓子を入れて子供に持たせて外で食べさせる
※白い封筒は冬の雪を、黒い菓子は=大地を表し、白の中から黒が少しずつ出て来ることを意味し、家の中で食べる時は緑色の青海苔を振り掛ける場合もある
白=雪 黒=大地 緑=植物
※子供に封筒を持たせる時は、手紙を出してくれた人の話しを母親が子供に伝えてから、菓子を詰めてくれるのが慣わしであった。
◆◆◆◆◆32話
「カラカラカラ~ カランッ♪ カラカラカラカラ~ カランッ♪」と、木で出来た車輪を回して荷車を引く大きな馬がこちらに向かって来る。
白の季節にはソリを引き、黒と緑の季節には荷車を力強い足取りで引く馬の鼻息も荒いように感じる。
デコボコして黒と石が踏み固められた道は、荷車を引く馬には白の季節のソリよりも辛いように思える。
ホンの小さな石の頭に車輪をとられただけで、馬の吐息は辺りの木々を揺らす風よりも「ゴオゥーゴオゥー!」と、物凄い音を立てる。
馬が首を振って辛そうにしていると、荷車から降りた里人も荷車の後ろに回っては「はいよおぅー! はいよおぅー!」と、懸命に荷車を押す。
白が姿を消し黒を緑が覆う季節、雪ん子たちのイデタチも藁靴から草履へと変わり、毛糸の帽子も半かぶりで時折吹く微風に頭から湯気を立たせている。
小さな小川に掛けられた木と石で出来た小さな橋の手前「はいよおぅー! はいよおぅー!」の、声が辺りに響けば何処からともなく「わあぁぁぁぁーー♪」と、小さな声が集まり始め「はいよおぅー!」の声に合わせて「よいしょぉぅー♪ よいしょおぅー♪」と、雪ん子たちの掛け声が加わった。
雪ん子たちのお陰で難なく橋を渡りきった馬と荷車の後(あと)には、手に手に何かを持って満面の笑顔を浮かべる雪ん子たちが居た。
馬は荷車を引いて、荷台に乗っている馬主と大きな酒樽に気を配るようにゆっくりと木々の中へと消えて行った。
雪ん子たちは家々に帰ると、白くて甘い甘酒を家人に作ってもらい、白いホッペを紅く染めていた。
馬の引く荷車の音が聞こえると、里家の玄関は開かれ「一升おくれ♪」と、土瓶を持って荷車に駆け寄る里人に「へい! 毎度さん♪」と、言う威勢の良い掛け声が辺りの山々に溶け込んでいた。
この日、静かな里の夜は大いに賑わったようだった。
※酒の計り売り(現代の宅配のようなもの)
◆◆◆◆◆33話
家の周りは白が消え、目立っていた黒は緑に覆われサラサラと一尺ほどの身体を風に任せている。
裏に回り辺りを見回すと、数メートルほど離れた場所に白がぽつんぽつんと黒の上に残り、包囲するように五分ほどに伸びた緑が風に靡く。
山へと続く緩い傾斜地には新芽を出した木々が立ち並び、その根元を丸く円を描く形で黒に陽の光が集まっている。
サクサクと、歩む度に心地よい音を里人の耳に伝える白に過去の面影はなく、厳しい白の季節の終わりを黒と抜かることで里人に教える。
ところどころから透明に変化した白が「チョロチヨロ」と、音の無い音を辺りに伝え小鳥たちがその流れに集まって乾いた喉を潤す。
緩い傾斜地の木々を、縫うようにゆっくりとした歩調で30分ほど登る里人が突然足を止めた…「ガサッ!」と言う音に走る緊張感、そして腰にぶら下がった鉈(ナタ)に手をかけ耳を済ませて辺りを窺う。
静まりかえった木々の中、里人は息を殺しジッと様子を窺うと「バサッ!」と、更にもう一度、音のする方に身体を静かに向け目を凝らすと、ホッとした表情を浮かべ腰の鉈から手を離して歩き始めた。
辺りの白の上に残る四本足の大きな足跡を屈んで見入ると「三日くらい前だな…」と、呟きながら自らの歩みを止めた音の正体である、木々から落ちた白の塊を見て「6尺ってとごだな…」と、熊の足跡に自らの手を合わせた。
白の上に残った大きな4本足を、辺りを窺いながら15分ほど進むと、白い絨毯を真っ赤に染めて横たわる茶色に目を引かれた。
近づいて行くと10畳ほどの広さの白の上に、荒々しく食い殺された茶色の死骸と、白を一定に抉るように肉を引き摺った形跡があって、4つの足跡の真ん中に延々と続く赤の形跡。
赤に染まった茶色の前で、入念に食われ方を探る里人が「満腹だな…」と、茶色を見てホッとした表情を浮かべると、肉を引き摺って歩いた方角を額に手傘を作って目を凝らした。
白の上に残された手付かずの茶色の片足を、鉈で「ザッ!」と、切り離すと肩に掛けた縄で切り離した足を結び「よっこらせ!」と、担いで4本足からのお裾分けに口元を緩めて家路を急いだ。
この日、里人の家では久々の自然の恵みに家族全員が舌鼓を打った。
腹を空かせた熊の移動範囲と熊の食欲を調べる役目は男の役目で、調べられた情報はすぐに隣の家に伝えられ、隣は隣へと伝えることで、自然との共存を効率化していた。
※4本足=熊
※茶色=鹿
※鹿肉は臭みがあるため、一旦火で焼いた後に野菜と一緒に煮込んで食べるが、他にも様々な調理法があって酒好きが多い家では、燻製などにして土間に小刀と一緒に吊るし、食べる都度小刀で切り取って酒の肴にしている家も少なくなかった。
◆◆◆◆◆34話
すっかり白から黒、そして緑に様変わりした藁葺き屋根の家の下、木で出来た玄関の引き戸の真横に並べられた茶褐色の使い込まれたモッコ。
玄関の左側から順に、大きさが端っこへ行くほど小さくなっていて、背中に当たる部分だろうか、小さいモッコは硬さを和らげるための布きれが貼ってある。
大きなものは縦90センチに横50センチほどで、小さいモッコは縦40センチに横30センチほどと比較にならないほど、大きさにその違いが遠目にも解る。
どれも山から切り出したであろう木で出来た物で、使いこなされたように角が磨り減って丸くなっているものの、小さい物は最初から角を削り取っているのか担ぎ板が丸くなっている。
縦長の大きなモッコの担ぎ板には、大人の肩幅に合わせたような穴が4箇所開いていて、そこから荒縄が上下に、丁度背負って肩から脇腹の横を通ってモッコの中に引き込まれている。
藁葺き屋根の真ん中から、囲炉裏の焚き火の煙だろうか、白い煙が外に出ていたはずなのにモッコに見入っているうち、いの間にやら出ていないことに気付く。
玄関の引き戸が開いて中から家族が出て来ると「よおす! ほんだばもい行ぐとせすっかぁー♪」と、野良着に身を包んだ父親が大きなモッコを「ヒョイッ!」と、背負うともカマやクワの道具を母親が父親のモッコの中に放り込んだ。
次に大きなモッコを背負ったのは御爺さんだったが「ホラよ♪」と、お婆さんが掛け声と共に御爺さんのモッコへ藁で編んだ縄の束を静かに入れると「どっこいしょ!」と、次に大きなモッコを担ぎ「よいせっ♪」と、母親が昼の弁当だろうか、優しく入れた。
立ち上がった御婆さんの横の、少しだけ小さいモッコを背負うと「ホラよ!」と、父親が御茶が入っているのか、手持ちの酒樽を母親のモッコにそっと入れた。
大人たちがモッコを背負って、小さな雪ん子の周りで見守っていると「うんしょっ!」と、掛け声と共に一番小さなモッコを背負って、雪ん子が立ち上がった。
すると周りをキョロキョロした雪ん子が「おらにも! おらにもぉ! おらにもぉー!」と、自分のモッコに何か入れてと顔を顰めて両手をバタバタさせて、大人たちの足を掴んでは前後に揺すると「おっほほほー♪ 坊もなにが運ぶってかぁ~♪」と、白い髭の頬を緩める御爺さん。
雪ん子の様子を口元緩めて微笑むお婆さんが、懐からそっと出した紙袋をポンッと小さなモッコに入れると「よぉ~しっ!」と、急に口元をキリッとさせて逞しく真剣な顔をする雪ん子。
畑へと歩き始めた家族たちを見送るように、トンビが空から「ピーヒョロヒョロヒョロ~♪」と、見送っていた。
雪ん子の小さなモッコに入れられたモヤシで作った水飴は、畑仕事で疲れた雪ん子と家族を癒したそうな……
※モッコ(農作業で背中に背負って使う運搬用品で、子供から大人までの分が用意されている家が多かった)
※モヤシの水飴(子供の大好物でもあり農作業の休憩などに口に含んでは疲れを取る必需品であった)
※モッコは箱状の物が多く使われ、薪拾いなどに使う背負子(しょいこ)とは別のものである
◆◆◆◆◆35話
左右に広がる畑の真ん中、黒を両側に緑が支え「端っこはここだよぉ♪」と、ばかりに風に揺れる道しるべ。
陽の登る前に黒い人影が道を歩み、そして左右の畑へと散らばって行くと「ザク、ザクッ、ザク」と、暗闇の中に音だけがアチコチから耳に伝えられる。
立ち止まって耳を澄まし音のする方を目で追うと、ボンヤリと何か優しい炎が、一つそしてまた一つとあちらこちらの暗闇に浮かび上がる。
小さな炎に照らされた黒い人影は、右往左往する様子を遠く離れた場所に届けながら「ザクッ、ザクッ」と、黒の匂いを音に変えて漂わせている。
真っ赤に染まった御日様が、山の木々の間からボンヤリ顔を出すと「ザクッザクッ」の音は一瞬止まり「スッ」と、アチコチで炎が一つまた一つと消えて行った。
薄っすらと畑の中に動く、白い頬かむりを見つけると何やら「ホッ」と、した心地よさが我が身を包み込む。
御日様が赤から白に変わる頃、畑の真ん中の道を大小の麦藁帽子が歩調を合わせるように往来しては、左右に分かれた畑の中に散らばって行く。
白い頬かむりは動きを止めると、案山子(かかし)のように頭に麦藁帽子をかぶり一瞬、瞬きをするとさてさて何れが案山子だろうかと迷うほどそっくりだ。
畑の隅っこに広げられた山吹色のムシロの上で、白い握り飯を頬張る父親と、湯飲み茶碗を口に運ぶ御爺さんの姿、そして給仕に追われる御母さんと御婆ちゃんの姿、そして父親の使っている大きなクワに抱きついて「うんしょ! うんしょ!」と、掛け声も勇ましい雪ん子の姿が見えた。
里の朝は暗闇に包まれながら「ザクッザック」と言う音と、ユラユラと灯るランプの炎から始まり、家族の笑い声と雪ん子の「うんしょ! うんしょ!」の声がいつまでも緩い風に漂っていた。
◆◆◆◆◆36話
風向きが変わると何やら懐かしくもあり、それでいて余り関わりたくない匂いが里を覆う。
ポカポカした日差しの下で、生い茂る緑の上に腰を下ろして、風に「サラサラサラサラサラ~」と揺れる緑の音に耳を傾ける。
少し先の石と木で出来た小さな橋の下からは、風に揺れる緑とは少し違う「サラサラサラサラサラ…」と、少し強い音が風に乗って耳に伝わる。
「サラサラサラサラ… サラサラサラサラ~」と、二つの音が重なり合って耳に届けられると「プウゥ~ン」と、思わず顔を顰めてしまう匂いが風に運ばれて来る。
来た来たとばかりに、タオルで顔を覆いながら頭を低くして緑の中に顔を埋めると、タオルを伝って緑の甘い匂いが慰めてくれた。
タオルを口元に当てて立ち上がり、少しずつタオルを離しながら様子を窺う…「クンクンクン…」顔を左右に向けて「クンクンクン… はあぁ~ 消えた消えた~♪」と、胸を撫で下ろした。
道を少し歩いて小川にかかる石と木で出来た橋の上に立って、8尺ほど下を「サラサラサラサラサラ…」と、流れる小川に心を和ませる。
手摺のない6尺ほどの幅の橋の上に屈んで、流れる水に心を奪ばれると「プウゥ~ン」と、突然吹いた少し強めの風が奇襲のごとくあの匂いを漂わせ、同時に道の向うから「カラカラカラ~」と、リズムのある音が聞こえた。
音のする方へ首を捻れば、土ぼこりを上げ逞しい身体の馬がこちらへと向かって来て、慌てて橋を通り過ぎて道の端っこへと移動すると「プウゥ~ン」と言う匂いは「ブワアァ~ン」に、変わり更に馬が近づくと「ブオオオオーーン」と、激しい匂いに変わった。
目の前を大きく黒い馬が通過し、里人の乗った荷車が横切り、そして荷台には無数の木桶が積まれ「……………」息を完全に止めてやり過ごした。
馬が過ぎ去った後、辺りは元通りの緑の匂いに戻ったものの「あの里人は馬と木桶の真ん中にいて風は後ろから吹いているから…」と、里人を案じていた。
里の家々から畑の要所に運ばれる肥(じんぷん)の匂いは暫く続いたらしい……
◆◆◆◆◆37話
まだ夜も明けず暗さの残る早朝、里家の周りには白い靄(もや)が立ちこめ無風のせいか流れる気配も無い。
家の前から集落へ伸びる道に「キィィーコ… キィィーコ… ガタンガタンガタン… カタカタカタ…」と、何やら歯車の回る音が辺りに響く。
遠くからボンヤリ灯る提灯(ちょうちん)がユラユラと怪しげに揺れ、里家の方へとゆっくりと向かって来て歯車の音も近づいて来る。
揺れる提灯の中の蝋燭の炎が、左右に怪しく揺らめくと「ドスンッ! バサッ! ドスンッ! バサッ!」と、何やら低い地響きのような音を立てる。
暫く地響きのような音が続くと、再び「キィィーコ… カタカタカタ…」と、歯車の音が暗闇に溶け込みながら里家を離れて行った。
前と後ろにぶら提げられた揺らめく提灯に「種」の一文字を見た雪ん子は将来、出世すると言う言い伝えは今も残っているだろうか……
※里の家々に作物の種を運ぶ種問屋の馬の荷車は、早朝4時から5時の間の陽の当たらない時間帯に届けられるが、早起きして親の手伝いをする雪ん子は少なかった。
◆◆◆◆◆38話
朝靄(あさもや)が立ち込める里の外れ、山側にある一軒の里家の釜場(だいどころ)の辺りから「コンコンコンッ… サクサクサクッ」と、朝の食事の準備の音だろうか、外の暗闇に溶け込んでいる。
家の真後ろまで山裾が近づき、大きな木々が家を守り覆うように左右へと広がり、家の続屋の屋根は高く観音開きで人の丈の倍くらいある出入口の中から「う~もおぅ~♪ もおー♪」と、何かの鳴き声が聞こえる。
白い濃厚な靄は里家を交わすようにゆっくりと流れ、下り傾斜の道を怪しく漂い、雲の陰から顔を半分見せる月明かりが靄を光らせている。
サラサラと流れる小川の水に、寄り添うように、そして溶け込むように白い靄は無言でひたすら… ひたすら…
里家の屋根から囲炉裏のものだろうか、薄白い煙がふわぁっと昇るものの、靄の重みで天に上がることを禁じられそのまま、靄に溶け込み地面に落ちては漂い流れた。
山から滑り落ちる白い靄は止め処もなく、里家へ近づきそして交わしながら緩い傾斜の道と小川に沿うようにひたすら… ひたすら…
里家の窓が「コツコツ… ガラガラガラッ」と、開かれ雨戸が「ズッズズズズッズー」と、開かれると、暗闇の中に「パアーッ」と、広がり放たれた赤白いランプの灯り。
流れる靄に乗って漂う、味噌汁の匂いが忘れられない……
◆◆◆◆◆39話
里家の玄関から数メートル先で、持ち手が細く根元へと少しずつ太くなっていく和犂(すき)の先端の鋼の部分を、地面に引いたムシロに座ってじっくりと「シャカシャカッ」と、研いでいるのは口元を白い髭で覆われた御爺さん。
南京袋に帯を縫いつけただけの前掛けを、腰にぶら下げて胡坐して幅5センチ・長さ30センチほどの鉄の鑢(やすり)で「シャカシャカ、ギコギコ」と、音頭(リズム)を取るように慌しく研いでは「ふぅぅ~」と、吸った息を吐き出しながら、犂の枝を持って右に左にと傾け見通す。
研ぎが始まると、足に履いた草鞋(わらじ)がムシロを「ギュッ!」と、踏みしめ身体を揺すれば「シャカシャカシャカ~♪ ギィーコ、ギィーコ、ギィーコ」と、音頭を取って勢いのある音を出して鑢で鋼を研いでいる。
その様子を片時も目を離さずに「ジィィィー」と、しゃがんで見つめるのは、赤いホッペの雪ん子… 微動だにせず犂を研ぐ御爺さんを「ジィィィー」っと見つめ、ちっちゃな両手を膝の上に固定する。
研いでは白い髭を犂の枝に近づけ、真剣な眼差しで左右に頭を小さく振って見通し「ふうぅ~」と、溜めていた息を吐き出すと「坊ー♪ こっちゃこぉ♪」と、白い髭が笑みに変わった。
小さな雪ん子専用の草鞋が「ヒタヒタヒタ」と、御爺さんの方へ近づくと「ホラホラ♪ ヨイショッ♪」と、雪ん子を担いで自らの胡坐の上にチョコンッと、座らせると「坊ー♪ ええがぁー♪ ホリャホリャ♪ うんだうんだ♪ ええどぉー♪」と、雪ん子に鑢の枝を持たせ、それを支えるように御爺さんの手が雪ん子の手を覆い、犂の鋼に軽く当てて「シャカッ… シャカッ… ギィーコ、ギィーコ」と、研がせた。
雪ん子は真剣に、犂を見つめ自らも鑢の枝を「ギュッ!」と、小さな手で握り締め、御爺さんと一緒に身体を揺らしていた。
黄金色に輝くムシロの上で、銀色の鋼は少し遅い音頭で「シャカッ… シャカッ… ギィーコ、ギィーコ」と、鳴り続けた。
雪ん子は犂研ぎの音頭(リズム)を会得したようだった……
※犂(牛や馬に引かせて畑の土を掘りながら左右へと廃土する農具だが、この場合は人力で枝を肩に担いで、重たい先端部を土に挿し、足で押し込んで左右に廃土する農具)
※小さな子供たちは、研ぐことよりも研ぐ時のリズムを、知らず知らずの内に身体で覚えることから始まる。
※犂使いは重労働で男たちの仕事のように思えるが、実際には女の役割だった(男に比べ体重が軽いことから耕した土を踏み固めてしまう心配が無い)
※畑は女が耕し、種まきし育て実りを向かえるに対して、男は開墾に専念し木の根や大岩の除去と言った畑の土台形成に力を注いだ。
◆◆◆◆◆40話
「お父ちゃんのためなら~ エンヤこらあー! お母ちゃんのためなら~ エンヤこおらぁー! も一つオマケに! エンヤこらおらぁー!」
風に乗って、あちこちの山や谷にコダマして里へと伝えられる風の便り… 里人が畑の中で、ふと耕す鍬(くわ)の手を休めると「お父ちゃんのためなら~ エンヤこらあー! お母ちゃんのためなら~ エンヤこおらぁー!」と、何処からともなく大勢の弾むような歌声が聞こえた。
白で覆われていた里も緑へと変わり、畑の中の物言わぬ住人である案山子の他に「ヨイセッ! ヨイセッ!」と、鍬を振るう里人の姿。
風に乗って聞こえて来る大勢の歌声に、ついつい釣られて耕す音頭を狂わせ、いつしか「お父ちゃんのためなら~ エンヤこらあー! お母ちゃんのためなら~ エンヤこおらぁー!」に、合わせて鍬を振る里人。
そしていつしか「お父ちゃんのためなら~ エンヤこらあー! お母ちゃんのためなら~ エンヤこおらぁー!」と、口ずさみながら鍬を黒目掛けて振り下ろす里人だった。
辺りのを見渡せば、遠くの畑に居る里人までもが「お父ちゃんのためなら~ エンヤこらあー! お母ちゃんのためなら~ エンヤこおらぁー!」に合わせるように鍬を振り下ろしていた。
山々から白が溶け、勢いよく黒と石を集落に運ぶ頃、あちこちの集落から聞こえる土留め杭打ちの掛け声は、山裾に住む里人を励まし心を和ませる春の知らせだったかも知れない。
大きな丸太を三脚のように組み、上から何本もの滑車をぶらさげ、何本もの太い荒縄に括り付けられた巨大な大木の重りを、男も女も年寄りまでもが顔や手を黒に染め一斉に滑車を通した縄を綱引きのようにを引く。
三脚に吊るされた巨大な大木は、黒に突き刺した太く大きな鉛筆のような杭を「お父ちゃんのためなら~ エンヤこらあー! お母ちゃんのためなら~ エンヤこおらぁー!」と、一斉に縄は引かれ手を離すと「ドスンッ! ドスンッ!」と、大きな音を立てて杭を黒に打ち込んでいた。
六尺から八尺の杭は、掛け声とともに「ドスンッ! ドスンッ!」と、黒の中へと打ち込まれ、打ち終われば「よっしゃぁー場所替えだぁー!」と、誰かの大声。
丸太の三脚と滑車や縄は、大勢の女子衆(おなごしゅう)が運び、巨大な大木(みこし)は専用の取っ手を付けられ、男衆(おとこしゅう)が「よっこらせえぇー!」と、掛け声と共に祭りの神輿のように担がれて運ばれた。
今日も明日も何処からか里へと伝えられる歌声は、人里離れた里人たちを元気付けているのだろうか……
◆◆◆◆◆41話
薄暗い家の中ユラユラとランプの炎が辺りを照らし、囲炉裏の中でパチパチと音を立てる乾いた小枝が家中に温もりを伝える。
囲炉裏の前の茣蓙(ござ)に胡坐で座る、オドー(おじいさん)とオトー(おとうさん)は股引姿で上にチャンチャンコを羽織って、畑仕事で冷えた身体を温める。
畑仕事の帰りに採ってきた蕗の薹を、釜場(だいどころ)で湯がいて婆(ばば)が丼に入れて囲炉裏へと戻ると「ほえぇ~ いい匂いだごどぉ~♪」と、オドーがオトーの顔見ながら頬を緩ませる。
さっそく湯がいた蕗の薹を箸で摘むと、別の皿に盛られた味噌を手際よく塗り、水分の滴ったまま炎の上がる渡し網の上に「ポトッ」と、置くと「ジャァー! ジュビジュビジュビ!」と、渡し網の下に幾ばくかの水分が滴り落ちて、燃え上がる炎を打ち消す。
暫く水分が切れるのを待っていると「ほりゃほりゃほりゃ♪ さげっこでも飲んでれー♪」と、釜場から徳利と湯のみ茶碗を二つ二人に後ろから渡す婆。
徳利から注がれた白く濁った酒は「シュパシャシュパー」と、勢いよく湯飲みの中で細かい泡を出し一瞬、山のようになって少しずつ泡が消えると「チュル… チュル…」と、湯飲みから吸い上げるように飲むオドーとオトー。
渡し網の上で「ジュージュルジュルジュルー」と言う音が「チリチリチリッ」に、変わると「いい塩梅だべがのぉ~♪」と、オドーがオトーの顔を見ると「まんだだべー もう少す待ずべーオドー」と、湯飲みの酒を啜りながらオドーの顔を見入る。
オドーとオトーの二人は顔を見合わせながら、味噌蕗(みそふき)が焼けるのを、今か今かと喉を鳴らして待っていると「オドォーー♪ オトォー♪」と、足音を「ペタペタペタ」と、鳴らして二人に近づいた雪ん子。
すると渡し網を揃って見ていた二人が顔を見合わせ「見つかってしまったのおぅ~」と、切ない表情を浮かべると「これ、オラのだべ♪」と、ニコニコした雪ん子がオドーの胡坐の上に「ヨイショッ」と、越を落ち着け雪ん子を抱っこしながらオドーが「やられでまったのぉ♪」と、嬉しそうにオトーの顔を見る。
オトーは満面の笑みを浮かべるものの、何処と無く残念そうに笑い「おっかー(おかあさん)!」と、呼ぶと「ありゃありゃ♪ まんだ取られてすまったのぉ♪」と、囲炉裏の真向かいから三人を覗き込むと、持ってきた壷から白い砂糖を出して程よく焼けた味噌蕗に「パラパラ」と、振り注いだ。
味噌蕗は砂糖を塗され俄かに甘い匂いを辺りに立ち込めると「ありゃりゃりゃりゃー♪ どうやらオラ家(オラのイエ)の大黒柱様に見つかってもうたのおぅ~♪」と、口元を隠さず楽しげに笑う婆が「こんなごともあろうがとぉ、ホレ♪」と、小鍋で味噌煮込みした蕗の薹を持って来ると、渡し網の上にひとつずつ並べた。
しょげ返っていた二人の顔が満面の笑みに変わり「ありゃりゃー♪ まんず婆には感謝だべよのおぅ~♪」と、オドートオトーは顔を見合わせ大喜びした。
ほんのり苦味の利いた味噌蕗は酒の肴に、そして砂糖を少しかければ雪ん子の大好物にも早代わりを遂げ、ランプの炎も羨ましそうに炎を揺らした。
炭酸を多く含んでフルーティーな味のする濁酒(どぶろく)に、苦味のある味噌風味の蕗の薹が華を、そして雪ん子の笑顔が家人に和みを添えた。
◆◆◆◆◆42話
いつもと変わらない青々とした山々と続く空の下、里人は畑を耕し荒地を開墾し雪ん子たちは見よう見真似で、畑の隅で鍬に振り回されている。
遠くに目を向ければ澄んだ空気の向こう側に、焚き火をする里人や案山子の服を手入れする里人の姿が和やかさを醸し出している。
天を仰げばトンビが「ピーヒョロヒョロヒョロ」と、クルクルと円を描き飛んでいて時折吹く微風に焚き火の匂いが辺りに漂う。
道を真ん中にして、左右に広がる黒々とした畑の一枚一枚を、囲むように緑が境界線のごとく葉を風に靡かせている。
サラサラと道と並んで流れる小川も、深い緑に覆われてその流れを見せてはくれず、木橋の上から縦に目を向ければ微かにキラキラと光る流れと出会えた。
道に沿って暫く歩めば水汲場だろうか、緑に覆われた小川の縁(へり)に人の歩みで踏み固められた降り口が見え、そこだけ緑が薄くなっていた。
降りて見ようと近づくと「ぽちゃんっ… ぽちゃんっ…」と、何やら小さな刎ねるな音が聞こえる。
そおっーと屈んで緑の間から水辺を見れば、何やら小さな黒い大群が勢いよく水の中を右往左往しては、一箇所にジーッと止まり、止まったかと思うと一斉に何処かへ消えて行った。
暫く緑に隠れるように水辺を見れば、黒い小さな大群は個々に「ぽちゃんっ、ぽちゃんっ」と、小さな音を立てキラキラ光る水辺に波紋を広げた。
余りの可愛らしさに見とれていると、木桶を持った里人が「どっこいしょ! おお! そろそろ真子(しんこ)も来だな~♪」と、何やら嬉しそうに呟く里人。
すると「どっこいしょ!」と、掛け声かけた村人が降り口に腰を下ろし、懐から煙管(キセル)を出してキザミタバコで一服「チッブシュウゥー!」と、マッチを擦る音と一緒に「ツンッ」と、した火薬の匂いがあたりに漂った。
水辺を眺めての畑仕事の一服と言うところだろうか、白い煙は左右にユラユラと揺らめきながら「スゥー」と、透明になって消えて行った。
一服を終えた里人が木桶で水を汲み上げると「もうすこす、すたら山女魚の季節だなぁ~ まんずまんず、楽すみだな♪」と、口元を緩ませ水の入った木桶を片手に姿を消した。
どうやら小さな黒の大群は山女魚の稚魚だったようである……
◆◆◆◆◆43話
山里から少し離れ集落へ向かう… 白の季節は埋もれていて見えなかった丸い顔の背高ノッポが集落の端っこに姿を現す。
一日に朝と夕方の2本しか来ない大きな頭のボンネットバス、降りる客は行商だろうか、背中に大きな風呂敷を担いでバス停で待つ里人たちと笑みで会釈を交わす。
バス停に「ブルルルルンッ! ブルルルルルンッ!」と、大きな音を立ててバスが止まると「わあぁぁぁーー♪」と、何処からともなく大勢の着物姿の雪ん子たちが元気よく集まって来る。
大きなバスが「ブルルルルルンッ! プスプスプスッ!」と、機関(エンジン)をとめると、降り口からの行商さんを照れるように、恥かしそうに出迎える。
バスの横の雑貨屋の前の、木で出来たベンチに座る黒い軍服のような服を着た、運転士と車掌が足を組んでタバコに火を付ける… その様子を「ジィーッ」と、取り囲んでは食い入るように見入る大勢の雪ん子。
すると、雑貨屋の入り口が開き「まんずはぁ~ お前さんたちゃ、人気者だでなぁ~ わーしゃんど(子供達)がまぁまぁ、毎日集まってぇ~♪」と、嬉しそうに二人に御茶を出す御婆ちゃん。
御茶を受け取って湯飲み茶碗を傾けた運転士が「婆様の御茶っこ、まんずうめぇなぁ~♪ 身体の調子はどんだや?」などと、世間話しに華を咲かせていると、雪ん子たちが何やら不穏な動き。
雪ん子たちの動きを笑み浮かべながら見入る車掌が「まんずこごの、わーしゃんどだば、勉強好ぎだんだなあ~♪ あっはははは♪」と、バスの下に潜って遊ぶ大勢の雪ん子たちを見て微笑む車掌。
雑貨屋の御婆ちゃんと暫し世間話を楽しんだ二人が「ごっそさーん♪」と、立ち上がると雪ん子たちは一斉に「コロン、コロン」と、身体を転がしてバスのしたから出てくる。
バスの運転席に運転士が、そしてボンネットの前に車掌が立って「右よし! 左よし! 車体下よし!」と、運転士に白い手袋の手で合図すると「機関始動~!」と、窓から顔出した運転士が車掌に号令(あいず)を掛けた。
それを車掌を取り囲むように扇状の雪ん子たちが「みぎよす! ひんだりぃよす! しゃたいすたぁよす!」と、全員が真剣な顔して真似をし出した。
するとボンネットのバンパーに取り付けられている、取っ手の付いた丸いパイプを取り出した車掌が「機関始動始めます!」と、バンパー下の穴にパイプを差込「よっせえぇー!」と掛け声を掛けると「カランッ、カランッ、カラカラカラカラ、ドドドドドドォーン!!」と、轟音を響かせバスの機関をかけた。
これを見ていた雪ん子たちは車掌の周りで「よいっせぇー!!」 と、車掌を真似して金具をクルクルと回す仕草をしていた。
機関が掛かると直立した車掌がバスをグルリと一回りし、車体の下を確認すると「発車オーライ!」と、大きな扉を開けて半身外へ乗り出して、雑貨屋の御婆ちゃんや雪ん子たちに敬礼した。
雪ん子たちは息を呑んで車掌の動きに見入っていて、誰一人として真似するものなくバスは轟音を響かせ走り去って行った。
そしてバスが見えなくなるまで、名残惜しそうに雪ん子たちはジッとして動くことなく見送っていた。
バスの運転士と車掌は集落で暮らす雪ん子たちのヒーローだったようだ……
◆◆◆◆◆44話
ゴツゴツした石が埋まって踏み固められた狭い道路を、両端から支えるように草木が覆い険しい峠を幾つも越えれば、やがて切り開いたように真っ青な海がバスの窓へと迫って来る。
山里の集落から数時間、急なカーブに上り坂を真っ黒い煙を吐いて進むボンネットバスは、白波を切って進む船のように大きなタイヤから土ぼこりを両側に巻き上げる。
道路の両端の草木は土ぼこりをかぶり、白の季節のように緑色から土色へと変化させ、巻き上がる土ぼこりを迷惑そうにカラスが横切る。
ガタガタと揺れるバスの中には乗客も疎らで、行商帰りの浜人(はまんど)だろうか、聞き慣れぬ言葉を交わしていた。
道路は下りだけになり、バスの吐く真っ黒な煙も穏やかになったように感じ、浜人の話に耳を傾けるものの何を話しているのか言葉が解からず、笑い声だけが車内に流れた。
クネクネと蛇のように下って山をおりたバスは、両側に開けた真ん中の道路を真っ直ぐに、青々とした大きな海へと直進した。
雲一つない空の下で真っ青な海は、お日様の陽射しにキラキラと反射して宝石のごとくバスを出迎えてくれた。
何処までも続く真っ直ぐな道は、広大な海に突入するかごとくにバスが直走る(ひたはしる)と、やがてバスは海直前の三差路へ差し掛かり、左に曲がった瞬間「ぱあぁ~」と、車窓へと磯の香りが浜風に乗って流れ込んできた。
右側の車窓から車内に流れ込んだ海の香りは、里の乗客たちの目を輝かせた……
◆◆◆◆◆45話
キラキラと宝石のように光る砂浜の、波打ち際に寄せ返す白い波と、無造作に配置された黒々とした大小の岩。
浜から吹く風に乗って自由に飛び交う白いカモメと、それを珍しそうに目で追う里人。
赤錆だらけの鉄で出来た船着場目掛けて、人が何十人も乗れそうな大きな船が「モクモク」と、真っ黒い煙を天に昇らせ「ドンドンドンドン」と、機関車のような音を轟かせ向かって来る。
そして船を追うように白いカモメの群れが上へ下へと勢いよく飛び回り、船着場の上には到着を待つ浜人(はまんど)達が準備に追われる。
靴とズボンが繋がった黒い胴付き(どうづき)を履いて、肩から太い紐でバッテン字に胴付きを吊るす。
頭に白い捻り鉢巻をする浜人、頬かむりをして顔を覆う浜人、手拭で口元だけを後ろで縛る浜人と役割分担の違いだろうか。
船の音が「ドンドンドンドン」と、船着場の真横辺りで突然「ドドドドドドーーーン!」と、煙突から黒煙が激しく天に向けられると、大きな船の後ろから真っ白い泡と渦巻きが巻き起こった。
後ろに付いて飛んでいた白いカモメ(ゴメ)達は、轟音と渦巻く泡に驚いて一斉に逃げ惑い、機関の止まった船の上を鳴き声を上げながら右往左往を繰り返す。
船から投げられた太い縄を「よいせ! よいせ!」と、掛け声を重ねるように大勢の浜人たちが引くと、大きな船は「ユラユラ」と、左右に揺れながら船着場に引き寄せられた。
船から次々に陸揚げされる銀色に輝く木箱が「ガタンッ! バタンッ!」と、辺りに音を響かせ、大勢の浜人たちが木箱を手押し車に積み込んでは「よっしゃあぁー!」と、威勢よく掛け声と共に慌しく大きな屋根の建物を目指す。
船着場(おか)に上がった浜人たちは次々に白い歯を見せ、安堵の表情を浮かべてはタバコに火を付けた。
腕組みし楽しげに語らい笑みを見せる浜人達の頭上には大漁旗(だいりょうばた)が風に靡いていた。
※浜では大漁(たいりょう)ではなく大漁(だいりょう)と呼ぶ。
※カモメはゴメ(地方によって異なる)
※当時のエンジンは焼き玉と呼ばれ燃料は重油で激しい黒煙が伴う
◆◆◆◆◆46話
薄っすらと月を覆う怪しげな白い雲… 浜から吹き寄せる潮風と「すうぅぅーざざざーざぶうぅーん」と言う波の音が静まり返った暗闇に響き渡る。
月を覆った雲は立ち去ることをせず、月の灯りを遮るかのごとく只管… 只管…
浜から吹く風を避けるための冬囲いの天辺、藁の先っぽが「サラサラ」と、微風に揺られ浜から聞こえる波の音に重なる。
何処からか犬の「ワンワン…」と、言う小さな鳴き声が聞こえ、遠くに見える船着場の先端にぶら下げられたランプの炎が怪しく揺れる。
浜風避けのため集落の家々は屋根が低く、個々に風除けの囲いを持ち木で出来たドアが設けられている。
そんなドアが「ギィッ! ギギギィッ! ギィッ!」と、暗闇の中に嫌な音を響かせると「ホワァーン」と、小さな灯りが見え外へとゆっくりと「ザッ… ザッ… ザッ」と、音を出して移動する。
ユラユラと揺らめく小さな灯りが、右に左に移動し立ち止まったかと思うと突然「ザザザザッ」と、激しい音を立て移動し灯りが「スッ」と消えるように更に小さくなると「ピタッ」と、動かなくなる。
「すうぅぅーざざざーざぶうぅーん」と、繰り返される波の音と「ワワワワワワンッ! ワンワンワン!」と、闇の中を伝わる犬の吠える声の中、小さな灯りはゆっくりと囲いから動いては止まりを繰り返して離れた。
一つの小さな灯りは、いつしか家とは間逆の暗闇の中に「ギィッ! ギギギィッ! ギィッ!」と消えた瞬間「うわあぁぁー!」と、けたたましい声を闇に吸い込ませた。
東から上ったお日様が浜の集落を照らし始めた頃「おらくれぇになるどよおぅ~ 一人でいぐのなんかあだリまえだべやぁ~♪」と、何やら少し大きめの雪ん子が楽しげに語るのが聞こえた。
ゴム長靴に長袖シャツの雪ん子は、自分よりも小さい雪ん子を集め、海を見下ろす神社の階段で「すごいなぁー♪」と、自らを囲む雪ん子たちから尊敬の眼差しを受けた。
階段に腰を下ろして得意げな顔して見せた雪ん子に「おっかねくなかったかぁー?」と、小さな雪ん子が真剣な顔して迫ると「なんも♪ なんも♪ おらぁー何ともねがった♪」と、余裕綽綽の顔する雪ん子。
雪ん子の話を聞いた少し大きめの雪ん子が「おおー! お前も一人で便所さ行げるようになったんか!」と、褒め称えては笑みを浮かべた。
この日の集落の学校では、雪ん子の武勇伝が直ぐに広まり話題も尽きることは無かったようだ……
※浜の集落では山里とは違いトイレは家の中ではなく、10メートル以上離れた共同トイレを使っていた。
※10軒又は5軒で一つの割合で作られた共同トイレは灯りも無く、付近に街灯もなく、トイレに行く者は皆、手製の灯り持参でいくしかなかった。
※手製の灯り(缶詰の空き缶の中に細工をして小さな蝋燭を立てられるよう工夫し、缶に穴を開け針金を通して取っ手にして使う)
※家々は全てが人の高さの倍ほどの囲いを持ち、深夜の暗闇ではトイレは完全に孤立してしまうから、子供達の恐怖の場所として有名で、深夜のトイレに行き来した子供は勇者の扱いを周囲から受ける。
想像してみて下さい… 深夜2時、真っ暗で家から離れたトイレに行くことを……
◆◆◆◆◆47話
浜の集落もまた山里同様に陽が上る前に動き出す… 真っ暗で鶏でさえまだ眠っているだろう時間に、集落から船着場へとアチコチから集まるように灯りがユラユラと移動する。
船着場の先端部分に吊るされたランプの周りに、集落から集まった小さな灯りが一つに纏まると突然その横で「ボウッ! ボボボオォー!」と、勢い良く真っ赤な炎が煌々と燃え上がった。
大きな鉄で出来た四角い箱に、山から切り出した薪を入れ、その上から重油を落とすと辺りの小さな灯りを飲み込んで右往左往する浜人たちを照らしだす。
船着場のランプや浜人たちの提灯の灯りは落とされ、船着場と大きな屋根の倉庫の間を大勢の浜人たちが忙しそうに行き来する。
「ドンッ! ドドドドドドーーーン! ガシャガシャガシャ!」と、静かな港に突然の雷(いかずち)のような轟音が鳴り響くと、アチコチの船着場からも一斉に「ドドドドドーーーン!」と、轟音が鳴り響いた。
港の中は、けたたましい程の轟音が鳴り響き、その音は集落の家々にも伝えられ、家々の中では女子衆(おなごしゅう)たちが神棚に合掌して家族の無事を祈願する。
船着場の焚き火の炎が弱火になる頃、港で轟音を発する船たちが一斉に「パァー!」と、マストに灯りを灯すと港の中は昼間りごとく黒々とした海面をキラキラと揺らした。
一艘、また一艘と港から出航する船は、波を切り裂き黒とも白ともつかない波を左右に広げ、それを追うように一斉に轟音とともに港を賑わした。
集落の家々の神棚には灯明が灯され、女子衆たちは灯明が消えるまで合掌の姿勢を崩さず祈願を続けた。
浜の朝は、勇ましい船の轟音と神棚への厳かな祈願から始まる。
◆◆◆◆◆48話
真っ暗な海を、赤々と照らす魚火(いざりび)が黒々とした水面を煌々と照らし出すと「よいせぇー! よいせぇー!」と、浜人(はまんど)達の荒々しい掛け声が浜風に乗って集落へと伝えられる。
浜辺から数十メートル沖合いにある黒々とした岩場の手前に、大きな碇を沈め親船を固定し、岩場側に大人10人ほど乗れる子船を浮かべ、船と船とを向かい合わせる。
大きい船の上では浜人たちが身を乗り出して、小船との間に船の何倍もあろうかと言う網を敷いて「よいせぇ! よいせぇー!」と、引く網に力を伝える。
親船の甲板では鉄で出来た大きな箱の下に馬を咬ませ、次々に箱の中に乾燥させた薪をくべては「バチバチッ!」と、舞う火の粉を避けるように浜人は海から汲み上げた水を頭から「ザブンッ!」と、かぶっては「そりゃぁ! そりゃぁ!」と、次々に薪をくべていく。
子船と親船の間が少しずつ詰まってくると「バシャバシャバシャッ!」と、光り輝く物が網の上を激しく踊り、タモで掬い上げられた物は親船の上の甲板で「ビシャビシャビシャッ!」と、踊りを見せた。
親船の上で燃やされる魚火が少し弱まったころ、浜の集落から一斉に提灯がアチコチから集まっては港の大きな屋根の下に集まった。
小船を残した親船が「ドドドドドーーーン!」と、機関音を轟かせ、マストに大漁旗を掲げて戻ると船着場からは一斉に「パチパチパチ!」と、拍手が親船に向けられた。
夏の少し手前の槍イカ漁は始まったばかりだった。
※子船(一般的に小船と言うが、浜人たちは親船と子船と呼んでいて、場合によっては孫船も使うことがあった)
※馬(鉄の箱の下の馬とは三脚又は四脚のことを言う)
※槍イカ漁(大きな船を重し代わりにして小回りの利く小さい船で網を使って、イカを救い上げる漁法の一つ)
◆◆◆◆◆49話
ぼんやりと薄暗かった浜の集落に朝日が当たり始める頃、港の左右に広がる黒々とした岩肌の隙間から引っ掛け棒と称する竿を持ち、一人、また一人と片手にタモ(アミ)を持った浜子(はまご)達が現れた。
サンダル履、半ズボンに半袖という軽装で、岩肌を撥ねるに「ピョンピョン」と、岩肌を捉え港の船着場の裏側へと移動していた。
船着場の裏には太い縄綱が一本下げられているだけで、他には昇降具は何もなく一人の浜子が「ピョン」と綱を掴むと「スルスルスルッ」と、目にも留まらぬ速さで高さ10メートルはあろうかと言う略、直角の岩肌を登った。
上にたどり着いた浜子が、綱に結んだ引っ掛け棒と何か黒い物が入ったタモを上へ引き上げると「ペタペタペタ」と、サンダルを音立たせて家路を急いだ。
同じ頃、山の中の段々畑から竹籠を持った浜子が、お天道様の位置を確認するように見上げると草木に覆われた細い山道へと姿を消した。
浜子たちが家路につくと同時に、集落には海の向こうから「ドコドコドコドコ」と、澄んだ海の上の空気を這うよに、寄港する船の音がアチコチから伝えられた。
お日様に照らされた集落が眩しく見える頃、浜人の家々では「コンコンコン」と、漬物を切る音や「サクサク」と、何かを切る音がアチコチから聞こえて来る。
沖から聞こえる船の音が少しずつ近づくと、集落の家々からは浜子たちがモッコを個々に背負って、船着場へと急ぐ姿が見られ、それを追うように年老いた浜人たちが手押し車を押しては時折、立ち止まっては手傘を額に当て船の沈み具合を見て「ほほー、今朝は少す入ってらな~♪」と、口元を緩める。
船着場に「ドドドドドーーーン!」と、激しい機関音を鳴り響かせ、真っ黒い煙を煙突から天に立ち上げると、船は徐々に船着場に近づき船から投げられた艫綱(ともづな)を「よいしょっ! よいせ!」と、浜子たちが綱引きのごとく引き寄せると船の横に吊るされた古タイヤが「ギュッ! ギュギュギュー! キュッキュッ!」と、船と船着場に挟まれ唸り声を上げる。
船の頭と後ろを艫綱でしっかりと結んだ浜子たちは、船へとモッコを担いだまま乗り込むと「ヨイッセ! ヨッコラーセッ!」と、浜人から船の生簀(イケス)の魚をモッコで受け取り、そのまま「ピョン!」と、船から船着場へ重たくなったモッコを担いで飛ぶと「ペタペタペタペタ!」と、港にサンダルの音を響かせて大きな屋根の倉庫を目指した。
大勢の浜子たちが行き来を繰り返す中で、手押し車の老人が船の真横に止まると「ほおぉーらあぁーよーっと!」と、船から浜人たち数人で持ち上げたマグロを手押し車にそっとおろし「どんだー♪ おどぉー♪ 今朝のマゴロ(まぐろ)中々いいべぇー♪」と、老人に嬉しそうに語りかけると「ほんだのおぅー♪ まんず、おめえらも一人前になったもんだのおぅー♪」と、ニコニコと白ヒゲの頬を緩ませ、大人の浜人たちを子供扱いする老人。
慌しいかった港が静まりかえると集落の家では「おぉー♪ 今朝はワカメとジャガ芋のお汁があぁー♪ まんず酒っこより暖ったまるべやぁー♪」と、父親を囲むようにニコニコ笑顔の浜子だった。
浜子が磯で獲って来たウニとアワビは刺身に、ワカメと畑から掘ってきた芋は身体を芯から温める味噌汁に、舌堤を打って浜子たちを見ながら飯を食う父親の姿と、奥の仏間に亭主の無事な帰りを感謝する、浜子たちの母親と御婆ちゃんの姿が暖かかった。
浜の家族もまた山里の家族同様に支え合って毎日を生きているのだ。
※艫綱(別名、もやい綱ともいい船を停泊させるための縄のこと)
※引っ掛け棒(6尺ほどの竹で出来た棒の先端にクエッションマークのような鋭いカギを付けた物で、ウニ、アワビ、ワカメ・コンブなどを獲る万能道具で浜子たちは自分専用のオーダーメイド製を保持している)
※モッコ(山里の何処かを参照下さい)
※お汁(味噌汁のこと)
◆◆◆◆◆50話
何処までも続く砂浜を区切るように黒々とした岩が一塊となり、打ち寄せる白波は寄せては砂に飲み込まれ燦燦と降り注ぐ陽の光が「キラキラ」と、砂を輝かせる。
真っ青な空と眩いばかりの山々の緑色が海の中へと溶け込み、澄んだ空をカモメが自由に飛び交う、それが浜の集落。
遠く水平線を見れば、空の青さが海の青さと何かを育むかのごとく交じり合い、手傘で額を覆う厳しい目をした年老いた浜人(はまんど)が口を窄める。
一人また一人と若い浜人の傍へ来ては「どんだがのおぅ~」と、心配そうに声掛けると「わがねがも知らんなぁ~」と、年老いた浜人が呟く。
年老いた浜人を囲む数人の浜人たちの後ろから「いやいやぁ! 今日だば大丈夫だぁ~」と、元気のいい若い浜人が声かけると「わがね! 今日は沖止めだ!」と、年老いた浜人が声を少し強めると「おどっちゃ(おじいさん)は心配症だはんでぇ、あっははは♪」と、笑い飛ばした。
若い浜人の笑いに周りの者達は腕組みし、口を窄めては考え込んで「ふんだなぁ~ 今日はおどっちゃの言う通り沖止めだべ!」と、一人が言うと「なしてよぉー! ラジオの天気予報だばいい天気だって言ってたべや!」と、別の浜人が釘を刺す。
二つに割れた意見を物ともせず空を見回し、山の木々に目を向け「今日は沖止めだな…」と、年老いた浜人が「ヒョィ」と、下に居た小さな浜子(はまご)を抱っこすると「坊ー 今日は家の中で爺と遊ぶがぁ~」と、紅いホッペを軽く撫でると「今日はドコドコドコっていがねのがー♪」と、抱っこされた浜子がニコニコして水平線にまん丸の目を向けた。
すると水平線を見ていた浜子が突然「わあぁー!!」と、小さな両手で顔を覆い「爺ー! なんかいる! なんかいる!」と、海から顔を背けて水平線を指差して身体を震わせた。
驚き震える浜子を「ギュッ」と抱きしめた年老いた浜人が「そがそがー 坊さも見えるがぁー♪」と、ニコニコしてその場を離れた。
その日、あれほどキラキラ輝いていた砂浜も海も空も大シケになり集落を嵐が飲み込み、文句をいいながらも従った若い浜人は命拾いをしたと言う。
年月を重ねた浜人と、純真無垢な浜子にだけ見えると言う海神様は今日も何処かに現れているのだろうか。
※このような話は何処の浜集落にも数多く存在してる
◆◆◆◆◆51話
青い空が緑色の山々を覆い、行き交う船が立ち上げる白い波しぶきが程よく水面に溶け込む穏やかな浜の集落も、水平線を真っ黒に染める嵐が見え隠れすると寄港した船は慌しい浜人たちが「いそげー!」と、声掛け合って船を陸(おか)へと引き上げる。
時間と共に水平線は見えなくなって、黒々とした嵐の色は青かった海の色を変色させ岸へ集落へと近づいて来る。
穏やかだった水面を強い嵐風が天から渦巻くように攻撃を繰り返し、海の水が宙へと舞い上げられては黒々とした水面に叩きつけられる。
やがて集落を「ビュウゥーン! ビュビュビュッ!」と、嵐風が天から地面に向かって煽りを見せ、山々の木々は左に右にと身体をきしませる。
集落の家々は雨戸が閉められ、浜から吹きつける潮は宙を彷徨った挙句「ゴォーバシャバシャバシャ!」と、滝から落ちる水のように轟音をあげて集落を襲う。
船着場は大波に晒され「ゴオオォォー!」と押し寄せる黒波にジッと耐え、陽の光にキラキラと輝いていた砂浜は白濁した波で姿を消し、微かに山側の一部分だけが必死に自らを主張する。
昼間だと言うのに暗闇に閉ざされた集落には浜人の姿も見えず「カランッコロコロコロ」と、倒れた木桶が風に押され地面を踊っているだけだった。
雨戸の閉められた浜家の中には「ゴオオォー! バシャバシャバシャ!」と、突風と浜から巻き上げられた潮が打ち付けられ「ガタガタガタ…」と、家を小刻みに揺らす。
静まり返った薄暗い浜家の中で「ガガガガ… ビィー! 本日の天気は… ガガ… ザザザザァー…」と、雑音混じりに天気予報が流れると、捻り鉢巻の御爺さんが小さな浜子を胡坐の上に抱っこして真空管ラジオに聞き入ると、横でゴロンと寝転がって囲炉裏に薪を入れる家人が渡網の上にスルメを「ポン」と、投げ入れた。
囲炉裏の炎が時折「ポッ」と、立ち上がって辺りを照らせば、囲炉裏火の明るさで縫い物をする御婆さんの手元が暗闇に浮き上がり「おどぉー(じいさん)電気っこ、点けるがのおぅ~」と、小さな浜子の母親が立ち上がって声掛けると「わがねわがねー ラジオ消えてしまうべ」と、電力不足を手の平を左右に振って伝えた。
家中にホンノリと甘しょっぱいスルメの匂いが漂うと「ほらぁ! ほらぁ!」と、おどーが寝転がっている息子の肩をゆすり「ほらよ!」と、焼きスルメを千切って息子が、おどーに手渡すと「おっほほー♪ 上手に焼けてらぁのおぅ~♪」と、抱っこしている浜子へ更に小さく千切って手渡した。
おどーに抱っこされた小さな浜子の口に焼きスルメが入った辺り「おかぁー、おとー! したら行ってくっからー!」と、奥の部屋から「ペタペタ」と、少し大きめの浜子の足音が近づくと「おっ! 無理すんなよ! 危ねえば直ぐ戻れえよー!」と、寝転がっていた父親が突然起きあがって浜子に言う。
嵐だと言うのに小学3年生ほどの浜子は、半袖に半ズボン姿で片手に魚を入れるタモを持ち「したら行ってくるがら!」と、家族全員の顔を一人ずつ見てから玄関に降り立った。
外は荒れ狂う嵐で立っているのもやっとの集落から、一人、また一人と浜子たちが網を持って浜へ降りる一本道を列を作って歩み始めた。
海から押し寄せる白濁した波は砂浜を埋め尽くし、人がやっと通れるていどまで迫っているものの、浜子たちには怖がる様子もなく淡々と歩みを前に前にと進めて行く。
誰一人として浜子を止める浜人の姿もなく、嵐の砂浜を波シブキを受けながら浜子たちは見えなくなった。
浜子たちが唸る海に出てから数時間がたった頃、家の中では囲炉裏に向かってラジオから流れる流行歌に聞き入る家人たちも「ずいぶん遅せぇなぁ~」と、心配する父親と「ふぇっふぇふぇふぇ♪ 大漁だべぇ~♪」と、ニコニコする、おどーに「止めたって止まらね浜衆(はましゅう)だもんよぉぅ~♪ すかたねえなぁ~♪」と、出かけた浜子を案ずる母親が笑みを浮かべて話した時「ガタンッ! ガタガタガタ…」と、玄関の引き戸が開かれた。
戸の開く音に玄関の内戸をあけると「すこし多く獲れたなぁ~」と、膨れ上がったタモを引き摺るように中へ入って来た浜子に「おとー♪ おどぉー♪ ばばー♪ 大漁だぁー! 大漁!」と、浮き足立つように大声を奥に呼びかけた。
この日の浜家では久しぶりの海の幸に家族は舌堤を鳴らし続けた。
大シケになればなるほど漁に恵まれるホヤは、海底をエグル荒波からの贈り物として浜の集落では喜ばれたが、引き換えに浜子の命をも脅かされていた。
浜に生まれた者は皆、支え合って生きているが浜人には浜人の仕事があって同時に、浜子には浜子の仕事がある。
身体の大きな浜人では歩けない、波に晒された砂浜は浜子だけに海神様が許した漁だったのかも知れない。
◆◆◆◆◆52話
浜集落に朝が来る… 朝日が赤から白に変ると山の木々の間に陽だまりが出来、沖から船が「ドコドコドコ」と、白波を連れて戻って来る。
家々から大勢の浜人が船を向かえよと船着場に集まり、浜子たちは朝食のオカズを獲りに岩浜を、山の畑へと連れ立つ。
港の大きな屋根の下は胴付きに身を包んだ浜人たちが、馬車の荷台に魚を積んで忙しく細い道を上へと駆け上がる。
海から見上げれば、港と平行するように家々が建ち並び、家の前を通る道は上に伸びた後、蛇のように蛇行しながら更にもう一段、上下左右に家々は広がりを見せる。
下街と上街と言うらしいこの集落の上街の更に上に位置するのが、どうやら浜子達の通う学校らしく、海から眺める集落はひな壇のような造りになっている。
一斉に港に戻った船と、船着場に群がる浜人は「次はあっちだー! よし今度はこっちだー!」と、険しい表情をして走り回る。
荷物を満載に積んだ馬車の荷台を覆い、積んだ魚を陽から守るのは海水に浸された小金色に光るムシロ、浜にとって大切な任を担うムシロは遠く離れた山里から馬車によって運ばれ浜の魚を守っている。
上街に馬車で運ばれた魚は、大きなボンネットトラックへと積みすえられて、左に右にと白い土ボコリを上げ、轟音を山々に轟かせ走り去った。
港から、船着場から浜人が姿を消して半時ほど経った頃「カ~ン… カ~ン… カ~ン♪」と、集落の天辺にある学校の正面玄関に、集落には似付かない背広が一人立ち、片手にぶら提げた鐘を木槌(きづち)で叩いて時間を知らせた。
学校の正面玄関で打ち鳴らされた鐘の音は、漁師(はまんど)たちの眠る時間と、浜子(はまご)たちの勉強の時間を集落に伝えていた。
◆◆◆◆◆53話
子砂利と砂の混じる海岸で焚き火をして、打ち揚げられたゴミを燃やす浜子たちの姿が見えた。
集落とは間逆の海岸は、下から見上げてもグルリと断崖で囲まれ緑の草木が生い茂り、何処から降りてきたのか見当もつかないほど。
陽の光に反射して白い煙を煌々と天高く舞い上げる焚き火と、時折サラサラと寄せ引きする緑が溶け込んだ海の水は、波立つことなく辺りに音を伝えることなく只管に只管に……
打ち揚げられたゴミをアチコチから拾い集めては、焚き火の番人をしている浜子に「あっ! うん!」の呼吸で手渡す数人の浜子たち。
焚き火を左に海に向かって腰を下ろせば、右側の少し向こうに見える黒々した大きな岩場の影から、一艘の磯舟が「ユラリ~ ユラリ~」と、舳先(へさき)を揺らして「ギュウッ、チャポンッ! ギュギュギュギュ~ チヤポンッ!」と、カイ(オール)を漕ぐ音が水面を岸辺に伝えた。
麦わら帽子をかぶり、首に手拭を垂らした漁師(はまんど)が、音頭をとるように右に左にと身体を揺らしながら、カイを漕いでこちらに向かって来る。
海岸の砂地を目指して向かって来る磯舟に気付いた浜子たちが、ゴミ集めの傍ら磯舟を振り返ると「おぉーい♪」と、漁師が片手を上げて浜子達に声を掛けた。
磯舟の舳先は「ユラリ~ ユラリ」と、岸辺に近づくと「そりゃぁー!」と、一斉に声を上げた浜子たちが磯舟の来る場所へ駆け足で集まると「ズゥッ! ザザザザァー!」と、磯舟の舳先が波打ち際に乗り上げ「よいしょ!」と、掛け声かけた浜子達が船の舳先にしがみ付いて磯舟を砂の上へと引き寄せた。
磯舟から降りた漁師が「ほほぉ~♪ いい童(わらし)たちには良いことあるはんでなぁ~♪」と、ゴミを燃やす浜子達を嬉しそうに見回した。
船の上で立ち上がった漁師が船の中から、黒々としたゴミ袋ほどの大きさのタモを重そうに持ち上げ、砂浜に「よいしょぉ!」と、船から降ろすと「け(食え)」と、ニコっと微笑んだ。
浜子たちは嬉しそうに大きなタモを一瞬囲むと、一斉に散り散りに砂浜に散らばって戻ってくるなり砂に腰を下ろすと「バシッ! シャクッ!」と、平らな石の上に黒々と大きく育ったウニを置くと、手に馴染む石で殻を割って夢中で生ウニを口へと運んだ。
砂浜に腰を下ろしてニコニコしながら浜子たちを見ると、タバコに火を点けた漁師はキレイになつた浜を見回して「うん、うん」と、感心の笑顔を放った。
30分ほどしてすっかりウニを平らげた浜子たちは、大きなタモ網にウニの殻を丁寧に戻すと「ごっちゃん! めがったぁ~♪」と、頭をチョコンと下げると、少し離れた湧き水の場所へと一斉に駆け出し、葉っぱで作ったコップで喉を潤した。
漁師は空になったウニの入ったタモを船に積み込むと、再びカイを漕いで波打ち際から数十メートル離れた沖の岩場へと船を揺らした。
沖の岩場に辿りついた漁師は船の片側を自らの体重で傾げると、箱メガネ(ゴーグル)をかけ水中を覗き何やらしているのが見えた。
木で出来た大きな箱の下にはガラスが付いていて、そこへ顔をスッポレと入れて海底を覗き込んでいる漁師は、ねずみ取りのような紐の付いた籠の中に、浜子たちに食べさせたウニの殻を入れると静かに海底に沈めた。
海底に見入ってジーッとして動かない漁師が、片手に持った紐をを「パッ!」と、離した瞬間、沈められた籠のふたが閉まった。
籠の中には大きな銀色の魚が右往左往していて、漁師は顔を上げるなり海岸にいる浜子たちに大きく手を振った。
その後、漁師は転々と場所を変えては同じ仕草を繰り返すと、右側の岩場へと姿を消した。
一通り浜辺をキレイにした浜子たちは、焚き火が燃え尽きるまで傍を離れることなく、誰かが獲って来た自然に生えたグスベリーの酸っぱさに、顔を顰め楽しそうな笑みを浮かべていた。
やがて焚き火は消え、砂を上にかけると「さて行くかぁ!」と、大きい浜子が声かけると、断崖に育つ草木の生い茂る中へ浜子の列は姿を消した。
そして浜子たちの姿を消した草木の生い茂る断崖の場所には、太い一本の艫綱(ともづな)が吊るされているだけだった。
逞しい浜子たちが集落に戻ると出会う度に、浜人が「おぉ! いいもの食ってきたな~♪」と、声かけて微笑んでは「○○の、おどーだべ~♪」と、通り過ぎて行った。
浜人たちに声をかけられながら、浜子たちが家に戻ると「いいごとしたなぁ~♪ ホラ~♪ 裾分けだってぇ~♪」と、浜子に嬉しそうに大きなソイを見せ「今夜はソイの刺身だな~♪」と、出迎えた母親は台所へと姿を消した。
夕食(ゆうげ)の一時が始まり、浜子が囲炉裏の横のテーブルに近づくと、大きな皿を埋め尽くしたソイの刺身が出迎えた。
久しぶりのソイの刺身を前に「今日は御馳走だのおぅ~♪」と、湯飲み茶碗の濁酒(どぶろく)を「クイッ」と、一口啜る御爺さんが「しかしよおぅ~ ずいぶんと似合うのぉ~ その泥棒ヒゲは~♪ あっはははは♪」と、浜子の顔を見て大笑いした。
ウニの色が両手を小豆色に染め、口の周りを泥棒ヒゲのように小豆色に染めた浜子の顔が、浜家の夕食をいっそう楽しいものにした。
アチコチから聞こえる、泥棒ヒゲを付けた浜子の家族の笑い声が集落に楽しい時間を伝えた。
※ソイ漁(ウニを捕食するソイの御馳走で、夜にしか出てこないソイを好物のウニで籠の中に誘き寄せる伝統的な漁法の一つ)
※小豆色(生ウニを食べると色がついて両手や口周りに色がついて一週間ていど落ちない)
※浜子たちは定期的ではないが自発的に浜の掃除に一役かっている
◆◆◆◆◆54話
ポカポカした陽気が恋しくなったのか、平屋で横長の校舎の一室の窓を学校の先生が「ガラガラガラ~」と、開けると下から浜風(イソカゼ)がふんわりと教室に入ってくる。
浜子達は先生の手本に従って真剣な表情で、机に向かっては「カリカリカリ」と、鉛筆の音を立て横に置かれた書き方と言う本と、黒板の大きく書かれた文字を、そして自分の書いた文字を何度も見比べてはカリカリと只管、只管…
窓から見下ろせる浜の集落は静まりかえり、浜人ひとりとして姿を見せることなく、青々とした空には白いカモメガアチコチで自由に飛び回り、黒いカラスは陽射しが辛いのか木々の影に隠れ静まりかえっている。
左右に広がる真っ青な海は太陽の陽射しに「キラキラ」と、アチコチから宝石のような光を放ち、少し首を捻れば左右から眩しいほどの緑色が目を細めさせる。
外の明るさに比べると少し薄暗く感じる教室の中「カリカリカリ」と、鉛筆の音が響く中で「来るかな…」と、浜子が言うと「そろそろ来るべ…」と、別の浜子が声を細め「もう来ないとなんねえべ…」と、また別の浜子が声を細めた。
浜子たちのヒソヒソを聞こえないフリしながら、開いた窓から外に半身乗り出して左右に広がる海をしきりに気にする先生が「うん? あれか?」と、独り言のように小さな声で呟くと「来た…」と、浜子がそして「来た来た…」と、別の浜子が囁くと「あれかぁ?」と、少し大きな声で先生が遠くの海に見入った。
先生の「あれか?」と、言う声に「来たがや先生?」と、一人の浜子が席を立って辺りの浜子たちを見渡すと「ガタンッ! ガタガタガタ」と、一斉に浜子たちが席をたち「来たが? 先生?」と、窓から身を乗り出す先生の傍へと走り寄った。
窓から半身乗り出した先生が「どうだ来たか?」と、身体を内側に戻して自らを囲む浜子達の顔を見回して「○○、ちょっと見てみろ!」と、鼻息を荒くして、一人の浜子を抱き上げて「どうだ? 来たか?」と、浜子に海を見せると「来た! 来た! 来た!」と、先生に抱き上げられた浜子が声を教室に響かせた。
先生に抱き上げられた浜子が嬉しそうに「来たー!」と、叫ぶと「ガラガラガラ」と、左右の別のクラスの窓から、一斉に先生たちに抱きかかえられた浜子たちが顔を出し「来た! 来た! 来たー!」と、大喜びすると「わあああぁぁぁーーーー!!!」て、校舎の中から大歓声が巻き起こった瞬間「よし! 行くぞーー!!」と、先生は浜子を下ろして片腕を天井に向けた。
大勢の浜子達が校舎から一斉に外へ飛び出し「来たーーー♪ 来たーーーー♪」と、大歓声が静まり返った集落に広がると「来たーー! 来たーー!」と、集落の家々から一斉に浜人たちが手に大きなタモや竹笊を持って、港の左右の黒々とした岩場を目指して駆け出した。
浜子たちに混じるように、大きなタモやバケツを持った先生たちも「来たーー!!」と、大急ぎで浜の岩場を目指して走り出した。
さっきまで青々としていた海に突然、銀色に輝く大河のような長い蛇行がアチコチに生まれ、その真上におびただしい数のカモメが宙を真っ白に染め、カモメの数に負けない程の真っ黒なカラスが白を覆うように宙を黒く染めた。
静まりかえっていた浜の集落は、まるで軍隊のごとく陸から岩場を目指して突進し、空からは白いカモメと黒いカラスが陽射しをさえぎった。
キラキラと銀色に光り輝く海に出来た大河は、鳥たちに追われるように「クネクネ」と、蛇行し一路岩場に突進していた。
港から左右に伸びる砂浜を、一路岩場を目指して突進する大人子供入り乱れての大行進は、岩場に到着すると「うわああぁーー! うおぉぉーー!」と、大歓声をあげ、宙に舞う鳥たちは空の上から水面に急降下を繰り返した。
黒々とした岩場は次第に黒からその岩肌を銀色に変え、寄せる白波が砂浜を徐々に銀色へと変えて行くと、蛇行していた大河は左右に散るように海全体を青から銀色に変えた。
青い海が銀色に光り輝くと言う不思議な光景は、一年に幾度もない浜の大人も子供も男も女も入り乱れての祭りだったのかも知れない。
身体中にキラキラと銀色に光る衣(ころも)を纏った集落の人々は、皆、零れんばかりの笑みを浮かべ重そうにバケツやタモを持ち帰路に着いたようだ。
集落の人々が帰ったあと、砂浜へと山伝いに降りて来た動物たちも帰りは、人間同様に銀の衣を身に纏って帰路についたようだった。
一年に幾度もない鰯(イワシ)は、集落への海神様からの贈り物だったのかも知れない。
そんな贈り物も数日経つと「おかあー おら! もうイワシ飽きたよおぅー!」と、浜子たちに切ない表情を浮かべさせた。
◆◆◆◆◆55話(上)
ある晴れた朝の浜の集落、山から白い靄も消え、風も波も無い青い空と山々の緑が映りこんだ海。
穏やかだと言うのに、沖から船着場のある港に来る船もなく、浜の集落にしては腑に落ちない風景に首を傾げる。
既に陽(ひ)が昇っていると言うのに、集落には浜人(はまんど)の姿も無く、浜子(はまご)の姿さえ何処にも見当たらない。
静まり返った集落に遠慮するかのごとく、砂浜に打ち寄せる白波もなく船着場に丸太で組んだ物干し竿のようなところに、白いカモメが羽を休め海の上にポツポツある黒い岩肌に、身を潜めるように黒いカラスがうずくまる。
いつもと違う光景… 集落を歩き回ると、家々の中に人の気配はあるものの誰ひとりとして外に出る者もなく、閑散としていて薄気味悪くなるほどである。
家々を見回しながら浜へ降りて行こうと一本道を港へ向かうと、今まで気付かなかった左に反れる人ひとりが通れるほどの小道を見つけ「何処へ通じているのだ…」と、小道へと歩む。
まるで他人の家と家の隙間を通るようで気の引ける細い道は、入って見れば真っ直ぐに少し行くと、急に広がりを見せ、浜へ向かう一本道と同じ広さになっていた。
使われているとは思えない古い家は、浜人たちの倉庫だろうか… 家の屋根の上には漁で使う大きな網が広げられて干されていて、家の周りには溢れんばかりの漁具や、小船のカイ(オール)が立て掛けられ出番を待っていた。
道を挟んで左右に軒を連ねる古い家の玄関の、真横には表札があったであろう形跡が纏う板の色と違うのがわかる。
少し進むと左側だけが道に沿って軒を連ね、右側の家は途切れ青々とした海がホッとさせた。
家の途切れた場所に立って、海から漂う磯の香り釣られるように身体を向けると、3階建くらいの火の見櫓(ひのみやぐら)が集落から海に向かって伸びる岬の上にポツンと建っている。
「どうやって行くのだろう…」と、目を凝らすと、岬を支える切り立った断崖に集落の外れから斜めに傾斜を持たせた艫綱(ともづな)が張ってあるのが見えた。
距離にして50メートルほどだろうか、一本の艫綱が「何故、あんなところに…」と、思いながら岬へ続く陸路を家々の間を縫うように探し歩むと、巨木とでも言うのだろか無数に太く大きな木が立ち並んでいてそれを守るように草木が栄茂っていた。
岬への入り口に立って巨木を見上げていると「おい、アンタそこで何してるや!」と、強い口調で後ろから声かけられ「えっ?」と、後ろを振り向くと一人の浜人が「そこは御神木だで入っちゃなんねぞ!」と、語りかけてきた。
聞けば、集落に向かって来る浜の強風で一番強く吹き荒れるのがこの場所で、浜人たちはこの木を御神木として奉っていると言う。
浜人はそう言うと無表情で立ち去り、視線を元の艫綱へと戻すと、何やら艫綱に掴まって断崖を岬へと進む浜人がいた。
御神木を汚すまいと言うことか、艫綱に掴まって左手前から右の岬へと上る浜人は「サクサク」と、歩み上るとやがて姿が見えなくなり、代わりに火の見櫓の上に白い旗が掲げられた。
青々とした海を背景に白い大きな旗が微風に靡いているが一体……
◆◆◆◆◆56話(下)
大海原を背景に白い旗が僅かな風に揺られた時、静まり返っていた浜の集落の上空を何処からともなく黒い集団がアチコチから現れ始め、同時に白いカモメが泣き声を上げて右往左往し始めた。
靡く白い旗のみえる場所を後にして、港へ向かう一本道へと戻った時、慌しく港へ向かう浜人達の姿が…「一体何が始まるのだ?」と、目の前を駆ける浜人に聞こうにも浜人達の目は血走り脇目もふらずに只管… 只管…
港へ降りて行くと、集落から駆け足で降りて来た浜人達は一斉に陸(おか)に有る磯舟の前に一人立つと「おどー! 乗れ乗れ乗れー! 下ろすどぉー!」と、遅れて駆けつて大きな声を発する、老婆の姿と後から駆けつけた若奥さんらしい人と大小の浜子たちが「よいしょぉー!!」と、掛け声を合わせて浜人の乗った磯舟を海へと下ろし始めた。
下ろし始めた磯舟から目を離し、辺りを見渡せば「それえぇぇーー!」と、アチコチで大きな声を重ねて船を下ろす家族達の姿が何とも勇ましく、家族の少ない者のためだろうか、誰の船だろうと構い無しに家族達は次々に家族の少ない浜人の船を下ろし手伝っているのが見えた。
海面へと下ろされた磯舟は「ユラユラ」と、左右に揺れるものの船に立つ浜人はフラフラすることもなく、陸(おか)で手を振る家族達に見守られながら静かに船に腰を下ろすと、木で出来たカイ(オール)を海水に浸し、船の左右のの木の棒に「スポッン」と、嵌めると「ギィーコ… バシャン… ギィーコ… バシャン」と、音頭を取るように港の中から出入口を目指した。
湾型の港の出入口を目指して、陸から下ろされた磯舟は個々に漕ぐ音頭こそ違うものの、波の無い穏やかな海原を目指した突き進んだ。
港の出入口に集結するかのごとく、集まった磯舟を漕ぐ浜人たちは口元を引き締め互いに会釈もなく次々に出航して行った。
磯舟を送り出した家族達は言葉少なげに、黙々と蛇行する道を急ぎ集落へと散り散りに消えて行った。
船を送り出した後の港は閑散とし、海面から顔を出す黒い岩には黒いカラスが実を潜め、船着場の物干し竿の上には白いカモメが肩を寄せ合った。
沖の船が見える上街(うえまち)へと移動し、沖を眺めれば慌しく出て行った磯舟の姿は何処にもなく、海を前にして額に手傘を作って右へ左へと首を捻るものの、やはり磯舟は何処にも見当たらなかった。
不安を覚え集落の中を、磯舟を捜し求めるように歩み続けると「今日のアンビ獲り大漁だばええのおぅ~」と、両手で山里から来たであろう山吹色のムシロを抱えた二人の老婆に出会ったが「アンビとは何だろう…」と、頭を抱えた。
磯舟の姿を探し沖の方にいないのならばと、近場の海が見える場所へ移動し「ここならば!」と、100メートルほど下に見える黒々とした大岩がゴロゴロした岩場を見下ろすと、四角い箱に頭を「スッポリ」と、隠し片手に長い棒を持ち、更に逆の手でカイ(オール)を微妙に漕ぐ頭の無い浜人の乗った磯舟がアチコチの岩場に浮かんでいた。
その奇妙な光景は延々と続き、何かを長い棒で獲っては箱に頭を隠したまま、船の中に「ポトッ」と、落とし入れそして長い棒を海の中に入れていた。
ユラユラと浮かぶ磯舟は頭の無い浜人たちの乗った、幽霊船のごとく数時間が経過するとようやく、一人また一人と箱から頭を出しては「キョロキョロ」と、辺りの船を見回して船の中に置いてあった煙管(キセル)に火を点けて「スウゥー フアァ~」と、白いタバコの煙を吐き出していた。
船の上の白い煙が一つ、また一つと増え浜人達の顔にも安堵の表情が浮かぶと、再び箱の中に頭を入れて海の中から円い黒々とした物を30分ほど獲り続けると今度は、こげ茶色の幅広の葉っぱのような物まで獲り箱の中から顔を出した浜人たちは、磯舟を沖へと漕ぎ始めた。
下の岩場から沖へ50メートルほど漕ぎ出した磯舟たちは、船の舳先(あたま)を陸(おか)へと向けて縦横に連なると、火の見櫓の白い旗は降ろされ今度は真っ赤な旗が掲げられた。
青々した大海原を背景に白い旗が靡き、今度は逆に緑色の山々を背景に真っ赤な旗が靡いていた。
海に浮かんだ磯舟たちは、赤く靡く火の見櫓の旗を見ると一斉に港を目指して漕ぎ進んだ。
港へ一足先に戻り待っていると、次々に白い歯を見せニコニコと笑顔で船を進める浜人達が港入りをしては、陸で待つ家族たちに「大漁(だいりょう)! 大漁!」と、手を振っていた。
陸に船の舳先が軽く乗ると、船の中から焦げ茶色した昆布やワカメを先に降ろし、海水の入った大きな箱に敷き詰められ、更にその上に「クネクネ」と、盆踊りでもするかのように身体を柔軟にクネらせる鮑(アワビ)が丁寧に入れられた。
大きな箱に移された昆布やワカメとアワビの入った大きな箱の前に、見慣れぬ男衆(おとこしゅ)達が次々に訪れ、何やらは浜人と難しい顔しては時折「ニコニコ」して腕組を繰り返した。
浜人の家族に聞くと「あぁー! 買い付け業者の人達だぁ~」と、笑みを浮かべ磯舟の中からトゲトゲの黒いウニを持ち帰るのだろうか、モッコに入れて白い指を小豆色(あずきいろ)に染めていた。
陸に上げられた磯舟の前で大勢の買い付け業者が行き交うと、小さな浜の港は久々に賑わう笑い声が充満した。
年に数回しかない鮑漁は集落に祭りのように賑やかさを醸し出していた……
※鮑を生かして運ぶために使う昆布やワカメの量は決められていたが、少し多めに獲って買い付け業者への土産とされることが多く、業者は多めに入れられた昆布やワカメを自宅に持ち帰り食用として当てることが多かったようだ。
※鮑を獲って売り、運搬用として獲った海草を土産として業者に渡し、仕事の終わりに家で一杯やるためのオカズとしてウニを獲る、浜人の畑(うみ)は浜に生きるものに確かな恵みを与えている。
※カイ(オール)は一般的には艪(ろ)といわれるところが多い
※鮑漁は公平をきすため白い旗が揚がるまで漁師も家族も家の外へは一歩も出ることは出来ず、浜子でさえも学校に行く時間をずらして登校していた。
◆◆◆◆◆57話
ちょっと浜家の中を覗いて見ようと、開いている戸口から静かに様子を窺う… すると「今日は水の出が悪いのおぅ~」と、蛇口を捻る御婆さんに「どりゃどりゃ、ちょっくら川さ見に行ってくるべー♪」と、御爺さんが傍にいた浜子(まご)の頬を軽く撫でる。
仕事着に頬かむりして麦藁帽子をかぶった御爺さんと、一緒に手を繋いだ浜子が薄暗い浜家から「坊ー、ちょっくら行ってくるかのおぅ~♪」と、屈んで浜子の身支度を整えた。
石と土が混ざり合って固まった道の端っこを、御爺さんのゴム長靴が「ズザッ! ズザッ!」と、ゴムと道の擦れる音が乾いた土ぼこりを舞い上げ、浜子からは「ペタッ! グニュ~ ペタッ! グニュ~」と、ゴムの短靴の可愛らしい小さな土ぼこりを舞い上げると「坊ーの靴は少し大きいようだのおぅ♪ 早く大きくならんとなぁ~♪」と、端っこに浜子を、そして守るように御爺さんが車道側を歩む。
右側に青々と広がる海を見下ろせば、銀色の砂浜に混ざるように黒い岩肌が白い波を受け水面が「キラキラ」と、光り輝く。
左側には緩い傾斜地に緑色の草木が浜から吹く微風に「サラサラ」と、仄かに甘い香りを漂わせると「坊ー、ちょっくら休んで行くかのおぅ」と、木の切り株に浜子を座らせると、浜子の履いているゴム靴を片方ずつ脱がせ「よいしゃーのこりゅぁせぇー♪」と、小さな声で口ずさむと傾斜に生える蓬(ヨモギ)を、刈り取り、傍にあった少し大きめの石の上に敷き詰めると「よいしゃのぉ、こりゃぁせぇ~♪」と、まるで呪い(まじない)でもかけるように一握りの石を拾い上げると「グチャグチャ」と、磨り潰し「ほりゃ~ せぇ~♪」と、浜子の小さな足を磨り潰した蓬で丁寧に拭き取った。
キレイに浜子の両脚を拭き取ると、今度は別の蓬を刈り取ってゴム靴の爪先の方へと親指で押し込むと「ほおぅら♪ 出来たどおぅ~♪」と、浜子の白いホッペを「ツンッ」と、撫でるとゴムの短靴を浜子の足に履かせ「どんだぁ~ 具合はええかぁ♪」と、御爺さんは嬉しそうに浜子に話しかけた。
二人は手を繋いで再び歩みだすと「おどぉー(御爺さん)ええ具合だ!」と、浜子が下から御爺さんを見上げると「うんだがぁ~♪ えがったなぁ~♪」と、御爺さんは浜子に視線を合わせ歩く浜子の足元の具合に見入った。
集落から曲がりくねった道を1キロほど来ると「チョロチョロチョロ…」と、川の流れる音が聞こえ「坊ー 着いたなぁ~♪」と、屈んで浜子に顔を合わせると「よし、もう少しだな」と、道から草むらの獣道に下れば「おどおー! ○○のおどーでねえかー!」と、川辺から声をかけられ、御爺さんはニコニコして手を振ると「だめだわ~ 雨すくねえはんで、ほりゃ! この通りだぁ~」と、水の出が心配になった浜人が見に来ていた。
普段より八割ほど下がった水位に屈んで見入る浜人が「おどー まいったなぁ~」と、川辺に立つ御爺さんと浜子を交互に見ると「船で隣の街さ行って山の里さ電報で、水ば分けて貰うしかねえべなぁ…」と、元気の無い浜人に御爺さんが話すと「したどもなぁ~ 今ったら畑の時期だべぇ~ 分けたくても無いんでないべかのおぅ~」と、浜人。
この日、浜の集落では長(おさ)たちの寄り合いがあって翌日、漁船に水樽を積んで左右の街へと一斉に船が機関音を空に轟かせた。
その数日後、浜の集落に久しぶりの雨が降り乾いた大地を潤したと言うが、山の斜面にある浜の集落には貯水出切る場所もなく、降り注いだ雨は山々と広大な海へと消えて行くことから浜の集落には必ず水神様が祭られていた。
港の隅っこにある何十本もの樽は、使われないことを祈るように今日も何処かでジッと並んでいるのだろうか……
◆◆◆◆◆58話
大木たちが四方八方を守るように立ち並び、一面を光沢のある真緑色が覆いつくし、真ん中に一本の細い道が中の方へ申し訳なさそうに伸びる。
緩やかな上り傾斜を歩むと、黒土(くろつち)が太陽の光に暖められ土の香りが辺りに漂い、重なるように緑の匂いがそれを覆う。
片手に釜と、藁で編んだ担ぎ袋を「ヒョイッ」と、肩に揺らせる老婆が足元の緑を食い入るように見ては、時折腰を屈め釜の先を地面に当てる。
姉さん頭(かぶり)の頭(あたま)には、白地に赤と紺の斑点が太陽に反射して、豆絞り(ぬの)のかぶりものが緑の中に映える。
何を採っているのかと老婆から目を離し屈んで見れば、根だけを残して切り取られた茎からは「ツゥン」とした、ネギともニンニクともつかない刺激のある匂いが伝わった。
立ち上がって老婆の跡を追うと、どうやら老婆は藁袋の中を二つに区切って別々の何かを採っては入れていることに気付く。
中には光沢のある緑色と、淡い緑色の二種類の植物が入っていて、どちらも独特の香りを放っていた。
1時間ほどして老婆は腰を伸ばすように「ポンポン」と、背を伸ばし腰を軽く叩くと「あぁ~ 感謝! 感謝!」と、山の方に両手を合わせ、ゆっくりと傾斜を下ると集落への道へと移動した。
太陽の照り返しが厳しい、山吹色に乾いた道に降り立った老婆の足元を見ると、黒い地下足袋がモンペの裾を覆い歩きやすくしていたことに気付く。
帰路に着いた老婆は真っ直ぐ前を向き只管… 只管…
浜家の台所に立つ女子衆(おなごしゅ)は御嫁さんだろうか…「ばばー お帰りなさい♪」と、声をかけながら玄関に歩み寄ると「今日も山がら土産もろうと来たはんでなぁ~」と、頬を緩ませた。
老婆から藁袋を受け取った女子衆は、台所に戻ると袋から取り出した植物を竹で編んだ笊(ざる)に移し、蛇口から出た冷たい水で「ジャプジャブ」と、洗い始めた。
透き通った太陽がようやく真っ赤に染まるころ、浜家の中から久々に山の恵みに感謝の声が聞こえた。
老婆が持ち帰った山の土産は、家中をネギとニンニクを合わせたような、山ネギ(キトヒロ)の香りと、それを鎮めるかの三つ葉の香りが漂っていた。
浜の岩場から獲って来て作られた、自家製の岩海苔は火に「サッ」と、炙られ「パリパリッ」と、した音を伝え、茹でられた三つ葉に「シャクシャクッ」と、手揉みして振り掛ければ何とも言えない濃厚な香りが家族を笑顔に。
刺激のあった山ネギは卵に絡められ焼かれると、仄かな甘みを立ち上げ、小鉢に入れられ味噌を絡めた「ピリッ」と、辛味を伝えるネギ味噌は浜人たちに舌堤を打たせた。
初物は笑って頂くと言う風習は、感謝の心を伝える小さな御祭りなのかも知れない……
※山ネギ(キトヒロ・アイヌネギ・行者ニンニク・キトビロ・キタビロ等、地方で様々な呼び名が存在する)
◆◆◆◆◆59話
集落の南側の外れ、風も無く月明かりの美しい夜、波の音が聞こえそうな沖に目をやっても魚火一つない静まり返った真っ暗な海。
浜家から漏れるランプの明かりが「ユラユラ」と、揺れアチコチの家々からは夕食(ゆうげ)の笑い声が聞こえる。
港の船着場に掲げられたランプは、誰も居ない真っ暗な水面に炎を揺らし時折吹く浜風に風見鶏が「カラッン…」と、向きを変える。
集落の左右に伸びる道も闇に染まった黒の中、月明かりで薄っすらと行く先を伝えている。
人通りもなく動物でさえも形(なり)を潜め、風さえもが静寂に気遣いするかのように静かに… 静かに…
一人集落の外れで闇の中に身を置き、静寂に癒され「そろそろ戻ろうか…」と、後ろを振り向いた瞬間「ん…」と、視界に入った何か…
南側の数キロ先の岬の中に、何かが見え「何だろう…」と、身体の向きを南側へ向けると、提灯のような灯りがズラリと横一列に灯されていた。
沖には魚火を灯した船もなく、海に突き出た岬の向こう側の集落まで十キロ以上は離れている…「何だろう…」と、食い入るように目を凝らすと「ポンポンッ」と、軽く肩を後ろから叩かれ、振り向くと「ほんに今宵は良い満月で…」と、集落には似つかわしくない色白の着物姿の女性が、口元を隠して微笑した。
着物姿の女性が「何処から来なすった?」と、美しい顔立ちに似合わない口調で尋ね「はい、山里から…」と、答えると「ニコッ」と、女性が微笑み「今宵は嫁入りがあるようですよ…」と、囁くと、南の方に見える提灯の明かりが一斉に強い光を放ち「あれは何ですか?」と、女性に聞くと返事ははなく「何処へ」と、辺りを探したものの姿は消えていた。
向こうに見える光の増した提灯は、少しずつ右側から左側へと移動しやがて闇の中へと消えて行った。
翌朝、集落の浜人に出来事を話すと「あぁ~ キツネの嫁入りだろう~ アンタさん見たのかい? アンタついてるねぇ~♪ じゃあ、別嬪(ぺっぴん)さんにも御会いなさったんかのおぅ~♪ アンタさんついてたのぉ~♪」と、当たり前のように話し浜人は立ち去った。
浜人に聞かされ、その場へ行って見ると不思議なことに提灯行列の見えた場所には、無数の狐の毛が道から山の中へと続いていた。
満月の風の無い月夜の晩に、数年に一度だけ行われると言う狐の嫁入りの話しは、今も残っているのだろうか……
◆◆◆◆◆60話
夏が近いとあって少しばかり寝苦しい夜が続いているようだ… 夜な夜な蛙たちが「ゲコゲロゲコゲロゲコゲロ」と、毎晩のように歌声を披露を繰り返し、家の周りの草むらからは「りりり… りりりり…」と、虫の声が闇の中へと溶け込む。
朝方、なにやら外に浜人達の気配を感じて出て見ると、浜人に大小の浜子達の姿も交わり港へ向かう途中だった。
ピョンピョン飛び跳ねて浜人の周りを「クルクル」と、走り歩きする浜子に「何かあるのかい?」と聞くと「今日はワカメ獲りの日だはんで!」と、豪気を放つ。
黒いゴムの短靴に白いランニングシャツ、黒っぽいズボンの坊主頭の浜子たちとは対照的に、赤いスカートに赤いゴム靴、赤系のシャツに身を包むオカッパ頭の浜子たちは歩きながらの井戸端会議に夢中になっている。
港へ降りる二股の道「左は港、右は砂浜」の、左へ男衆(りょうし)と右へ女子衆(かぞく)達に別れたが、坊主頭の浜子達は「キョロキョロ」と、左右を見回し「タッタタタタ~」と、左へ駆け出したものの、オカッパ頭の浜子たちはすんなりと、女子衆と同じ右へと井戸端会議をしながら進路を変えた。
港では磯舟を水面に浮かべ男衆(りょうし)たちが頭に捻り鉢巻をし「おれらも海の男だぞ!」と、ばかりに坊主頭の浜子たちが船に道具を積み込む手伝いに追われていた。
そのころ砂浜に到着した女子衆とオカッパ頭の浜子たちは、砂浜にムシロを敷き左向こうに見える港を「チラッ」と、一斉に見て腰を下ろして一休み。
岬の櫓(やぐら)に白い旗が風に靡くと、一斉に磯舟たちはカイ(オール)を漕いで水面を叩き「ギィィーバシャンッ! ギィィーパシャンッ!」と、白い泡波を立てた。
坊主頭の浜子たちは船を送り出すと、港の中を通って白い砂浜を目指し、砂浜のオカッパたちは女子衆と木桶を持って、砂浜の奥にある沢へと湧き水を汲みに出かけた。
港を出た磯舟たちは砂浜から数十メートル沖の岩礁の上にイカリを沈めると、10メートルはあろうかと言う大きなカマを水面へと沈め、箱メガネを口に銜えると水中を覗き込む。
沖で「ユラユラ」と、揺れる磯舟を左に見ながら坊主頭の浜子達が足を急がせ、沢の方から木桶を持った女子衆たちが肩を揺らして戻って来る。
女子衆たちはムシロの横に木桶を置いて、沢から採ってきた山葡萄(やまぶどう)の葉と蔓(つる)で木桶の上に巻きつけるようにフタをした。
ムシロに腰を下ろして、沖に浮かぶ磯舟に見入る女子衆と浜子たちを照りつける強い陽射しに、突然立ち上がった坊主頭の浜子たちは一斉に湧き水の出る沢へと走り出した。
数分後、戻ってきた浜子達は「ホラッヨ!」と、女子衆とオカッパ頭たちに太くて固い大きな山蕗(やまふき)を手渡すと「わぁー♪」と、女子衆たちから拍手が沸き起こり「エッヘン!」と、坊主頭は胸を張った。
波風立たない日を選んでのワカメ漁に、涼しい浜風を期待する者もなく「ジリジリ」と、照り付ける陽射しに只管、只管……
2時間ほどしたあたりで沖に浮かぶ磯舟を見れば、船の上には焦げ茶色したワカメが山のように太陽の陽射しに「キラキラ」と、光を放ち「ギィィーコ… ギィィーコ」と、岸へと向かって来ていた。
磯舟の到着を待つように、波打ち際に立ち並ぶ女子衆と浜子たちは船の到着と同時に「それえぇー!」と、一斉に積まれているワカメに群がり陽射しに照り付けられた砂浜にワカメを10センチ間隔で並べ始めた。
そんな中、磯舟から降りて来た男衆は、砂浜に上がるなり山葡萄のフタを外し中の柄杓(ひしゃく)を握り締めると「ゴクッ! ゴクゴクゴクッ!」と、仄かに山葡萄の葉の香りたつ気桶の水で喉を鳴らした。
◆◆◆◆◆61話(下)
男衆は喉を潤すと、忙しく動き回る女子衆と浜子を見ることもなく「どっこいしょ」と、ムシロの上に腰を下ろすと吸い口の無いタバコを煙管(キセル)に捩じ込み「スゥーー!」と、吸い込むと「ハァァー!」と、目を細めた。
船に詰まれた山のようなワカメは、ドンドンと量を減らし白い砂浜を茶色に染め、照り付ける太陽の下、今度は船の上に乗った女子衆は船の木桶で海から水を汲むと「ジャバァーッ! ジャバァーッ!」と、船の上にぶちまけた。
浜子達はぶちまけられた海水の中に屈んで、何かを小さな木桶に取っては入れるを繰り返し、それが終わると今度は船を枝の付いたブラシで「ゴシゴシゴシ」と、船の掃除を始めた。
そんな浜子や女子衆から目を離し、お隣さんや更に遠くを見回すと、何処の船の上でも同じようなことをしていることに気が付く。
男衆のタバコも残り少なくなった頃、一斉に船から下りた女子衆と浜子達は、船の舳先に何やら艫綱(ともづな)を結わえると「おどー! ええどおー!」と、タバコを吸い終えた男衆に女子衆が声を発した。
船は来た方向とは逆に後ろ向きに沖へと戻って行き、女子衆と浜子達は船から下ろした先ほどの木桶を、波打ち際で見入っては「ワガメさぁ付いたのは大きいなぁ~♪」と、個々に目を輝かせた。
沖の方では再びワカメ漁が始まり、男衆が船を揺らすと木桶を覗いていた女子衆と浜子達は「サッ! タタタタタタッ!」と、ムシロの方へ走ると「あっちぃー! あっちちちち!」と、個々に笑みながに手に手に藁で編んだ草履を持ち再び波打ち際に来ると「バシャバシャバシャ」と、草履を海の水に洗うように沈めると、波打ち際に横並び一列、旅支度のように草履を履いてしっかりと藁紐をカガトに結わえた。
藁の草履をしっかりと結わえた順に、一人また一人と砂浜の上に駆け上がると「ズッ! ザッザッザッ!」と、ワカメに付いた砂を払い落とし引っくり返す仕事に取り掛かった。
砂浜で引っくり返されたワカメから磯の香りが広がり、無風の砂浜を埋め尽くした頃「おぉーーい!」と、沖の上の船の上から男衆が砂浜に大声を発し「フッ」と、沖の方を見れば、只ならぬ量のワカメが船を埋め尽くし、男衆が何処にいるのか分らないほどだった。
船はズッシリと海面に沈み、ひと波くれば沈んでしまいそうなほどになっているのに、誰一人としてその光景に驚く者も居らず、男衆の声を聞きつけた女子衆と浜子達は、一斉に砂浜に足を運び「よいぃーせ! よいぃーしょ! よいぃーせっ!」と、掛け声を合わせて、先ほど舳先に結わえた艫綱を運動会の綱引きのように引き始めると、ワカメで島のようになった磯舟は少しずつ岸へと引き寄せられた。
砂浜に上がった男衆(漁師)に「あんなに積んで大丈夫ですか?」と、尋ねると男衆は「なんもなんも、半尺も残してるはんで、何ともねえー」と、笑みを浮かべムシロに再び「どっこいしょ!」と、腰を下ろし「あぁ、そろそろ昼飯(ちゅうはん)だな!」と、空を見上げ太陽を見た。
すると、船からワカメを降ろしている女子衆が「おとぉー! これ終わったらマンマ(ごはん)にするべー!」と、男衆を労うに微笑みながらワカメを砂浜へと運んでいた。
ムシロの横に別のムシロを敷き並べ、水の入った木桶を真ん中にして麻袋から取り出した鉄板で出来た弁当箱を、一人ずつに手渡すと「さてさて食うがやぁー♪」と、女子衆が声掛けると個々に弁当のフタを開けた。
弁当の中身は白い御飯があるものの、おかずが見当たらず「どうするんだろう…」と、見ていると「よっこらしょ!」と、別の麻袋から出した木箱を大切そうにムシロの上に置いて「したら分けるはんでなぁ~♪」と、声掛ける女子衆に目を爛々と輝かせた浜子達が一斉に見入った。
女子衆は用意した小皿の上に、何やら焦げ茶色した石ころのような物を「コロン!」と、置くとその横に白い粉を一つまみ置いて一人ずつ手渡していた。
坊主頭もオカッパの浜子達は大歓声をあげ、石ころを砕く者にそのまま、まる齧りする者と個々に満面の笑みを浮かべ白い御飯に舌堤を打っていた。
ムシロの上は、静まりかえり浜子たちも誰一人として口を開く者は居らず、最後は夢中になって石ころと白い粉を飯の上に塗して箸を動かしていた。
その日の漁は昼飯後、夕方の3時ごろまで続き、乾いたワカメは次々に波打ち際にまとめられ、最後に残ったワカメを拾い集める頃には真っ赤な太陽が青い海を紅色に染めていた。
乾かされたワカメは船に折り重なるように詰まれ、ワカメの上からは幾重にもムシロが覆い、男衆と坊主頭の浜子たちは力を合わせるように「ギィィーボチャンッ! ギィィーボチャンッ!」と、船を漕いで太陽の中に自らを紅色に染めた。
砂浜を歩いて帰路に着いた女子衆とオカッパの浜子たちは、砂浜に漂う磯(ワカメ)の香りに「もう嗅ぎたくねえよぉー!」と、鼻を摘まんで「ジャリッ! ジャリッ!」と、足を前に進めた。
港に入った男衆の船を「まってました!」と、ばかりに大勢の初老男女の行商人たちが出迎え「ごぐろうさん!」と、労いの声を口々に掛け、磯舟が半分ほど引き上げられると、小さな秤(はかり)を出して勝手に、ワカメを取っては秤にかけ、帳面に書き込んでは男衆に現金を手渡していた。
太陽が沈みかけていると言うのに港は行商人で溢れ、次々に買い付けては背中の大風呂敷にワカメを入れ、次々に入る磯舟を追いかけるように右往左往を繰り返した。
赤かった太陽が沈み真っ暗になっても、港から人の声は止まらず磯舟を完全に陸(おか)へ上げた男衆と坊主の浜子たちは、ワカメがドッサリと詰まれた磯舟をそのまま離れようとして「大丈夫なんですか? まだこんなに残ってるのに…」と、問うと男衆は「あぁ、これは明日組合さ御ろす分だども、浜にゃ泥棒なんていねーはんでよぉー♪ 心配ねえから♪」と、辺りの磯舟を見渡すと、陸に上げられた他所の磯舟にも干しワカメがドッサリと積まれていた。
暗がりの中、陸(おか)に上げられた磯舟たちはどれもこれも、ワカメがドッサリと積まれているものの、誰一人として近寄る行商人も居らず無駄な心配だったと気付く。
男衆と浜子たちは、賑わう港を後に家路を急いだ… 「おおー! いい匂いだなあー!」と、家の玄関を開けた男衆が歓喜すると、囲炉裏の上には大きな鍋が用意され、浜子たちが「うおぉぉー♪」と、鍋の中を見て手を叩き大喜びしした。
囲炉裏の真ん中に、台所から運ばれた大なべから湯気と共に、浜三平汁(はまさんぺいじる)の匂いが家中(いえなか)に「パァー」と、広がると、浜子達は一斉に囲炉裏の自分の席へと正座し始め、おかっかー(母親)が、おとおー(父親)に「今日はご苦労さんでしたぁ♪」と、濁酒を湯飲みに注げば、婆(ばば)も爺(じじ)もみんな笑顔になった。
口々に「うめなぁー♪ うめえぇー♪」を繰り返し忙しく箸を動かす浜子達と、のんびり疲れを癒すかのように濁酒を飲む浜人(おとな)たちの癒しの時間も過ぎていく中で「プップゥー♪」と、行商人達を乗せた臨時のバスが集落からタイヤの音を遠のかせた。
早朝から暗くなるまで続いたワカメ漁は、布団の中でカイ(オール)を坊主頭の浜子に漕がせ、ワカメを引っくり返す仕草をオカッパの浜子にさせて夢の中で只管、只管……
静まり返った家の周りに「ゲコゲコゲコ… ゲロゲロゲロ」と、鳴いた蛙たちの声は、疲れ果てた浜子達に届くことは無かったようだ……
※浜三平汁の具はワカメ漁の時に獲ったワカメに付いて来た通称、お土産と言い、鮑にウニに螺貝も3種類と多く、ヤドカリに時には小さい蛸が混じることもあった。
※焦げ茶色した黒砂糖と白砂糖は当時、浜集落では高価なもので集落自体に入ってこない貴重なものだった。
また、3センチ角の1キレの黒砂糖は熊の出没する15キロ離れた隣街への徒歩での、お使いの代償として支払われることが頻繁だったことから価値が分るだろうか。
※白砂糖も貴重なものの一つで、黒砂糖ほどではないが黒砂糖1キレと白砂糖一握りの差はあった。
※ワカメ漁は生まれながらにして熟練した浜人や浜子でないと難しく通称、獲り・干し・拾いの仕事は素人では売り物にならない危険があって、銭を出して街から他人を雇うことはしなかった。
※本来獲った物は全てを組合を通す規則ではあったものの、街で高値で取引されるワカメは貧しい者や山里には届きにくく、行商を通じて流通を願う漁師達のささやかな気持ちだったのかもしれない。
◆◆◆◆◆62話
今日で十日、海が荒れて漁に出られない日が続く… 青かった海は黒ずんだ銀色に変わり、陸(オカ)寄りの岩場は渦巻く白波と気泡が風に舞う。
渦巻く荒波で岩場に近づくこと叶わず、浜里の食卓から海の恵みは姿を消し僅かに採れる山の恵みが添えられる。
毎日続くフキの煮物とアイヌネギ(キトヒロ)の炒め物に、強風で外に出られない浜子たちが家中で「ブゥ! ブウゥゥゥゥー!」と、屁を垂れると強烈なニンニクのような匂いを家中に漂わせ「こりゃぁ! 屁垂れる時は便所でやれっていってるだろぅ!」と、不機嫌な父親(オトー)に怒られて逃げ惑う浜子たち。
朝から晩まで、あちらで「プゥ!」こちらで「ブブブウゥゥー!」と、浜子の垂れる強烈な屁が、家に染み込んで行く。
やがて集落に夜が訪れ、家中にランプが灯されるものの「ぶぅ! ブビビビィィー!」と、浜子の屁は止まらずに、強烈な異臭に嫌気をさした爺(オドー)が「まずまず臭ねぇのぉぅー」と、顔を顰め立ち上がり、戸棚から茶色い壷と酒の入った土瓶を手に「どっこいしょ!」と、囲炉裏の前に座ると酒を湯飲みに注ぎながら「コリッ! コリコリコリ」と、歯切れの良い音を俄かに放った。
歯切れの良い音の間に「ぷはぁぁぁー!」と、合いの手を入れるように酒で喉を潤し「カリッ! コリッ! コリコリコリ」と、心地よい音を静まり返った家中に響かせると「ありゃりゃりゃ、まだ食ってるのかや~♪」と、浜子の父親(オトー)がオドーの横で胡坐をかいて座った。
オドーの湯飲みを横から「ヒョイッ!」と、待ち上げると「ゴクゴクゴク… ぶはぁ! うめえぇー!」と、オトーも「コリコリコリ… カリカリカリ…」と、心地よい音を発した。
並んで酒を飲みながら「コリコリコリッ…」と、音出す二人に「まぁまぁー♪ よく食えるもんだのおぅ♪」と、婆(ばば)が囲炉裏差し向かいに座ると、オドーが「坊ーたちのが臭くて臭くてのおぅ♪ ついつい、これ食うてしまうべ~♪」と、一粒「ポンッ」と、口に放り込むと「カリッ! コリッ! コリコリコリ」と、婆の前で笑みを見せた。
オドーとオトーが並んで「コリコリ」と、音を出していると「これどうぞ~♪」と、浜子たちの母親(オカー)が小皿に白砂糖と竹串を数本持って来て二人に手渡すと「ほほおぅー、こりゃいい♪」と、嬉しそうに一粒ずつ串に刺して白砂糖を少し塗すと、囲炉裏の上の渡し網にそっと乗せた。
渡し網の上で焼き団子のように並べられたものから「ブツブツブツ」と、湯気が昇り甘辛い匂いが辺りに漂うと「オドー! オトー! オラも食いてぇー♪」と、突然、浜子たちがオドーとオトーを後ろから取り囲んだ。
するとオドーが「ダメだダメだダメだってばぁー! お前達さ食わせたら、まんだブップカブゥーっとなるはんで!」と、言いながらもブツブツと渡し網から漂う甘辛い匂いに「しかたねぇなぁー みんなで一本だけだはんでなぁ!」と、浜子達に一本、小皿に乗せた。
一杯の酒の肴だったはずの、ニンニクの味噌漬けと醤油漬け、そしてそれらを串に通して白砂糖を塗した串焼きは、浜子達にアイヌネギ(キトヒロ)以上の悪臭を放つ結果を招いたものの、後に浜子達に弟妹が一人加わったのは言うまでも無い。
浜集落では毎年のように訪れる嵐の月が、誕生月だと言う浜子は少なくない……
山からの恵みである山フキとアイヌネギ、そして前の年に漬け込んだニンニクの味噌と醤油漬けが浜集落を元気づけていることは間違いないようだった。
◆◆◆◆◆63話
ゴムの短靴を履いた浜子たちが靴を「ペタペタ、ペコペコ」と、鳴らし、手にはお気に入りだろうか棒切れを持ち、半ズボンに半袖、そして全員が丸坊主と言う井出たち。
風呂敷に包んだ学校の教科書を持ち、他人の家の前に干してあるスルメイカを誰かが一枚拝借すると、次々に周りの浜子たちもスルメイカに手を伸ばす。
大人の背丈ほどの丸太が二本、五メートルほどの間隔で立てられ、山吹色の藁縄を両端に縦30センチ間隔で結わえられていて、そこにスルメイカ半折状態で干されている。
そんな浜子たちの行動を見ていて何も言わない浜家の家人たち… 勝手に物を盗っているのに一言も怒る気配がなく、周囲を見回すとスルメイカばかりか台に乗せられて天日干ししている魚にまで手を出す浜子たちの姿も窺える。
育ち盛りの浜子たちとは言え、他人の家の物を盗ると言うことに怒りを表さない家人たち… 挙句に浜子たちは教科書の入った風呂敷を、干してあるスルメイカの下に積み置きすると何処かへ消えてしまった。
五十枚ほど干してあったスルメイカは四十枚ほどに減り、それを見た浜家の家人は、うな垂れる様子もなくスルメイカを引っくり返して家の中へと消えてしまった。
お天道様が西に傾き集落を赤く染めても浜子たちは戻る気配がなく、風呂敷に包まれた教科書もそのまま、更に時間が経ち、お天道様の代わりに、お月(おつき)さんが集落を照らしはじめた。
翌朝、置き去りにされた教科書が心配になって早起きして見に行くと、既に風呂敷は跡形もなく消えていて、戻ろうかと「チラッ」と、スルメを盗られた家の前に目を向けると、小さなムシロが掛けられた木箱が玄関の前に置いてあった。
なんだろうと近づいて、そっとムシロを避けて見ると木箱の中に、ウニ・鮑・ワカメに昆布と40センチはあろうかと言う魚が二匹入っていた。
一体、誰が? と言う疑問が愚問だったことに気付くのに時間はかからなかった… 集落の家々から聞こえる笑い声の中に「昨日! 地蔵様が来てくれたんだわぁ~♪」と、大喜びする浜家の女子衆…「ほお~ どらどら見せて見ろ! こりゃぁ、良いものもらったのおぅ~♪」と、浜家の男衆の声。
浜集落のアチコチから聞こえて来る地蔵様と言う呼び名… 耳を澄まして良く聞くと「浜子地蔵…」と、言っているのがわかった。
浜の集落に突如出没する浜子地蔵様の正体を知ってか知らずか、今日もスルメイカや魚を干す浜家は後を絶たなかった……
※浜子地蔵は食べた分の十倍以上の返しをすることで、有名な実在する地蔵様たちの集団である。
※子供は集落の宝、血筋に関係なく集落で育てると言う、今では貴重な文化だろうか。
◆◆◆◆◆64話
魚を終え沖から帰る浜人(りょうし)達と入れ替わるように、家を出て学校へやって来る浜子たち… 始業の合図は「カラァン~ カラァン~ カラァン~♪」と、聞こえる手振りのベルの音。
ベルを持った先生が校内の廊下を音頭をとる様に上下に振ると、廊下に居た浜子達は一目散に教室へと駆け込む。
先ほどまで楽しげな浜子達の声で溢れていた校内は一瞬にして静まり、教科書を持って廊下を歩く先生達の足音だけが校内に響き渡る。
教室の引き戸が「ガラガラガラー」と、音を立てて開くと七三分けの頭にヨレヨレの背広を来た先生が、険しい顔で黒板の前に立つ。
僅か6人程度の生徒を前に、顔をキリっとさせて「おはようございます」と、先生の声が狭い教室に響くと「おはようごいます!」と、元気いっぱいの浜子達の声が先生へと届けられた。
校舎を囲む松林で羽を休めるカラスたちも、先ほどまで「カアー カアー」と、鳴いていたのをピタリと止め窓の向こうから教室に見入っている。
雲一つ無い澄み切った青い空の下、薄暗い教室に届けられる静かさという音の無い音が「ヒリリッ!」と、張り詰めた空気を漂わせると「えー! 本日は土曜日! 天気もいいしラジオの天気予報も晴天だと報じていたことから! 本日は課外授業と言うことで海へ行く!」と、目の前の生徒達を見回しながら口元を緩めた先生に「わああぁぁぁー♪」と、一斉に席を立って大喜びする浜子達。
教室の6人の浜子達は「何処行く? アソコがいい♪ いやあっちだろ♪」と、顔を見合わせ相談を始めると「さてさて、今日は何処の浜へ連れて行ってもらえるのかな~♪」と、嬉しそうに浜子達に声を掛けると「先生! アソコの浜はねぇ♪ 浜昼顔が薄い桃色(ピンク)でとっても綺麗なんだよおぅ♪ アソコの浜がいい♪」と、傍で微笑む先生に駆け寄るオカッパ頭の浜子に「よし! 前回は男子の意見を取り入れたから♪ 今回は女子の意見に従うことにしよう♪」と、浜子達の顔を一人ずつ見た先生に「先生! アソコは砂利浜だから、なーんも食うものねえんだよー!」と、駆け寄る坊主頭の浜子に「それは困ったなぁ…」と、一瞬、顔を曇らせた先生。
すると別の坊主頭の浜子が「途中の岩浜で獲っていけばいいべぇー!」と、せり出すと「うんっ! そうしようか♪」と、首を大きく振る先生。
運動靴からゴム長靴に履物を替え、頬かむりした上から麦藁帽子深くかぶった先生の手に、浜子達の小さな手が我も我もと群がった。
岩浜で昼のオカズになるウニ(ノナ)をブリキのバケツいっぱいに獲り、天秤棒に二つぶら提げる坊主頭の浜子と、小岩を起こして捕まえた磯カニの入った小さなバケツを持つオカッパ頭の浜子に、先生の好物でもあるワカメを網袋に入れ担ぐ坊主頭の浜子。
中でも一番、大汗を流しているのは先生が学校の裏山の畑で採ったジャガイモの入った袋を「うんせ! うんせ!」と、持ち運ぶ坊主頭の浜子。
集落から岩浜まで20分、岩浜から砂利浜まで砂を上を30分と浜子達は意気揚々としているのに、先生は既に息が上がっているようだ。
まるで砂漠の旅人のように前屈みになって、生徒達に励まされながらようやく、浜昼顔の砂利浜に到着すると「うわあぁ! こ、これは!」と、砂利の浜、一面を山側から覆う浜昼顔に圧倒された先生。
両手を「ダラン…」と、下げ立ち尽くす先生が「綺麗だあぁ~」と、一言漏らすと、腰砕けしたように砂利の上に尻餅をついた。
傍で満足げに先生に見入るオカッパの二人の浜子と、そんなものにお構いなしとばかりに、焚き火の用意に追われ薪集めに忙しい坊主頭の浜子たち。
◆◆◆◆◆65話
砂利浜に広がる昼顔の真ん中で、仰向けで空を眺める先生とオカッパの浜子達から波打ち際まで30メートルほどだろうか、その中間に集められた紙や木片は高さ60センチほどに積まれた。
焚き火の準備の終わった坊主頭の浜子達は、砂利の中に埋まる手頃な石を拾い集めせっせとカマド作りに追われるものの、群生する昼顔の中に横たわる先生は構うことなく只管、只管……
先生の両側で添い寝していたオカッパ頭の二人が「ヒョイ」と、上半身を起こすと「タッタタタタッ」と、坊主頭たちの方へと駆け出し「出来たかや?」と、オカッパ頭が坊主頭に聞くと「あぁ、出来たべゃぁ!」と、額の汗をタオルで拭う坊主頭たちは、オカッパ頭たちにカマドを引き継いだ。
石をUの字に積み上げた外側を小砂利で覆い、更に砂利の上から砂で覆う… 口の開いてる方から奥を覗くと直径3センチほどの、流れついたであろう竹が数本、口をあけて顔を出している。
ちゃんと竹の中が坊主頭に依ってくり貫かれているかを、オカッパ頭たちが入念に確認すると「中々、いいカマドだな♪」と、坊主頭たちを下から見上げるオカッパ頭の二人は嬉しそうだ。
満足げな顔するオカッパ頭に褒められた坊主頭の一人が、スボンのポケットから「ホレ」と、マッチを手渡すと坊巣頭たちは「したら」と、その場を離れ波打ち際を遠くに見える岩場を目指して歩いて行った。
坊主頭の浜子たちが居なくなると、オカッパの浜子たちはカマドの下に引いてある平らな石の上に、海の水で洗ったジャガイモを間隔を取って並べると、その上から「パラパラ」と、砂を塗し芋を覆いつくし、その上から焚き火の材料を掛けマッチで火を点けた。
拾い集められた焚き付けは「パチパチッ」と、音をあたりに響かせ「ユラリユラリ」と、炎を躍らせると浜子の二人は小さな木片、中位の木片と手際よくテントのように並べると、炎は次第に大きくなり90センチほどのカマドは「パチパチッ」から「バチッバチッ」と、音を変え燃え上がった。
遠くの岩場で動き回る坊主頭の浜子たちから、届けられる大歓声に聞き耳を立てるオカッパたちは、波打ち際に座りカマドを「チラチラ」と、気にしながら沖の上を飛ぶ白いカモメを目で追った。
カマドの炎が小さくなる度に、カマドに薪を入れに行っては波打ち際に戻り、戻ってはまた薪を入れに行くを繰り返すオカッパたちの額にも汗が滲んでいる。
浜昼顔の真ん中で横になった先生も、よほど心地よいのか就寝の様子… オカッパたちが「ソオ~」と、近づくも目を覚ます気配なく顔を見合わせてニッコリするオカッパたち。
空を見上げたオカッパの一人が「そろそろ昼だのぉ~」と、お天道様を時計に見立てると「パッ!」と、目を覚ました先生が「昼になったか~♪」と、むくっと起き上がり照れ笑いする。
遠くの岩場にいた浜子達も時計を見たのか、手になにやらぶら提げて向かって来る姿が見えると「先生♪ 土産獲れたみたいだぞ♪」と、先生の顔見たオカッパ二人が「ニッコリ」と、口元を緩め「おぉ♪」と、目を大きく見開いて嬉しそうな顔を見せた先生。
向こう側から来た浜子たちが「ホレ! 土産獲れたべゃ~♪」と、50センチはあろうかと言う「アイナメ」を先生に見せると波打ち際に立てた棒にしっかりと括りつけた。
波打ち際から戻った坊主頭たちが、オカッパ二人に「腹減ったべゃ~」と、口をへの字にして見せると「あぁ~ もう出来てるぞぉ~♪」と、炎の弱まった焚き火の下から芋を棒切れで取り出すと、再び薪を入れ火を起こした。
◆◆◆◆◆66話
薪を居れ火を起こすと石積みのカマドの側(がわ)に、黒いトゲがウネウネ動くウニを殻ごと乗せ、炎の舞い上がる薪の上に鮑を一つずつ放り投げる。
舞い上がる煙に混じる磯の香りが漂うと「食うべ♪ 食うべ♪」と、目を躍らせる先生と砂利の上に腰を下ろす浜子たちに「ワカメ、ワカメ」と、口元緩めて辺りを見回す先生に「ちゃんあーんとあるってぇ♪」と、心配するなとばかりにオカッパ二人が生ワカメを先生に手渡す。
渡された生ワカメを焚き火の炎に何度か振ると、焦げ茶色だったワカメは見る見る、キレイな緑色に色を変え濃厚な磯の香りを回りに伝えた。
次々に焼きあがる鮑を棒切れで刺しては、カマドの前の板の上に並べるオカッパ二人と、喉をゴクっと鳴らして焼きワカメを頬張る先生、焼きあがった芋の皮を向いて先生を見て嬉しそうな顔を見せる浜子たち。
剥き終えたクリーム色した芋から立ち上る白い湯気を「ふうぅー! ふうぅー!」と、息を吹きかけ冷ましては「はぐッ!」と、一口食べた浜子たちから「うめえぇ~♪」と、歓声が沸き起こり先生の方を一同振り向けば「はふはふはふ!」と、好物の焼きワカメに全力を尽くす先生の姿。
カマドの側で黒から白の混じる薄茶色に変化したウニを、棒切れを使って浜子たちが引っくり返し白いヘソをグイッと棒で押し込めば「ジュクジュクジュク」と、甘いウニの焼けるにおいがして白い湯気が舞い上がる。
焼きワカメを右に、焼き鮑を左に大忙しの先生を見ては、目をまん丸にして顔を見合わせる浜子たち… 芋を食う手を休めては「先生ー! 慌てんでも先生が全部食ってもいいからぁ~♪ あっはははは♪」と、浜子達に背中を叩かれて「おっ! いやあぁー参ったなあぁー♪」と、大笑いした先生。
焼き芋の皮で手を黒くした浜子達は波打ち際で「ジャブジャブジャブ」と、横一列で手と口元を洗うものの、先生は一人で黙々と海の幸に舌堤をうち、冷めて丁度良くなった芋を頬張っては次は何を食おうかとカマドを見回していた。
口元と手を真っ黒に染めた先生は「ひやぁー 食った食ったぁー♪」と、ゴロンと胡坐から後ろに倒れ「もう何にもいらん! こんな御馳走食えて幸せだあぁ~♪」と、空を眺めて人の歓喜した。
カマドの焚き火も消える頃、先生を真ん中に横一列に仰向けになって昼寝する浜子たちも暫しの休憩… 半時ほどした頃「ムクッ!」と、起きた先生が「よし! みんな写真撮るから花の前に並べ!」と、口元を芋の炭で黒くした先生が立ち上がった。
泥棒ヒゲのような先生の顔見て「あっひゃひゃひゃー♪」と、腹を抱えて大笑いする浜子たちに「こらこら、終わったらちゃんと洗うから♪」と、照れ臭そうに微笑む先生。
横一列に浜昼顔の前に整列した浜子達を何枚かカメラに収めると「よっしゃ! 次はこれだ!」と、周りの浜昼顔の花を「ブチッ! ブチッ!」と、もぎ取って「ほら、これみんな一つずつ持ってよ!」と、浜子達に渡そうとした瞬間!「うわあぁぁー!」と、一斉に大声で驚きの声を発した浜子達に「どっ! どうした!」と、浜子達の声に驚いた先生が慌てた。
すると、坊主頭の浜子の一人が「おい! 帰り支度するぞ! 急げ!」と、慌てると「うん! そうだ! 急げ!」と、口々に帰り支度をする浜子たちに「ど、どうしたんだ!?」と、両手を広げた中腰の先生が浜子達を見渡した。
帰り支度を始めた浜子の一人が「先生、浜昼顔摘んだら、ダメだっていたでねえかぁー! 忘れたのかぁー!」と、少し憮然とした表情で答える浜子に「あぁぁー! あれかぁー♪ 迷信… 迷信だったってぇー♪ あっはははは♪」と、両手を腰に当てて大笑いする先生は更に「今日は快晴だってラジオの天気予報も言ってたぞ♪」と、帰ろうとする浜子達に余裕を見せて言い聞かせる先生。
そんな先生を気にも留めず、浜子は波打ち際の魚を先生に手渡すと「いくどー!」と、全員に声掛けると「スタスタ… ジャリジャリ…」と、帰路につき「おぉーい♪ まったく迷信だって言ってるだろうにぃ♪」と、先生は砂利浜に腰を下ろして空を見上げた。
浜子達は先生を何度も手招きしては帰路を急ぎ、港が大きく見える辺りに来ると空を見上げ「急げ! くるどお!」と、声を少し大きく発すると、あれほど晴れていた空は見る見る間に黒い雲で覆われ、明るかった周囲を薄暗くした。
空を見上げた浜子達は「うわあぁぁぁー!」と、大声を発して一斉に走りだすと「ピカッ!ゴロゴロゴロ!」と、激しい雷が地面に響き「それえぇぇー 急げえぇー!」と、声掛けて浜子達は港の端っこにある小さな浜人(りょうし)の浜小屋へと辿りついた瞬間!「ドオオオォォーン! ゴロゴロゴロゴロォォー! ピカッ! ザザザザアアァァァー!」と、激しい雷(いかずち)と共に激しい雨が集落に襲い掛かった。
あわやの所で浜小屋に入った浜子達が心配そうに、小屋の窓から先生の居る方角に見入ると「ドン! バタン!」と、浜人(りょうし)が入ってきて「お前らがっ! 浜昼顔さイタズラしたのは!」と、仁王様のような顔して浜子達に拳を振り上げた! そこへ「ドンッ! バタン!」と、全身ずぶ濡れで入って来た先生が「申し訳ありません! 私なんです! 子供達から聞いていたのに… 申し訳ありません!」と、何度も浜人に深々と頭を下げ詫びると先生。
浜子達の前で散々、浜人に説教された先生は意気消沈し只管、浜人に頭を下げ続けた… そして雨も上がり浜人が再び外へ出て行くと「先生… 戻ろうよ…」と、浜子たちに言われ「うん…」と、ショゲながらビショ濡れのまま浜小屋を後にした。
学校へ戻った先生は、まだ迷信だと思っている節があり戻る早々に浜子達を帰宅させ、左右の隣街の学校へ職員室に一台しか無い壁掛け電話から連絡を取ったと言う… そして「えぇぇー! そんな馬鹿な! そ… そんな…」と、何やら顔色を変えたと言う。
翌週の月曜日、学校へ登校した浜子達が教室へ向かう廊下にある、学校便りと言う掲示板に目を奪われた…「浜昼顔にイタズラしたり摘んではいけません」と、書かれた一枚の注意書きだった。
後に聞いた話では、浜子達が休みの日曜日に先生は集落の家を一軒ずつ訪ね歩き、謝罪して回ったと言う……
※今も残っている迷信… 果たして迷信かどうかは知る人ぞ知ると言うことだろうか。
※ウニのヘソ(白い歯の付いた口) ※ワカメに火を通すと綺麗な緑色に変わり焚き火で焼いて食べる
※電話(壁に本体と通話する湯飲み茶碗のような物があって、本体のクランク棒を回して発電し相手先(電話局)のベルを鳴らす仕組み)
◆◆◆◆◆67話
浜集落の左側、外れの方から磯浜へ降りる絶壁は草木に覆われ、その中に太い綱が一本垂らされている。
以前、浜子たちが浜人(りょうし)からウニを御馳走になった、あの浜の辺りから浜人たちの声が風に乗り、離れた集落へと運ばれて来る。
お天道様も上り始めの午前9時、浜人たちの声が賑わうものの浜家の殆どは、戸締りを厳重に晴れているのに雨戸で窓や戸口を塞いでいる。
奇妙な光景に、誰かに物を尋ねようにも集落には人ひとりおらず、風に伝えられる浜人たちの声の方へ「一体何が…」と、歩みを始める。
集落の端から下の浜を見下ろせば、浜人たちが腕組みして全員が同じ方向を見て、何やら語らうのが解かるもののハッキリとは聞こえず、風に乗って舞い上がる声に耳を澄ました。
すると風に伝えられた浜人が口々に「親父はどごだべ… 親父はアソコだ! 親父は今日帰るべかのおぅ~」と、何処かの父親のことを案じているようだった。
しばらく上からその光景を見ていると「来た来た! ホラ、アソコだ!」と、誰かが少し大きな声で話すと「うおぉぉー! 居た居た!」と、全員の声が重なった。
浜人たちの指さす方向はこの場所からは見えない… 何とか見ようとするものの覆う木々と左側に聳える断崖が邪魔して何も見えない。
と、暫くすると突然! 下にいる浜人たちが「走った! 走りだしたぁー!」と、一斉に声を発すると「うわあぁぁー!」と、下へと垂れ下がる綱に掴まって、覆う木々の中の絶壁を浜人たちが登り始めた。
絶壁に育つ木々は左右に大きく揺れ、上から垂らされた太綱は「ギシギシ」と、音を風に伝え「そりゃぁー! もう少しだあぁー!」と、一人、また一人と上へと這い上がって来た。
這い上がってきた浜人たちは両膝に両手を当て「はぁはぁはぁ」と、肩を揺らして荒い息を整えると「ほらあぁ! アンタもグスグスしてねえで港(浜)さ行ぐどぉ! 急げ!」と、這い上がった浜人達は一斉に集落へ、そして集落から港へと一気に駆け下りた。
何が始まったのかと、うろたえていると「ホラホラホラァー! アンタもい急がねえと!」と、声に引き摺られるように港へおりると「ドドドドドオォォォーン!」と、船着場に浮かぶ漁船が一斉に、黒い煙を上げ機関音を空に轟かせた。
黒い煙で港の中は覆われ、暫くして空気が澄んで来たと思うと、船の上には大勢の男衆から女子衆に浜子たちが重なるように乗りあっていた。
たどたどしい雰囲気の中、一艘、また一艘と機関音を轟かせ船が港を出る中で「アンタァー! 置いていくどおぅー! 早く乗れぇぇー! 親父が来てるがらぁー!」と、凄い形相で怒鳴る浜人。
船は「ドドドドドオォォーン!」と、黒い煙と音を轟かせると船体を前後に揺らし「バッシャァァーン! バッシャァァーン!」と、舳先(へさき)で海面を叩き青い海面に白い波を立てた。
大勢の浜人を乗せて沖に向かった漁船が、一塊になって舳先を集落側に向け機関音を小さくすると「おぉ、来た来た…」と、望遠鏡を覗く浜人が「今、地蔵様のとこ… お! 走った! 走ってぇ街の中ば歩き回っとるで!」と、望遠鏡を覗きながら無線で教えている。
舳先を集落に向けた船を見渡すと、大勢の船にコダマするラッパ(スピーカー)から流れる浜人の声が、幾重にも重なり響いているのが解かった。
青い海と澄んだ空の真ん中に浮かぶ船から、歓声が上がったのは一時間ほどしたあとだった。
※親父(熊)のこと
※山の親父さんは年に一度、自分の縄張りを視察に来ると言い、親父さんが来たら親父さんが気持ちよく御帰りになれるように浜人たちは街を明け渡すのだと言う。
※親父さんが街に滞在する時間が短ければ短いほど、その年は大漁に恵まれると言う言い伝えもあるようだ。
◆◆◆◆◆68話
浜集落にもタンポポの季節が来たようだ… 小石と土が絡み合って出来た固い道の両側の縁(ヘリ)に生える緑の草の中に混じるように黄色い花をつける。
集落の上にある学校の途中、グラウンドを囲う木で出来た手摺に頬杖を着いて集落を見下ろせば、左右に伸びる道にも下へ降りる道にも、はたまた十字路にも縁には眩しいほどの黄色い花が目を楽しませる。
道を飾るように咲いた黄色いタンポポを気遣い、馬車同志が狭い道を擦れ違う… 生きる物を粗末にしない浜人(はまんど)たち。
緑色(やま)と青色(うみ)と茶色(つち)しか無い浜集落に黄色(タンポポ)が仲間入りしたようだ。
◆◆◆◆◆69話
夜だと言うのにヤケに港が騒がしい… 月明かりと浜家から漏れる明かりを頼りに港の見える場所へと移動する。
浜から吹く風に浜人たちの声が乗り、集落へと運ばれると浜家の戸が次々に開かれ、心配そうに家人たちが浜の方へ耳を向け澄ます。
集落の外れに浜人たちが集まり、煌々と燃やされる魚火(いざりび)は、港のアチコチを炎が照らしその海面に炎が揺らめく。
左右の船着場のほぼ中央に位置する船揚げ場、港の中心部に一際大きな魚火があって、そこに右往左往する浜人の影が見え隠れし、浜から慌てて集落に上がってきた浜人が「お客さん! お客さんが来たはんでぇー! 仕度してくれぇー!」と、大声で浜を見下ろす浜人たちに告げ歩いた。
浜から上がって来た浜人の「お客さん」の声に、一斉に浜家の玄関に炎の灯るランプが掲げられ、夜だと言うのに浜集落は祭りのごとく「灯り」と言う賑わいを見せた。
集落の外れにある地蔵様を祀る(まつる)社の戸口が開かれ、中から煌々と外へと放たれた大きな炎のランプの光は、集落の何処からでも地蔵様の場所がハッキリと見えていた。
地蔵様の社の光が見えた瞬間、一斉に集落の明かりは玄関も家中も全てが消され、港の魚火と地蔵様の社の灯りだけが月夜を照らしていた。
半時ほどが経過すると、港から「チリ~ン、チリ~ン」と、鈴の音が聞こえ、その後から「ガタッ、ガタッ、ゴロゴロゴロ」と、手押し車の、木で出来た車輪の音がして大勢の浜人たちが、手押し車を囲み口々に楽しげに、手押し車の荷台に「さーさあー♪ 今から地蔵様のとこさ、案内するはんで♪ 何処さもいかねで、じっとここに乗っててくれよぉう~♪」と、大勢の浜人の楽しげな語らいが暗闇の中に手押し車と一緒に歩んでいた。
浜から上がって来た「チリ~ン、チリ~ン」の鈴の音は、手押し車の先頭を脇目も振らぬ浜人が、ゆっくりと鳴らしていて、その後ろから手押し車の荷台に「今日は、いい天気だったなぁ~♪ おかげさんでアンタさんにも御会い出来たのは何よりだったのぉぅ~ あっはははは♪」と、口々に楽しげに荷台に話しかける大勢の浜人たちは、集落を地蔵様の社の方へとゆっくりと移動して行った。
大勢の浜人たちと手押し車が通ると、集落の家々から家人たちが塩を持って来ては、家の周りに「迷わんで~♪ 安心して~♪ 行って頂戴ねぇ~♪」と、風に掻き消されそうなほど、小さな声で歌うように塩を撒いた。
手押し車が地蔵様の社に到着すると、浜集落の家々に次々に明かりが灯され、慌てるように女子衆たちが集落のアチコチから集まった。
◆◆◆◆◆70話
地蔵様の杜に集まった女子衆たちは、男衆によって運ばれてきたお客さんに「お疲れ様でやんしたのぉ…」と、口々に声を掛け「これから風呂さ入ってのんびりして頂戴ねぇ♪」と、荷台の上からお客さんを下ろすと、ムシロを引いてその上に「横になってて下さいな♪ あとはみんなでキレイに洗いますからねぇ♪」と、お客さんを労いながら寝かせた。
お客さんは、女子衆たちから最近のことや、集落での出来事を話して聞かされながら、温いお湯で全身をキレイに洗われると、女子衆たちが若い頃に着ていて、もう着ることの出来ない色とりどりのキレイな着物を着せられ「寒かったでしょう…」と、女子衆から声かけられ一枚、また一枚と数人分の着物を着せられた。
痩せ細ったお客さんは何枚もの着物を着せられ、化粧を施され髪もキレイに結われ、足には白い足袋も履かせて貰っていた。
1メートル程の高さに居る地蔵様の足元から、下へ伸びる算段の段差の上の二段目に、真新しい敷布団に枕、掛け布団が置かれ、そこにキレイになったお客さんに「今夜はここで、ゆっくりと疲れを癒して下さいねぇ~♪」と、女子衆から口々に声かけられた。
翌朝、浜集落に大柄で鼻の下に立派なヒゲを蓄えた軍服のような服装の巡査が、黒い立派な馬に乗り、地蔵様の社にいた浜人達から来客時の状況を大まかに聞き、同行させた付き人にお客さんの似顔絵を書かせた後、お客さんに深々と一礼すると浜家で朝食を馳走になり隣街へと戻って行った。
巡査が戻ったあと、男衆たちは集落から歩いて30分の墓地に向かい、同時に女子衆たちが家々から持ち寄った、生物を使っていない料理を次々に地蔵様の社に運び「どうぞぉ、食事の支度が出来ましたから、召し上がって下さい~♪」と、優しい口調で声をかけ供えた。
地蔵様の社の中は沢山の料理と花で、二十四畳間ほどの部屋は所狭しと埋め尽くされて行くと「アンタさんの事情は、なあーんも解からんけど、集落からの気持ちだから、楽しんで行ってくださいねぇ♪」と、一人また一人とお客さんに声かけていると「ガタガタガタ… ゴトゴトゴト… ヒヒイィーン! ブルブルブル…」と、社の外に馬車の音がして、社から女子衆が数人で迎えると「ほほおーぅ♪ お客さん楽しんでおられるようじゃのおぅ♪」と、紫の袈裟をかけ真新しい足袋を履いた、白い眉毛の僧侶が隣街から馬車で集落の浜人に連れられて来た。
僧侶は地蔵様の前で、深々と一礼すると「こんにちは♪」と、声を弾ませ笑みを浮かべながら社に入って行くと「隣街から来ました僧侶の○○と申します♪」と、寝ているお客さんとは別の壁側の誰も居ないところで自己紹介をしていた。
墓地から戻った男衆たちは、社の女子衆に声掛けると、女子衆たちが用意していた黒い半被を羽織った… 社の中の灯明が燈されると僧侶が「南無妙法蓮華経…」と、合掌し数珠の音を響かせると、僧侶・女子衆そして社の外に男衆の順に僧侶に合わせて経を唱え始めた。
朝の八時に始まった祈りは午後三時ごろまで続けられ、夕暮れの迫る中、棺に納められたお客さんは男衆の準備した墓地の外れの丸太の櫓に乗せられ、僧侶と浜人たちの見守る中で天へと旅立った行った。
浜集落では、何らかの原因で海原を漂う人を「お客さん」と、呼んで労わり労い手厚く葬るが、浜子はお客さんとは一切の接点を絶ち、神社の社の中に集められ神主と共に時間を過ごしていた。
そして、この年の浜集落は豊漁に次ぐ豊漁で活気付き賑わいを見せたが、この浜集落では古くから「お客さん」を大切にしていると言う話を聞かされた……
◆◆◆◆◆71話
男衆たちが漁に出かけている時、女子衆たちの殆どが家を空け歩いて30分前後の雑穀畑に出かける… モンペに白いゴム長靴を履き、藁で編んだリュックサックを背負い麦わら帽子に頬かむりと、遠くから見たら男衆にしか見えない様相。
到着すると、畑の端っこの草むらに隠しておいた犂(スキ)を、辺りを窺いながら手繰り寄せ、風の方角を確かめ吸えないタバコに火を付けると、指で摘まんで空に向ける。
タバコから立ち上った青白い煙は、浜の方角から流れた風に乗って草木の中に吸い寄せられるように消えていく… 呼吸を整え辺りに聞き耳を立て畑の周囲の草木の方向に見入る。
風にザワツク草木の音の中、激しく鳴くセミたちと、山鳩の鳴き声を聞き分けると同時に、地を駆ける小動物生の足音を目で追うと、空を見上げながらカラスの行方を目で追い「ホッ…」と、一安心する女子衆。
タバコが燃え尽きると、入念に消えたことを確かめ50キロはあろうかと言う、犂を「ヒョイ」と、肩に担いで畑仕事に向かった。
浜から吹く風にタバコの煙を乗せ、人のいることを山の親父(クマ)に知らせ、クマを嫌い攻撃するカラスの居場所で、自分の周りにクマが居ないことを知る、自然と対話の出来る仙人のような女子衆は明日も、明後日も畑仕事に精を出す。
◆◆◆◆◆72話
麦わら帽子に白い手拭が、太陽の光に反射してキラキラと緑色の中をゆっくりと移動する… 山フキがバサバサと左右に揺らめき、遠くからでも何処へ移動したかがフキの葉の動きで解かる。
動く山フキの左側を流れる小川の音(おと)は、周りを覆う緑の中に溶け込み、その音色(ねいろ)を隠し通す。
キラキラ光る麦わら帽子は動きを止めると、その場に数十分留まり息を潜めるように微動だにしない。
浜集落を南に10分程度歩き、その道から沢伝いに四・五分歩くと足元の黒(つち)から太陽に温められた黒の匂いと、三つ葉の香りが立ち込め胸の辺りを山フキの香りが充満する。
小川の方角に顔を向け、山フキの中に屈むと「サラサラサラサラサラサラ…」と、微かに水の流れる音が聞こえ、少しずつ小川の方へ移動すると水の音は次第に大きくなって、ハッキリとその流れを感じることが出来る。
麦わら帽子はドンドン奥へ奥へと進み、姿は見えぬものの揺らめく山フキで、その場所を容易に知ることが出来る。
小川の縁(へり)は、石ころと砂と所々に水草が生え、右から左へと流れる川の勢いは緩てものの、時折「ボコッ! ボコボコボコ」と、段差から入り込んだ水が深みをえぐり音を出す。
水深は全体で一尺から一尺五分と言うところだろうか… 足元とは真逆には二尺ほどの深みがあって、その中を何かが勢いよく右往左往を繰り返すのが見える…「岩魚(イワナ)だろうか…」と、目を凝らして見入ると、気配を感じたのか水の中の物は動きを止める。
暫く「ジッ」として、動かずに見入ると「プウゥゥーン… ブブ… プウゥ~ン」と、やぶ蚊が耳元を掠める… やぶ蚊の羽音が気になって思わず「バサッ! バサッ!」と、手で払った瞬間、向こう側の水の中にいた物達は一斉に何処かへ消えて行った。
立ち上がって、ゴム長靴のまま小川の中に入ると、ゴム長靴伝いにヒンヤリとした水の温度を足に感じ、暫くすると額の汗も嘘のように消えていた。
川下に背を向け屈んで見ると、川伝いに奥の方から夏山の濃厚な匂いが水の流れに重なって流れて来る… 足元の石を持って引っくり返すと、大きな鋏を持ってウチワのような尾を上下に「バシャバシャ」と、激しく打ちつけるザリガニが、地味な色の川の中に赤を添えていた。
浜集落で川釣りを楽しむ浜人(はまんど)も良いものだと思った………
◆◆◆◆◆73話
遙か遠くの道から猛猛(もうもう)と、大きな土煙を上げ、まるで軍艦のごとく澄み切った青空の中に轟音を轟かせる物が見えた。
土煙は青い空に何本もの山吹色の煙の柱を天高く舞い上げ「ドドドドドオォォー!」と、澄んだ空気に小刻みに轟音を伝え「ここにいるぞおぉ!」と、ばかりに自らを主張する。
やがて土煙は浜集落へ何本もの土煙の柱を運び、轟音と地響きを集落に伝えると「ゴオォォー! ゴゴゴゴゴォー! ガタンッ! ガタンッ! ゴゴゴゴゴゴゴ…」と、轟音をトンビの鳴き声が聞こえる程に絞ると「ダッタッタッタッタッタ…」と、道幅いっぱいに、真っ黒い巨漢をゆっくりと中心部へと進めた。
集落のアチコチから黒い巨漢に浜人が笑顔で手を振ると、端から端まで数百メートルの集落の一本道は黒い大きな一つの巨体となった。
大きな黒が「ブルルルーン! プスプスプス…」と、馬の鳴き声のような音を立てて止まると、次々に連なった黒たちは同じ音を立て静まり返った。
浜子たちが学校から飛び出してきて、校庭から連なった黒を小さな瞳を大きく開いて「すげえぇぇー♪」と、口々に坊主頭たちが着物の裾を捲くり上げると「綺麗♪」と、オカッパ頭たちはにウットリする。
百台はあろうかと言う連なった黒は陸の軍艦と呼ばれ、一度(ひとたび)動けばその音を何キロもの彼方へその轟音と地響きを伝える。
大きなボンネットトラックの荷台に積まれた鉱石は「キラキラ」と、太陽の光に反射し高台から見下ろせば、まるで宝石箱のような七色を見る者に優しく伝える。
浜人たちは運転手達を労うように、お茶にお菓子で持て成し、情報交換に華を咲かせては、互いに白い歯を見せあっている。
奥深い山から運転手達の手を伝い渡された、山の恵みに感謝する浜人たちと、浜人たちから手渡された海の恵みに頭を下げる運転手達の一時(ひととき)の憩い。
先頭の黒い大きなトラックから「ブルブルブルッー! ドドドドドドオォーン!」と、大きな機関音が轟くと一斉に別れを惜しむように、手に手を取り合って最後の別れを互いに告げると、陸の軍艦たちは再び連なって集落をゆっくりと通り過ぎると「ドドドドドオオォォーン!」と、一際大きな轟音を立て、山吹色の煙の柱を何本も何百本と天高く舞い上げると「ブオォォォー! プププププウゥー!」と、警笛を鳴らして立ち去って行った。
大きな山吹色の土煙は、集落から少しずつ離れて行くと集落はいつもと変わらぬ様相に取り戻したが、いつもと変わらぬものが一つ… 集落の左右に伸びる一本道が太陽の光に「キラキラキラキラ」と、光り輝いていた。
近づいて見ると、道の両側にトラックから転げ落ちたのだろうか、鉱石が真珠のネックレスのように連なっていた。
昼はキラキラと白く輝き、夕暮れ時にはキラキラと赤く輝き、その美しさは遙か海の上からも見ることが出来たと言う。
◆◆◆◆◆74話
風一つない無風の朝を迎える… 外から壁伝いに枕元へ届けられる「ポチヤポチャ」と言う、屋根から落ちる雨音に目を覚まし、そっとカーテンを開けると雨で汚れの落ちた紫陽花の葉が、鮮やかな緑を曇った窓ガラスに映す。
軒下に並べられた木樽に屋根からの雨垂れが「ポチャ… ポチャン…」と、耳障りでありなからも、雨水の有り難みを知らしめる。
捲り上げられた布団の中から、丹前(たんぜん)だけを手際よく抜き取ると、温もりを逃がさぬよう手際よく畳に座って袖を通し、枕元に置いてある帯を腰に巻きつける。
手を伸ばして、枕元の水差しから湯飲みに注いだ水を、窓の外で葉を濡らす紫陽花をみながら「ゴクリ、ゴクリ」と、浜人は乾いた喉を潤した。
◆◆◆◆◆75話
浜集落から少し大きい隣街までクネって上り下りの多い山道が続く… 片道12キロの道は海面から数百メートルの高さに位置している。
静まりかえった山道の何処からか「カァーン! ゴォーン!」と、何かを打ち付ける音が山中に響き渡り、時折「ズドオォーン!」と、鉄砲のような音が木々の間を勢い良く擦りぬける。
雲一つない澄み切った青い空の下に居て、似つかわしくない音に耳を塞ぎ「キョロキョロ」と、音のする方向に顔を向けるものの方角が定まらず再び耳を澄ます。
乾いた道をゴム長靴を履きテクテクと青い空の下、左に大海原、右に緑豊かな山々を見て歩み始めると「カァーン! ゴォーン!」と、再び響く音に歩みを止める… 麦わら帽子に海からの微風が柔らかく当たり右側の草木が軽く風に葉を揺らす。
同じことを繰り返しながら浜集落から音のする場所を目指して歩むものの、沢伝いの道は右に向きを変え陽の光を遮る鬱蒼とした山道に突き進む。
仄かに草木の甘い香りが漂い昼間なのに孤独を感じさせる… アチコチに立てられている「熊出没」の看板が否応無く目に飛び込み、時折あたりを覗うよに耳を澄ますものの、沢を流れる小川の「サラサラサラサラ」と言う音が全てを掻き消す。
右から左に山道の進路が変わると、心なしか歩みが速くなり、アチコチから「パチッ! パチッ!」と、木割れの音がすると、途端に「ドキッ!」と、して立ち止まるものの辺りの様子を覗うこともなく、海の見える開けた場所に一目散に走り出す。
鬱蒼とした草木は「ネットリ」と絡み付くような蒸し暑さを漂わせ、何処までも追いかけてくる… 振り返ることなく真っ直ぐに開けた場所だけを見詰め只管歩くと「カァーン! ゴォーン!」と言う音が一段と大きくなり、驚いたものの歩みは止まらず開けた場所へ無我夢中。
先端部に到着し上に青空、正面に大海原を見れば海から吹く微風が心地よく襟元を通り過ぎ、沢の先端から来た道を振り返ると「真っ黒いモコモコした大きな四足の物」が、沢から駆け上がり道を横切ると山側の草木の中に駆け上って行った。
すると突然「カアァァーン!! ゴオオォォーン!」と、さっきとは違った大きな音が立ち尽くす場所の進路方向から聞こえ、歩みを一つずつ増やして行くと何やら人の声… 耳を傾けると進路方向の二つ目の沢の下あたりから草木を通じて聞こえた人の話声に「ホッ」と、胸を撫で下ろす。
沢の下をハッキリ見てみようと木に登ると、下からこちらを見上げた大勢の人たちが「おおぉーい! おおぉーい!」と、皆が大きな手招きをした…… 木から下りて急な沢の勾配の草木を避けて下へ下へと突き進むと、突然「ズドオォーン! キュウゥーン!」と、言う音が沢の草木を揺らした。
続きは次回
◆◆◆◆◆76話
突然の轟音は山々に響き渡り、下からの大勢の人たちの声を掻き消し、山鳩は驚いて鳴き声を止め辺りは静まり返った。
転がるように草木に掴まりながら下へ降りると「大丈夫だったがやー!」と、何やら心配げな顔して向かえてくれた大勢のヘルメットの男達は、グルリ取り囲み「まんず、アンタさんも物好きな人だない! こんだどごさ来てのぉ!」と、男達は上の方を指差して「アンタさんの後ろさ、親父(クマ)さん来とったはんでのおぅ!」と、猟銃を掲げた初老の男性。
聞けば、隣街からようやくこの浜集落に「電気」と言うものが来るらしく、一本ずつ「電柱」と言う大きな柱を立てて歩いていると言う男達の表情は険しく、山の親父(クマ)さんが頻繁に出没することから猟銃を持っては威嚇しての作業だと言う。
真っ黒くコールタールを塗られた8メートルほどの柱は、ロープを使って少しずつトラックから降ろされ、目的地では手掘りによって穴が掘られ、汲んできた水と砂と小砂利でコンクリートが練られ全てを手作業で一本ずつ立てて行くと言う。
草を大カマで刈り取り、根切りと言って草木の根を土を掘り起こしながら切ったところで、縦横1メートル、深さ2メートルから3メートル掘った後、掘った表面を、重さ50キロほどの丸太にロープを付けて、地表から何度も落として地固めをして砂を入れ平らに均した後、捨てコンと呼ばれるコンクリートを流し込み土台を作るらしかった。
道から鬱蒼(うっそう)とした沢の中にいて、やぶ蚊やハチに襲われながら親父(クマ)さんにも狙われると言う作業を、聞けばきくほど頭の下がる思いがした。
この山の男達はやがて浜集落に電気と言う新しい「道」を作るためにやり方は違えど、今日も何処かでやぶ蚊とハチに襲われながら、一本ずつ柱を立てているのだろうか。
◆◆◆◆◆77話
朝露の抜けたばかりの浜集落は活気に満ちている。 港(はま)から聞こえて来る漁船の音と浜人(はまんど)達の威勢の良い声が、空を舞うカモメの鳴き声に重なる。
集落の中心部、左右に伸びる道に黒く大きなボンネットトラックが数台並び、浜からの魚を積んだ馬車を待つ… 荷台に敷き詰められたヤマブキ色のムシロに、何度も木桶で水をかける運転手達とその様子を瞳を輝かせて見入る浜子たち。
大きなトラックを自在に操る運転手たちは、浜子たちの憧れの的… 運転手が水を撒けば撒いたで学校で話題になり、運転手が煙草(キセル)に火を点ければつけたで話題になるほどだ。
朝早くから隣街に用事のある浜人は運転手に朝ごはんを振る舞い、隣街への便乗を頼み、運転手はそれを楽しみに朝ごはんを抜いてくる者も少なくない。
獲れ立てのマグロにイカに鮑の刺身とワカメの味噌汁に、舌鼓を打つ運転手達の顔から笑みが零れる… 浜集落のもてなしに満腹になった頃、トラックに戻ると港から運ばれた馬車から次々に威勢の良い声を出し、トラックに積まれる魚を空の上から、羨ましそうに見るカモメたち。
トラックに便乗した数人の女子衆(おんな)達は、大きな唐草模様の風呂敷を担いで乗ると、大きなトラックは轟音を轟かせて、隣街を目指した。
一時間後、女子衆達はトラックから降りると運転手たちを後ろから見送り、大きな風呂敷を担いで1軒ずつ「わがめぇー! わがめはいらねぇーがぁー!」と、山人(やまんど)の家の玄関先で御得意さんに声を掛けると、待ってましたとばかりに中から女子衆が出てきて、楽しげな会話に声を弾ずませ、白い米を出と交換し始めた。
半日後、山集落で「乾燥ワカメ」を「白い米」に替えた浜集落の女子衆は、山の奥から来た鉱山のトラックに手を振ると「あめ色の美味そうなスルメ」を出して、海岸線を走る一日一本しかないバス停へと便乗した。
山の鉱山から来たトラックの運転手(おなじみさん)は、口に煙草ではなく、出来立ての「スルメ」に舌鼓を打ち、女子衆と世間話に華を咲かせた。
互いに名も知らぬ者どうし、住むところは違えど「気は心」で接していたと思う……
◆◆◆◆◆78話
一本、また一本と近付く電柱… 電柱の姿は緑に覆われその姿は見えないものの「バァーン! カァーン! コォーン!」と、言う鉄砲と丸太を打つ音は日を重ねるごとに浜集落へと近付き、浜集落の外れに浜人たちが集まり腕を組み微笑む姿が日に日に数を増やしていた。
浜子たちは音かするたび学校の窓から一斉に顔を出し、音の方向へ首を捻り、それを見ていた先生も「おいおい、今どの辺からだ!」と、慌てた様子で一段上の窓から顔出す。
そして、時折「バァーン! バァーン!」と、続けて二発の鉄砲の音がすると「熊だぁー! 熊が出たぁー!」と、教室の中で顔を見合わせる浜子たちと、腰を屈めて顔を青ざめさせる先生は「熊か?! 熊が出たのか!?」と、心配顔の浜子達の顔を見渡す。
三日に一度はボンネットトラックに積まれ、浜集落に運ばれて来る「大きな熊の死体」を、何度も見せられた都会から来た先生は浜子達に囲まれ「膝をガクガク」と、振るわせ、浜子達が「先生! 熊はここに来ねえから安心しなぁー♪ あっはははは♪ 熊は一年に一回しか街中さ来ないからさあー♪」と、先生の様子に談笑しながら先生を元気付けたが、一年に一度降りて来る「熊の話し」を聞いて先生は両手で頭を覆って身体を震わせた。
太陽が沈みかけた頃、集落に轟音を響かせ黒い大きなトラックが到着すると、集落の長(おさ)は熊の引渡し承諾書の署名を、浜人達の前で、電柱屋(でんきかいしゃ)の人達と交わしていた。
大きなトラックの荷台は夕日に赤々と燃えるように染まっていたが、荷台の上に横たわる大きな熊と小熊を見た浜子達からは笑みは消えていた。
浜人たちは荷台に上り小熊に見入る浜子たちを「ヒョイ、ヒョイ」と、抱きかかえては、荷台から慌てるように浜子達を降ろした。
この日の夕食(ばんげ)では、熊の話に触れる浜子達は居なかったようだった……
◆◆◆◆◆79話
寝苦しい夜の続く浜集落は、この日も朝から気温は25度を超え、学校裏の山々から上がった太陽が朝露を浴びた草木の雫(しずく)に照り付ける。
太陽の光は薄暗かった山々を這うように扇状に広がり、青い海と薄黒の砂浜、そして波打ち際をキラキラと眩しいほどに輝かせた。
山の親父(クマ)と暮らす浜集落の限られた中の畑に、緑色の茎が人の高さにまで育ち、重そうに薄緑色の葉に包まれたトウモロコシを「ダラ~」と、交互にぶらさげる。
畑の回りには「トゲトゲ」のついた「グスベリー」が、1センチほどの実を付け、見る者に「酸っぱさ」を思い起こさせる。
女子衆の胸ほどの高さに実った「馬キュウリ」は、お盆用だろうか、いささか貧弱に見えるのは時期まだ早しと言うところだろうか。
太陽に照らされて人も植物も海も空さえもが生き生きと見える夏、入り口の浜集落だった……
◆◆◆◆◆80話
いつもと何も変わらない浜集落の朝、港へ戻る漁船の機関音がドコドコドコと集落に響き渡り、賑わう浜人(はまんど)達の声が宙を舞う。
太陽が山から顔を出し辺りを這うように光を一斉に放てば、朝露で冷えた空気は一気に前日と同じ夏の温もりを取り戻す。
アサガオが日を浴びて次々に花びらを広げ、待っていましたとばかりにミツバチたちが何処からともなく現れ花びらを「チョンチョン」と、揺れ動かす。
港の方から「ガラガラガラ」と、木の車輪が音を響かせる荷台は、馬に引かれて集落の中心部を目指し、黒い大きなトラックの運転手たちは「今か今か」と、身を乗り出して様子を覗う。
いつもと何も変わらない浜集落の光景、浜子たちが学校へ到着すると同時に寝静まる浜集落に異変が……「お父ちゃんのためなら! えんやこーら! どすうぅん!! お母ちゃんのためなら! えんやこーら! どすうぅん!! も一つオマケにえんやこーら!」と、楽しげな歌が何処からか聞こえてきた。
突然の大声の歌は、寝静まった浜集落を覆い尽くし「どすうぅん!」と言う音は、地べたに響き渡り足元の鉢植えを「カタカタカタ」と、揺らした。
歌と音の方へと急ぐ途中、何度も繰り返される「お父ちゃんのためなら! えんやこーら! どすうぅん!! お母ちゃんのためなら! えんやこーら! どすうぅん!! も一つオマケにえんやこーら!」は、近付くにつれ歌声と地響きを大きくさせた。
大きな丸太が三本、三ツ矢のごとく立てられ丸太の天辺を港で使う艫綱が幾重にも巻かれ結ばれていて、浜子ほどの滑車に太い縄… 大勢の浜人が綱引きのように手に手に縄を持ち「お父ちゃんのためならー! えんやーこーらー!」と、力強く掛け声かければ、滑車を通された縄が太くて巨大な丸太を釣り上げ、浜人の横の木箱に立つ赤い旗を持った男が旗を振った瞬間、浜人の手から縄が一斉に離され巨大な丸太は「どおすうぅぅん!」と、轟音を立て地面に立てられた木杭を数センチ打ち込んだ。
箱の上に立つ男が「白い旗」を頭の上に靡かせると浜人たちは「縄」を持ち旗持ちが「お父ちゃんのためならー!」と、威勢よく声を張り上げれば、男衆、女子衆入り乱れた浜人達は縄を握り締め「えんやーこーらー!」と、引く手に力を込め身体を斜めに倒して足を踏ん張り「旗持ち」が白い旗から赤い旗を振りかざし「もう一つオマケにー!!」と、威勢よく声を張り上げれば浜人達は一斉に「えんやーこーら!!」と、縄を引き旗持ちが赤い旗を降ろした瞬間、浜人たちの手から一斉に縄が離され「どかあぁーん!!」と、丸太は木杭を打ちつけた。
そんな楽しげな歌声の中、箱の上に立つ男の後ろには「祝・○○地区電気開通」と、書かれた大きな看板と、一際ノッポの柱の天辺に「クス球」が紅白の襷(たすき)で吊るされていた。
この日の浜集落は太陽が沈むころまで、浜人達の歌声が電気業者の掛け声と共に海に山に空に溶け込んでいた。
※「ヨイト巻け」は監督の側から見た言葉であり
※「ヨイと巻き」は労働者の側から見た言葉であるが「ヨイト巻け」の方が広く歌などで用いられることが多い。
※区切ってみると解かりやすい「ヨイ! と 巻け!!」と、命令口調で口に出してみる
現場監督の側から見た命令用語であることが解かる
※ヨイト巻きは決して楽しい労働ではなく、むしろ重労働であり生きるための糧であったが安い賃金で男は漁から戻っての再労働
女は女を捨てて男になって全力で縄を握り締める過酷な労働であった
◆◆◆◆◆81話
暑かった一日が終わって夕日が沈むと、真っ暗な集落のアチコチから、揺らめくランプの光が、一つまた一つと漁火(いざりび)のごとく暗闇を染める。
風もなく浜家の一つ一つから「パタパタ」と、慌しい「ウチワ」の音が聞こえそうなほどに、静まりかえった闇夜の中で、景気付けと言わんばかりに「リリリリリ… リリリリリ…」と、虫の鳴く音(ね)が耳に心地いい。
窓を開け外に目を向けると、数軒の浜家で作られた共同の外風呂から「カコーン♪ バシャ! バシャ!」と、掛湯の音が零れ、月灯りに照らされた石積みの壁から涼(りょう)が目に優しく伝わる。
開かれた玄関と窓にかけられた竹蚊帳から、真横にランプの光が外に漏れ、外の花びらを閉じたアサガオを照らし、それを肴に杯(つかずき)を傾ける。
晩食(ばんげ)を終え、風呂に入り床に就くまでの間(あいだ)、集落のアチコチから聞こえ始める「トランジスタラジオ」からの雑音混じりの流行歌が闇夜を景気づけると、一瞬「リリリリリ…」と鳴いていた虫の音は静まり、時間を置いて再び「リリリリリ… リリリリリ…」と、安心したように鳴き始める。
外風呂からの帰りだろうか「御晩でやんす… あぁ御晩でやんした…」と、行き交う女子衆(おなごしゅ)達の一日を終えた声が聞こえた……
◆◆◆◆◆82話
「御晩でやんしたー♪ 御晩でございますぅー♪」と、集落もドップリと暗闇につかった辺り、まるで昼間のごとく窓にブラ下がる竹蚊帳の隙間から聞こえて来る浜人たちの会釈。
声の主は誰だろうとタバコの火の始末をして、小ランプ片手に奥の部屋から居間を通り玄関へと足を急がせると「いやぁー今日も暑いなぁ♪」と、またまた玄関の外から聞こえる浜人の会釈。
居間の柱に掛かったゼンマイ式の時計の針は午後9時を回り、人ひとりもいるはずのない外からの声… 小ランプを持ち玄関の方へ耳を済ますと「わいわいがやがや」と、大勢の浜人の話す声や楽しげな浜子たちの声が大小の波のように聞こえて来た。
「キツネに化かされているのでは?」と、そっと足を忍ばせて開いている玄関の竹蚊帳の隙間から、辺りを覗き込んで「どってんこいた!」とばかりに腰を抜かしそうになった。
蚊帳の外の真っ暗なはずの向こう側に、松明(たいまつ)を燃やしてもいないのに「煌々」と、揺らめくことの無い大きな妙な光が宙に浮いていて、その下に大勢の浴衣姿の女子衆と走り回る浜子たち、そして真ん中に置かれた木箱を囲むように、男衆たちが酒を酌み交わし談笑しているのが見えた。
「やっぱりキツネに化かされているに違いない」と、手にカマを持ち「ギュッ」と、握り締めると小ランプの火を小さく絞り床に置き「藁草履(わらぞうり)」を履いて、蚊帳から闇に紛れるように、一歩また一歩と近付く。
近付けば近付くほどに宙に浮いた光は大きくなって、真下に居る大勢の浜人たちの賑わう声が耳に楽しげに入って来る… 道路の向こうがにいる「キツネ共」に見つからぬように他人の家の軒下で身を小さくしてかまえる。
ジッと目を凝らして「キツネ共」を見据えると、手にカマを持って大笑いする見覚えのある浜人たちが何人も「キツネ共」から酒を振舞われ歓喜している様子が見えた。
みんな「キツネ共」を退治にきてそのまま「化かされた」に違いないと、息を殺して出番を待つ… 空の上の真ん丸いお月さんに雲が掛かった瞬間「てやあぁぁー!」と、カマを振り上げ「この悪キツネどもおぉぉー!」と、光の下で賑わうキツネ目掛けて突進した。
すると突然、こちらを見た浜人たちは「うわっははははははは♪ だっははははは♪」と、全員がこちらに指差して大笑いを繰り返した。
聞けば、6日後に予定されていた集落の真ん中に立てられた街灯の試験が、繰り上がって急遽、この夜にやることになったらしく、それを知っていた者は手に「酒」を、知らなかった者はキツネに化かされていると思いこんで、手に「カマ」を持って集まったと言う。
初めて集落に来た「電気」の光の下、集落の浜人たちは、大人も子供も夜が明けるまで、集落に来た新しい時代に感謝したと言う。
この日から集落には数本の街灯が立てられ、街灯の下には「電池式のトランジスタラジオ」と、酒を持った浜人たちが集ったと言う。
本来なら電気が来て「真空管ラジオ」が入ってくるはずの文明は、人々の環境に依っては電池式のラジオが先に来て、後から電気コード式の真空管ラジオの入る地域もあったと言う。
そして、この電気は浜集落の家々を炎の揺れるランプから、揺らめくことの無い電球にと替えていったと言う………
※集落では電気が開通すると村を上げての御祭り騒ぎになった
◆◆◆◆◆83話
毎夜のごとく集落の街灯の下で催される夕涼みは、漁から戻った漁師たちの憩いの場を港(はま)からそこへと移し、漁師たちの笑い声で溢れた港は閑散としている。
夜の暗闇を守ってきた船着場の大きなランプは姿を消し、集落から引かれた電線は何本もの電柱を経て電気で灯りを燈していた。
集落の街灯の下には、浜人達が山から切り出して作った大きな机と、長椅子が場所ごとに用意され、持ち寄った海で獲れた乾物を肴に「トランジスタラジオ」からの流行歌を聴きながら、酒を酌み交わしては「がっはははは♪」と、声高らかに笑う声が聞こえた。
街灯の近くの浜家からは、酒の後でと「浜海苔の握り飯」が差し入れられ、空腹で酒を飲む浜人(はまんど)達を大いに喜ばせた。
それから数日したある日、夕方から濃霧警報が出されていたのをラジオで聞いていた漁師たちは、日没前に早々に船を沖から引き上げてきていた。
濃霧は漁師達にとって「シケ」より恐ろしい自然の力とされ、腕のいい漁師でも濃霧の日は船を出さず、またの濃霧になることを知っていれば、早々に漁を終えて引き上げてくることになっていた。
真っ白い淡い濃霧に包まれ太陽も沈んで真っ暗な中、集落の街灯の下を見れば浜人や浜子たちの姿は無く、港(はま)から吹き上げる風に浜人たちの大声が集落に伝えられた。
耳を澄ましながら港へ歩いて近付くと「まんだ! みえねがあぁぁー!」と、誰かの大声が聞こえたと思うと「無線! 無線!」と、声を荒げる誰かの声に只ならぬものを感じた。
真っ暗な闇夜を包む真っ白な淡い濃霧の中、船着場に灯りが燈され何処かの船のスピーカーから無線の音声が流された…… すると「ピィー! ガガガーッ! 見えねえぇぇー! 港が見えねえぇぇー! ガガガガーッ!」と、切羽詰った漁師の声が港に響き渡ると「うわあぁぁーん! うわあぁぁーん!」と、心配して右往左往する家族達の声が港の暗闇にコダマした。
船が一艘、機関の故障で漁から戻れぬまま、夕暮れと同時に修理して戻ったものの、揺れる船の上からは濃霧の所為で陸地が見えず立ち往生しているらしかった。
港から何人もの漁師が来て「浜集落に灯りを燈してくれ」と頼んで回る姿がアチコチで見られると、集落は一斉にありったけのランプに火を燈した。
その瞬間「ピィー! ガガガガーッ! 見えだぁー! 見えだどおぅぅー!」と、港の一艘の船のスピーカーから仲間の船の無線が辺りり浜人たちを沸かせた。
濃霧の暗闇の中「ドンドンドンドン」と、弱い機関音が少しずつ港の方へ聞こえて来た時、浜人たちは一斉に船着場の先端に集まって「おぉぉーい! おぉぉーい!」と、沖に向かって叫び続けた。
船は港に入り船着場に船を寄せた時「なしてこんな薄い濃霧で港が見えんがったとぉー?」と、漁師の一人が血相を変えて聞くと「なんもかんもねぇー! こんだら灯りだら全然、とどかねぇ!」と、怒り露に港の街灯を指差した。
一度点灯すると同じ明るさを保ち続ける裸電球は、暗闇の中に栄えるが「揺らめく炎のランプ」と、違い例え淡い濃霧でも皆目見えないことを浜人たちは、身をもって解かったと言う。
翌日、港の街灯はそのままに、先端には一度は外された「ランプ」が、再び炎を「ユラユラ」と、暗闇に揺らめかしたと言う。
この数年後に点灯式の電球が開発されるまで、この「炎を揺らす油式のランプ「は大勢の漁師達の命を救ったと言う。
そして船の一艘ごとにも「非常灯」として「油のランプ」は、常に大切に保管されたと言う………
◆◆◆◆◆84話
朝から夏の小雨に包まれる浜集落は、ひっそりとポプラの木に甘露を忍ばせ、屋根伝いに大粒の雨垂れとなって軒下の乾いた土の上に滴り落ちる。
空はドンよりと雨雲が覆い、耳を澄ませば「カラン~コロン~」と、誰かの下駄の音が静まり返った集落の中に響き渡り、下駄の音に重なるように「バシャバシャバシャ」と、幾つものゴム靴の音が水をはねる。
幾つものゴム靴の「バシャバシャバシャ」と言う音に誘われ、傘をさす手に力を込めて歩みを速めると「カタン! コトコトコト… カタカタ… コトコト」と、言う音が大きな浜家の向こう側から聞こえて来る。
一度立ち止まってから、そっと足音を消すように音のする浜家の角へと近付く… 向こう側は大きな広場で、港(はま)から下げられた魚を入れる生箱(なまばこ)が大人の倍近くに積み重なっていた。
音はどうやら積み重なった生箱の向こうから聞こえ、音のするほうへと近付くと「カコンッ! カラカラ! カコン!」と、箱を積み重ねるような大きな音に変わった。
そっと気付かれぬ用に、積み上げられた木箱の角から様子を覗うと「うんしょ! うんしょ! ほらよ! あらさっ!」と、音頭を取る浜子たち数人が積み上げられた箱山とは少し離れた場所に、生箱を縦横に積み足して器用に家のような物をつくっていた。
手渡しで運ばれた生箱は高さ2メートルほどの箱家になり、最後に屋根として生箱を平らに乗せると「よぉし! 出来た!」と、組み立てハウスの周囲を「グルリ」と、見回し「よし!」と少し身体の大きい浜子が声を掛けた。
すると、一斉に入り口から中の方へと「わあぁぁー♪」と、楽しげな声を出して飛び込んで行った… そっと、箱家の隙間から中を覗くと、ムシロに座った浜子達の前で、少し身体の大きい浜子が何やら声に強弱つけて、薄暗い中で話しているのが聞こえた。
時折、中からは「うわぁぁー! おっかねえぇぇー! うあぁぁー!」と、恐怖にも似た叫び声が中で渦巻いた。
すると、道の向こうからオカッパ頭にスカートを履いた浜子たち数人が来て「うぉ! 出来とるぅ!」と、箱家を見つけると「うわあぁぁー♪」と、一斉に走りより入り口から中へと入っていった。
中からは男女の浜子たちの歓声と叫び声が聞こえ、箱家が揺れるほどに楽しげな浜子達の声は降り頻る小雨にも伝えられた。
薄暗い中で、みんなの前に立つ少し大きな浜子の強弱つけた怪談話しから離れられなくなってしまった。
後に浜人にこのことを聞いて見ると、港で使った生箱は大まかに洗われて集落の広場に運ばれて積み置きされるが、暖かい夏場の雨の時は遊び場として浜子たちが使うと言う。
小雨で生箱全体に水分を与えることで、生箱は自然に洗われ、そして乾燥から守られると言う。
夏の小雨の日には広場には大小、思い思いの組み立てハウスがアチコチに建てられ、中からは夏ならではの怪談話しに子供達の大歓声が上がっていた。
そして雨が上がった数日後には組み立てハウスは姿を消し、適度に水分を含んで漁師達の船に積まれたと言う。
大人と子供、共に厳しい集落で暮らす者は助け合っていることを知らされた気がする。 箱家の中から偶に聞こえる「臭えぇー! この箱家!」と、言いながらも怪談話しに聞き入る浜子達が何とも可愛らしく思えた。
親子代々伝わる子供の箱家作りは、浜集落には欠かせない大切な行事の一つだと漁師は語っていた……
◆◆◆◆◆85話
青い海に白波立てて港へと近付く発動機(ふね)を、負けるなとばかりに追う白いカモメは発動機の煙突から出る真っ黒い煙を避けるように、左へ右にと自在に宙を舞う。
港では仲間の船からの無線の音声が、喇叭(ラッパ)から流され、それに聞き入るように立ち尽くす浜人(はまんど)と、忙しく太い柱と屋根の下で生箱(なまばこ)を用意する浜人。
今日の漁(りょう)はどれ程どかと港を見下ろす高台で、寄港する発動機(ふね)を待つ老若男女、発動機が近付くに連れ機関音が「ドンドンドンドン…」と、辺りにコダマして集落を見下ろす山の草木に音が溶け込んで行く。
大きな屋根の下から、生箱を積んだ手押し車が船着場を目指して「カタカタカタッ!」と、木の車輪を回して駆けつけると「タッタッタッタッ」と、機関の力を抑えながら発動機が船着場の横へそして「ドオォーン! ドドドドドドオォーン!」と、重々しくゆっくり動いていた発動機が、真っ黒い煙を煙突から吹き上げた。
前に惰性で進んでいた発動機の後部から、激しく泡立つスクリューの「バシャバシャバシャッ!」と、言う渦が辺りに散らばるり、発動機はゆっくりし後進し始めた。
前に少し進んでは、後ろに下がりを繰り返し、徐々に発動機は船着場の古タイヤを軋ませて停船した… 停船したのを見届けると空の生箱を積んだ倒し車の傍へ横付けし、船から降ろされる魚の入って重くなった生箱を「ヨイィィーッセ! ヨイッィーセッ!」と、別の浜人たち数人が船着場に積み重ねると「ほらよおぉー! 児童子(わらんど)たちが洗った箱だはんでぇなー♪ いい具合だぁー♪」と、嬉しそうに船の上の浜人に声かけた。
適度に湿気を含み適度に干された生箱は、浜人から浜人へ渡され、船の上でバラ付くことなくキレイに積み上げられた。
魚の入った生箱は手押し車に乗せられ、四本柱の大きな屋根の下に運ばれると、高さ70センチほどの床へと押し上げられ、そこへ荷車を引く馬と浜人が「ニッコリ♪」微笑みながら横付けした。
馬車に詰まれた魚の入った生箱は「ガタガタ」と、踏み固められた道を揺れ「ギシギシ」と、軋む(きしむ)馬車の木の車輪に右に左に微動しながら、集落(うえ)の方へと蛇行する道をゆっくりと歩んだ。
魚を待っている黒い鉄の塊(トラック)は、前日積んで行った生箱を整理しながら、今か今かと馬車の到着を待っていた。
手押し車から馬車へ、そして馬車からトラックへと積み替えられた生箱は、空の上から見下ろす鳶(トビ)に見守られ街の市場へと運ばれて行った。
トラックから降ろされた生箱は手押し車に詰まれ、浜子達の遊び場を兼ねる箱積み場へと木の車輪の音を立てて行った。
※漁船を発動機(エンジン)と呼ぶ地域もこのころ数多く存在していた。
※児童子は「わらんど・わらしゃんど」と、呼ばれ通常「童」で「わらしゃんど」と、呼んでいた。
※生箱は「木の板で出来た箱」で、弾力性のある木を使用していた
◆◆◆◆◆86話
暑さで眠りと目覚めを繰り返し、ようやく涼しくなり「ほっ」と、一息ついて窓にぶら下がる竹蚊帳に目をやれば、薄っすらと夜が明けているのに気付いた。
ゼンマイ仕掛けの時計を見れば、長針は12を指し短針は5を指す朝の5時… 解かってはいるものの連日の暑さで眠れぬ夜を過ごしているせいか、時計を見ただけでは直ぐには思い浮かばない数字。
寝汗で湿気を帯びた煎餅布団が「ヒンヤリ」していて心地よく、起き上がっては何度か仰向けで煎餅布団に背中を着ける。
竹蚊帳の外から潮風が入り込み「サラサラサラ~」と、微音と共に竹蚊帳を外から内側へと押し付ける… 暑さと寝不足で火照った全身に心地よく風が馴染む。
背中から枕元に置いてある「浴衣」を「サッ」と、背中から纏い、左手に喫煙具(キセル)の入った細長い巾着、右手にウチワを持って寝ぼけ眼(まなこ)で、部屋を出れば灯りの無い真っ暗な廊下の床板が「ヒンヤリ」と、両足を涼ませる。
居間の窓から入る竹蚊帳越しの微風が、蚊帳の手前にある「風鈴」を「チリチリチリーン」と、鳴らし、涼しげな音を家中に流れ込ませる。
玄関に下り下駄に足先を通せば、土間(どま)の涼しさが腰下に纏わり付き何とも心地よい… 帯を緩めに巻きなおして胸元に風が当たるようにし「からぁーん、ころぉーん」と、下駄の音(ね)を、涼しくなった家の前から海の見える集落の外れまで鳴らし歩いた。
切り株に腰を下ろし港を見下ろせば「ユラユラ」と、月明かりを重ねた波間が右に左にと揺らめきを見せる。
ウチワを背中に回し帯と浴衣の間に挟みこみ、喫煙具(キセル)に、刻み煙草を手の平と指で「コロコロ」回すように形を整え、喫煙具の先っぽに「クィ」と、詰め込んで「マッチ棒」を、箱の火薬に擦れば「シュッ! ボウワアァァー! チリチリチリ!」と、火薬の酸っぱい匂いが顔の前に立ちこめる。
港から押し上げられた浜風は、斜面の草木の間を擦りぬけ、仄かに甘い香りを届けた… 風が来る度に浴衣の裾を緩やかに揺らした。
甘い香りが漂う中、一味違う煙草を楽しんだ……
◆◆◆◆◆87話
ギラギラと焼けるような陽射しの下、不揃いだったトウモロコシも実がギッシリとつまり、薄緑色で貧弱だった茎も太く逞しくその姿を、青い海を背景に輝きを見せる。
麦わら帽子の女子衆たちの口元が緩み、アチコチから歓喜な笑い声が飛び交えば、畑の隅で円を描くように坊主頭とオカッパ頭の浜子たちが「シャクシャクシャク♪」と、心地よい歯音を鳴らしていた。
刈り取られたトウモロコシの出来栄えを食べて貰おうと、畑主(はたぬし)達が持ち寄った「実のギッシリ入った生トウモロコシ」を、夢中で食べては「甘~い♪ こっちも♪ これも♪」と、満面の笑顔で畑主たちの顔を見て大喜びする。
浜子たちの笑顔を見て満足そうに頬を緩ませる畑主も、歓喜してホッペを膨らませる浜子達の傍で、トウモロコシの「茎」を丁寧に剥いて「ガブリ!」と、頬張れば「おっほほー♪ こりゃーええ出来だわ♪」と、茎の糖分を「チュパチュパ」と、啜った。
僅かばかりの浜の畑のトウモロコシの刈り取りの日、集落中の浜子たちが畑に集まる一年に一度の品評会、浜子たちの喜ぶ顔が来年の収穫を占う大切な行事らしかった。
そんな浜子達も腹が膨れて「一人、また一人」と、立ち上がると畑主に「めがったぁー♪ ごっちゃぁーん♪」と、元気一杯に声かければ畑主たちも「来年も頼むどおぅー♪」と、浜子達を見送っていた。
この日、実りを感謝し収穫されたトウモロコシは、海を守る神社と陸(おか)を守る地蔵さん、山を守る天狗様に供えられ、各家々では仏壇に感謝の印として茹でキビを供えた。
純真無垢な童(わらし)たちの笑顔と笑い声を、真っ先に浜から吹く風に乗せ、神社と地蔵さんと天狗様に供える伝統は今もあるのだろうか。
浜子達の笑顔こそが最大の供え物だと畑主たちは天を仰いで合掌していた……
◆◆◆◆◆88話
太陽の下でギラギラと照り返す、燻銀色(いぶしぎんいろ)した焼ける砂… 陽が上り、ゼンマイ仕掛けの腕時計が10時を示す頃、時計の針盤を覆うガラスが内側からくもり始める。
遠くの街からボンネットバスに揺られ遊びに来た、ハイカラ帽子をかぶった子供達が波打ち際で両足を「バシャバシャ」と歓声をあげ水と戯れる。
色鮮やかな浮き輪にくぐり、穏やかに青々とした海の上に白い波を立てて、子供らしい歓声と笑い声が辺りに響き渡り、砂の上に敷かれた「赤や青に黄色に白」のビニール製の敷物の上に腰掛けた親達が、笑顔で我が子に手を振る。
海に浮かぶ黒い岩場の上で「キョロキョロ」と、見慣れぬ子供達に驚いたのか、辺りを見回す白いカモメと、真っ青な空の上で「ピィーヒョロヒョロヒョロ」と、円を描き飛ぶ一羽のトンビ。
海水浴を楽しむ大勢の家族連れの後ろ側、広大な緑色した草木が上下左右を覆い、その中から「ミィーン! ミンミィィー♪ ミィーン! ミンミィィー♪」と、耳が痛くなるほどに繰り返し鳴き続けるセミ達の声は、歩いて30分の集落にも届くような勢いだ。
額から流れ落ちる汗を手拭で拭き取りながら、何気なく集落の方に目をやると「パシャバシャ」と、波打ち際を歩いてこちらに向かうオカッパ頭と坊主頭の浜子達の姿… どの顔には街の子供のような笑顔はなく、一点を見詰めるように只管歩いている。
街場の子供達とはまるで違う無表情、一人として笑み浮かべるものなく只管歩き続け、大歓声を上げる街場の子供達を見ることなく目の前の波打ち際を通り過ぎて外れの方へ。
無表情な浜子たちを異様とばかりに目で追う街場の親達と、見慣れた者達が来たとばかりに黒岩から浜子たちの傍の黒岩に飛び移るカモメ。
黒く大きな継ぎ接ぎだらけの「パンパン」に膨らんだタイヤのチューブを身体に「スッポリ」と収め、両手に大きな木桶を持って、波打ち際から徐々に深みへと移動する「オカッパ頭の浜子」に続けとばかりに、腰に鮑袋(ふくろ)の紐を「ギュッ!」と、縛りつけ片手に鮑鍵(かぎ)を持った坊主頭の浜子達。
膝下まで入ったところで、水中メガネを海水でよく洗い、そこに「ペッ!」と、ツバを吐きメガネの内側にクモリ止めを施し、浜子達は次々に海の中へと自らを沈めて行った。
オカッパ頭の浜子は黒いチューブをくぐり、両手で木桶を持ち「バシャバシャ」と、両足で水を蹴り上げ沖へ沖へと我が身を進め、その周囲に坊主頭を出して泳ぐ浜子の姿は、まるで貨物船を護衛する潜水艦のようだった。
沖へと出て行った浜子達の姿は遠くに小さく見え、それを陸(おか)で見入る都会の親達は皆、口をポッカリあれ驚きの表情をみせていた。
オカッパ頭の浜子が突然「ピイィィィー!」と、ホイスルを強く吹くと、周囲の坊主頭たちの泳ぎは「ピタリ」と、とまり、止まったかと思うと次々にダイビングが始まった。
一斉にダイビングした浜子達は「一分、二分、三分」しても上がって来ず、四分目に入ろうとした辺りで一斉に海面に顔を出し、黒くキラキラ光る両手一杯のウニをオカッパ頭の浜子が持つ木桶に次々に放り込んでは、再び海底へとダイブを繰り返した。
海底にいる間に鍵を使い「鮑」を取り息継ぎのために上がる時に、黒くて大きな「ウニ」を取って海面に顔を出すのは浜子たちの漁の仕方だ。
浜子達が沖でダイビングを繰り返している間に、海水浴を楽しむ街場の家族達は御弁当を楽しみ、歓喜する子供達から海の様子を口々に語っていた。
街場の家族連れが昼の休憩をとり、再び子供達に海水浴を楽しませていると、沖の方で「ピイィィィー!」と、ホイスルの音が聞こえ、沖の浜子達が一斉に陸へ進路を取った。
波打ち際へ辿り着いた浜子達は皆「グッタリ」としていて、誰一人として話す者なく、ひたすら作業をしていた。
腰にぶら下がって膨れあがった、黒々とした鮑の入った網袋の紐を解いて、砂の上に「ドサッ!」と、皆が置けば、それをオカッパの浜子が黒いチューブに結びつけ、全員分を結び終えると再びオカッパ頭の浜子だけが、山のようなウニの入った木桶を持って、身体をチューブにくぐらせ沖へと両足をバタ付かせ向かって行った。
その様子を波打ち際で並んで数分、見守るように腰を下ろして一休みしていた坊主頭の浜子達、突然「スクッ」と立ち上がると一斉に波打ち際を集落に向けて歩き出した。
異様な光景を見るように街場の親達が首を傾げ、その中の一人の母親が「ねぇ~ 君達~ 海水浴に来たんでしょ?」と、無言で歩く浜子達に少し大きな声で語りかけた。
すると波打ち際を歩く足を止めた浜子達が、一斉に声の主の方を振り向き「海水浴? なんだそれ?」と、浜子達が聞き返し再び歩き出すと、街場の子の母親が「遊びに来たんでしょ? ここに?」と、再び聞き返した。
その時の浜子達の「無表情」で、キツネに抓まれたような「唖然」とした顔が今も忘れらない………
※浜集落の浜子達には「漁」はあっても「遊び」と言う言葉も文化も存在しないことを街の人たちは知るよしもなかった。
※浜子達の獲った海の幸は、集落を訪れる街場の人たちに売られ、その対価は浜子達の家族の生活費に当てられていた。
※浜集落では大人も子供も生きるために「働く」のは自然で当たり前のことだった。
◆◆◆◆◆89話
穏やかな波打ち際、風一つなく白波も殆ど見えない早朝の4時過ぎ。
海に映る夜の暗さと山の草木の緑色は、凡そ日中とは比較にならない程に静寂さを保っていて、日中飛び交うカモメすらも、まだ寝入っているのだろうか。
静まり返った波打ち際に「ザク… ザク… ザク…」と、歩く人の足音に耳を澄ますと「ザクザク」の後から「シャァー チリチリチリ」と、何かを引き摺る音が俄かに混じる。
じっと音のする方に目を凝らせば、麦わら帽子に白い手拭の頬かむりが、何かを引き摺って波打ち際をゆっくりと動いているのが解かる。
歩いては立ち止まり、腰を屈めては何かを拾い、引き摺る「竹籠」にそれを放り込むのを繰り返す… 浜の船着場から凡そ1キロ、湾状の砂浜を独り歩く初老の浜人。
毎日繰り出される、街場からの大勢の海水浴客の心無い所業(ゴミ)を、独り拾い集める光景は人の業を戒めているようだった。
◆◆◆◆◆90話
セミの鳴き声が両手で押さえた耳の中で「みぃーんみんみぃー」と、聞こえるほどに「セミの鳴き声」が耳に着いて離れなくなった頃、一人また一人と見慣れぬ姿を見せる。
毎日のように続く夏の日差しで、集落の土も家も草木も大海原でさえもが、その暑さで「グッタリ」して見える。
街場から来たのか「ハイカラ」な衣服を纏った男女の若者達に「纏わり着くように」坊主頭やオカッパ頭の浜子たちが着かず離れずと言うところ。
そんな光景を微笑ましそうに口元を緩め行き交う浜人が「おぉ! すんばらぐだなぁ♪ ずんぶハイカラすてまってぇ、はあぁー♪」と、一人の女子衆(おなごしゅ)が、親しげに語りかけると、若者は「やぁ! こんにちは♪ ご無沙汰しております!」と、口元を「キリリ」とさせて、笑顔で会釈する。
すると、若者の声に釣られた周りの浜子たちが「やぁ! こんにちは♪ ご無沙汰しております!」と一斉に真似をしだし、真似された若者は後頭部に手を当て、恥ずかしそうに少し離れた場所で日傘を差している、スーツ姿の女性を「チラッ」と、見て白い歯を見せた。
そんな若者を回りで観察していた、浜子達が「わあぁーい♪ 赤くなったぁ! あげぐなったぁー♪ あははははは♪」と、若者の両手につかまり右へ左へとハシャギ回った。
麦わら帽子の女子衆が、若者に「おめでとうさん♪」と、笑み浮かべると、若者は小さな声で「まんずはぁー♪ どんも、どんも♪」と、女子衆へ耳打ちしたようだった。
集落から都会に出て行き夏休みで帰省した若者が、一瞬だけ集落の浜人(はまんど)に戻った瞬間だったようだ。
この日、集落の浜家では遅くまで笑い声が絶えることはなかったようだ……
いつの時代も彼女の前では格好つけたい若者なのだろうか……
今も聞こえて来る、あの若者の『やぁ! こんにちは♪ ご無沙汰しております!』と言う元気な会釈。
◆◆◆◆◆91話
無風… 限りなく無風の日中、浜集落に訪れる者は誰一人としてなく、空を飛び回るカモメやカラスでさえ、さの暑さから逃れるように木陰で身を伏る。
ゼンマイ仕掛けの時計が昼の10時を指し「ゴォーン! ゴォーン!」と、薄暗い居間の大黒柱で10回分の鐘を突き、直ぐに「カッチンコッチン、カッチンコッチン」と、振り子の音を手際よく奏で始める。
竹簾(スダレ)の隙間から入って欲しい風は無く、女子衆の外で大根を洗う水の音が幾許(いくばく)かの涼しさを醸し出し、パタパタと仰ぐウチワの風がいっそう涼しさを増す。
読み古した雑誌を持ち上げ、床に面した表紙に涼を求めるものの、直ぐに身体の熱で温まり胡坐座りの足の裏を、夏蝿が「コショコショ」と、くすぐり白いランニングシャツに汗がジワーっと滲む。
麦藁帽子を「ヒョイッ」と、頭に乗せて首に「豆絞り(てぬぐい)」を撒き付けると「カラ~ン… コロ~ン… カラ~ン… コロ~ン…」と、下駄を引き摺り、風の舞う場所を探すように港の見える場所へと足を伸ばす。
お日様の照り返しで、ギラギラする海面に反響したように、港の右側の砂浜で大歓声を上げる街ん子(まちのこ)達の賑やかな声が幾重にも重なり合って聞こえてくる。
赤や黄色や青に緑と、思い思いの水着を身に纏った街ん子達が、波打ち際に白い波しぶきを上げる… すると港の方から「よいっせぇ! よいっせぇ!」と、一艘の磯舟が白い旗を靡かせて、港の水面に「バシャッ! バシャッ!」と、艪漕ぐ音を響かせ、白い波を水面に浮かべた。
白い旗を靡かせた磯舟は「よいぃっせっ! よいぃっせっ!」と、港を出て右側の砂浜へ向かうと、人も居ない深みで艪漕ぎを止め「氷いぃぃぃー! 氷はいらんかえぇぇー! 冷たくて美味しい氷はいらんかえぇぇー!」と、数人の浜子達の声が、大歓声の街ん子の声を割るように響き渡った。
浜辺で日傘の下にいた大人達が、一人また一人と傘から出ては「おおぉぉーい! おおぉぉーい!」と、浜子達の船に手を振って声を掛けると、浜子達は「毎度ぉぉー!」と、威勢よく声を張り上げ、水と戯れる「街ん子」たちを上手に交わし、砂浜に船をつけた。
子供達の夏休みの過ごし方、いろいろあれど「これはこれで」いいのかも知れないと素直に思えた。
今はもう見ることのない浜集落の思い出……
◆◆◆◆◆92話
夏だと言うのに朝から空気は「ジメジメ」とし、カーテンの隙間から外を見れば小雨が夏の浜風に「ふわりふわり」と、舞い上がる。
薄暗い寝床を抜け、土間にぶら下がる竹蚊帳の隙間から外を眺めれば、明けたばかりの小雨の中に頭の上に笠を、全身を包むように蓑(みの)を纏った年寄りたちの姿が集落のアチコチに点々と。
集落の真ん中の左右に伸びる道路を、左に右にと誰と話す訳でもなく只管歩み始める。
カマの入った竹籠を背負い、豆絞り(てぬぐい)が顔を覆い左右の集落の外れへと年寄り達は姿を消し去った。
竹蚊帳の隙間から入った小雨が土間の表面に舞い降りて、乾いた土の表面に馴染むことなく点々と気泡のように二つ三つ互いに寄り添う。
ゼンマイ仕掛けの時計は朝の五時を指し、日捲りの暦(こよみ)を見て「あぁ、もうそんな時期か…」と、1枚捲り鼻をかむ。
お日様が出る頃、小雨も早々に引き上げると集落から離れて行った年寄り達が、一人また一人と竹籠の中に瑞々しい大きな緑の葉を幾重にも重ね戻って来る。
家を出て「ぶらり」と、集落の中に歩みを進めれば、朝だと言うのにアチコチの家々の窓から、白い湯気と「コンコンコン」と、言うまな板の音… 女子衆(おなごしゅ)達が騒々しく家を出たり入ったり。
集落を港の見える場所まで下駄の音を「カランコロ~ン… カランコロ~ン…」と引き摺り、船着場を見るものの人の気配は何処にも見当たらない。
浜を見ながら一服(タバコ)吸えば白い煙が天に吸い込まれるように舞い上がっては消えるを繰り返す。
日の光が満遍なく集落と周囲の山と海を包む頃、アチコチから「カラ~ン… コロ~ン…」と、小さな下駄の音が聞こえ、音の方に目を向ければ、白地に花模様の浴衣を着た「オカッパと坊主頭の浜子」達が、手に手に四角い風呂敷包みを「重そうに抱え」ながら、左右に伸びる道路へと集まってきていた。
浴衣姿で無表情で無言の浜子達の後ろから、浜人達が無表情で無言のまま着いて来ると、左側の集落の外れへと「カラ~ン… コロ~ン…」と、一斉に下駄の音を重ね歩いた。
浜集落の外れに向かった浜人(はまんど)達は大人も子供も皆、無口で無表情のまま集落の外れから更に前へ前へと足並みを揃えた。
右側に青々とした海を見ながら、歩くこと15分ほどすると、浜人たちは道路から「ヒョイ」と、右側の切り開かれた山道へと入り木で出来た階段をのぼりはじめた。
階段を上り平らになっても、更に無口で無表情のまま突き進む… 道幅六尺ほどの左右に大人の胸ほどの草木が道の端を浜人達に教える。
朝方の小雨のせいで抜かるんだ、黒土の上を「ピチャピチャ」と、何十、何百もの下駄が音を漂わせ、その音は左右の草木に吸い込まれて行く。
街の小さな公園ほどの敷地に辿りつくと、浜人達は大人も子供も散らばって風呂敷を解いて中から重箱を出すと、朝方年寄り達が山から集めてきた虎杖(いたどり)の葉を皿に見立てて、重箱の中から海や山で採れた材料で作った「煮しめ」を盛り付け、一同に手を合わせた。
一瞬、静まりかえった敷地の中に、突然浜子たちの「うわあぁぁー♪ 重たかったべー♪ あっひゃひゃひゃー♪」と、大歓声が上がり、若(じゃく)から老(ろう)の男衆は酒を出し「まんず今年も無事に会いにこれたでー♪」と、歓喜して見せ酒を酌み交わし、女子衆は料理に握り飯を用意して「おどー! ばば! 一緒にまんま(ごはん)食うべー♪」と、笑顔っを見せた。
八月十三日、一年に一度、御先祖様と浜人達が一同に墓の前で語らい、酒を飲み飯を食う墓参りは、墓に着くまで「何人たりとも喋ってはならない」と言う「掟」通りに、この年も無事に守られた。
ある浜子は墓の後ろから「爺(じじ)肩さもんでやっからなぁー♪」と、抱き付いて見せ、ある浜子は「婆(ばば)御馳走(ごっつぉ)一緒に食うべ~♪」と、墓に押し付けると、家族が「おいおい、そこは顔でねぇーべー♪ そこだら胸の辺りだぁー♪ あっははははは♪」と、酒を飲み大笑いした。
この日は皆、どんなことがあっても敢えて楽しげに振る舞い「御先祖様」に喜んでもらうために、思い思いに話しの種を何日も前から作って語りかける集落の行事だった。
今もこの風習は存在していて欲しいと心から願う……
※子供達は学校や勉強の話し、大人達は漁の話しをして語りかけ、女達は畑の作物の話しや親戚の縁談や恋愛の話しを聞かせた。
※その光景はまるで本当にそこに亡くなった人が存在するかのような口ぶりである。
◆◆◆◆◆93話
いつものように下駄を履き家を出て、集落の上の方へと歩き出す… 夏休みで閑散としている学校を見上げるように広がる小さなグランド。
グランドを囲むポプラの木々が陽を遮るようにグランドに影を伸ばし、その部分に涼しさを求めるように虫達が羽を休め、黒いカラスは忍者のように身を潜める。
長さ50メートる満たないグランドは、周囲を囲むポプラの木々の間に「ポツンポツン」と、大人の腰丈ほどの杭が打ち込まれ、周囲を艫綱(ともづな)が囲む。
時折、浜風に乗って海水浴を楽しむ子供達の声がグランドに舞い、空を見上げると白い大きな雲が風に乗って海原から山の頂上へと消えて行く。
グランドの端から校門を目指して歩み、階段を挟む四角い石で出来た門の前にに立ち上半身だけを覆い被せると、俄かに声にでる「うぅぅぅーん♪ 涼しい♪」と言う一言。
ギンギンと強い日差しの下で唯一涼しさを保ち続ける、四つ角の四角い石の二つの門は、今までどれ程の人たちに抱きしめられたことか、考えると楽しくなって来る。
火照った身体も汗引くほどに治まって、少し離れたポプラの太い幹に背凭れすれば、一人また一人と階段を上って来ては「うああぁぁー♪ ずぅーんぶ、すんずすぅぅーなぁぁ~♪」と、気持ち良さそうな声を出しては帰って行く。
ポプラの陽影に身を潜めるカラス達も訪れる人間を見ながら、ポプラの日陰に羽を「スリスリ」していたのを覚えている。
◆◆◆◆◆94話
今朝はいつもと少し違う空気が集落に流れていた……
集落から突き出た半島の上を覆う雑木林が伐採され地肌が見え、数日前とは景観も夏だと言うのに寒々しかった。
御神木を切り倒して「祟り」があるぞと騒ぐ者、新しい時代が来ると浮き足立って歓喜する者、集落では何度も議論を繰り返し、役場の提案を受けいるか否かに時間を費やしてきていた。
半島にただ一つ残った火の見櫓が、遠く離れた役場に雇われた大勢の普請(どぼく)方の人たちに取り壊されようと、朝から「けたたましい」音を社裏区の隅々に響かせていた。
集落の外れでは「地蔵様」に手を合わせて許しを乞う年老いた女子衆や、海を傾斜地から眺める神社に参拝する年老いた男たちの姿が遠くから見える。
若い浜人達は船着場に繋がれた発動機(ふね)の上で「これがら~ どうなるんだぁ~?」と、岬の上で壊される火の見櫓を見上げては、神社の方へと首を捻って見渡す。
岬で手に道具を持って働く普請方の周りを「南無妙法蓮華経」と、合掌して拝み歩く年老いた男衆と女子衆たちに「大丈夫だはんでぇ! すんぱいするなぁ!」と、作り笑顔で話しかける捻り鉢巻の普請方の人達。
港に繋がれた大きな機械や資材を積んだ貨物船がユラユラと波に揺れ、そこから馬車で荷物を運搬しては戻る馬車と、荷物を積んだ馬車が集落で行き交う。
狭くデコボコした道で数人の普請方の人達が「合図」を、取り合っては大声を集落に響かせ、真剣な表情が馬にも伝わったのか馬の吐息にも力が入る。
岬に向かう途中には何本もの電柱が立てられ、馬車の通る道の端に大勢の電気業者が集い、立ち上る土ぼこりに顔を顰める。
岬の中央では手を休めることなく普請方が黙々と土を掘り、その横で大きな丸太で出来た「タコ」を数人がかりで「よいせぇー! ドスン! よいせー! ドスン!」と、地固めに気合を込める。
草を刈る者、木々の根を馬を使って引き抜く者、セメントと砂を混ぜ合わせる者と、集落の人口の10倍近い人たちが一斉に額から汗を流す。
白かったシャツは次第に土で汚れ、立ち上っていた土ぼこりは落ちた汗で、湿り気を帯て水を撒いたようになり、それを案ずるかのような空をトンビがクルリと輪を描く。
浜辺から聞こえる海水客の大歓声が風に流れて、普請方の耳に入れば一斉に浜辺を向いた日焼けした顔に笑顔が零れた……
◆◆◆◆◆95話
伐採されて裸になった岬の向こうには、今まで集落からは見えなかった青々とした水平線が見え、その手前には大勢の労働者の白いシャツがうごめいている。
天高く上っていた太陽が海に沈む時、青々としていた大海原を太陽が真赤に染め、伐採された御神体から流れ出た血の色だと年寄り達は、地蔵様へそして神社へと駆け寄った。
毎日のように繰り返される「岬」の工事は、少しずつ集落に「明」と「暗」を見せつけ、年寄り達の神仏を拝む声は衰えることはなかった。
港には岬の「出来事」を一目見ようとアチコチの港から漁師達が「発動機(ふね)」を出し、普段は静かな船着場も大勢の漁師達で賑わった。
御神木に守られていた畑は「潮風」に晒され、その緑色の葉を「辛子色」に変え、少ない土地を耕す浜人(はまんど)達の目頭を熱くさせ、その傍らで左右に広がる大海原の景観に「はしゃぐ」浜子達の姿。
今まで御神木が夕日を遮り、早々と集落を「夜」に導いていたものの、岬の工事は集落に「昼間」の長さを教えるように夕日を集落に伝えた。
柱時計が夕方の六時を回ったと言うのに、竹蚊帳の外からは真っ赤な夕日が家中を照らし、その眩しさから逃げるように背中を向け「ラジオ」に耳を傾ける。
港ではアチコチから集まった漁師達の「発動機(ふね)」が煌々と灯りを燈し、船着場ではその灯りを頼りに岬で働いた労働者たちは、桟橋の上に円を描き遅い夕飯と水風呂で汗を流した。
仏壇に手を合わせ「南無阿弥陀仏… 南無阿弥陀仏…」と、拝む婆様を横目に、生まれて初めて見る家中に入る夕日を、浜子を抱き寄せて見入る女子衆(ははおや)の複雑な表情。
毎日、手を休めず仏壇を拝み続ける年寄り達の心を少しでも癒そうと、隣街から呼び寄せた寺の住職(ぼうさま)が、沈む夕日に一礼し御仏の「心」を説いて回る日が続いた。
岬の工事が進む中、年寄り達の心も住職(ぼうさま)の説きの御蔭で、日に日に笑顔を取り戻し工事が終わった日の夕方、住職と浜人たちは一同に学校の校庭に集まり、沈む夕日と切り倒された御神木に祈りを捧げた。
岬に聳え立ち灯りを大海原に届ける「灯台」を、見守るかのように横一列に並んだ「御神木」で作られた「木地蔵(もくじぞう)」も、水平線に沈む夕日を眩しそうに見つめていた。
その後、枯れ果てた畑には潮風に強い作物が植えられ、岬は緑一色で覆われた……
◆◆◆◆◆96話(上)
毎夜のごとく集落外れにある集会所は大賑わいになっていた… 灯台の灯りを頼りに漁から戻った漁師達は「晩餉(ばんげ)」も取らずに、手に酒とツマミを持っては集会所を訪れた。
電気の開通した浜集落にやって来た「テレビジョン」と言う箱の中で、人間が踊ったり歌ったりと摩訶不思議な物を見ようと、使われなくなった「廃屋」の集会所は普段とは違う活気に満ちていた。
縦三尺半に横四尺半のズッシリとした木目の箱に四本の足が付いていて、その重みは床に敷かれた畳に刺さるように沈んでいる。
その大きな箱の中央部に縦横一尺ほどの「丸みを帯びた四角い窓」がついていて、その窓の下に「ホーン」とローマ字で記された音の出る箇所がある。
集落の一軒一軒が銭を出し合い、不足分を町役場が補填する形で、町外れの集落にやって来たと言う四本足のテレビジョンは真空管式で、見たい時間の三十分ほど前から電源を入れて置かないと見れないものであった。
そのため飯も食わんと漁師達が集まる集会所には「テレビ番・電気番」と言う、名称で集落の一軒ずつが交代でそれを担い、漁から戻った漁師達が直ぐに見れるようにとのことだった。
集落にテレビジョンが来たことで、集落にはそれまで無かった「番」が増えることになって行った… 街から遠く離れた集落は電波の受信感度が酷いほど悪く、標高数百メートルの裏山の天辺に中継アンテナが聳え立ち、風が吹いては支える丸太が折れ、雨が降ったと言えば支柱の足元が崩れ落ちると言う具合だった。
そこで出来たのが「アンテナ番」だった… 腕っ節の強い男衆が交代で務めるアンテナ番は、風が強く漁に出れない男衆専任の番人で、雨風が乱れ狂う夕方から山に登り道具を手にアンテナの倒壊を防いでいた。
そしてテレビを見れなかった番人には酒が一升与えられ、その酒を片手に別の日に他の漁師達とテレビの前で、酌み交わしながら摩訶不思議な光景に目を細めていた。
テレビの前には漁師の他に、男衆や女子衆と商売家業に関係なく、皆が集いテレビの前に横一列に並んだ、左から「テレビ番・掃除番・前日のアンテナ番」と、その家族が優先でテレビの前を埋め、それを囲むように大勢の浜人がテレビに見入っていた。
テレビの画面(まど)が明るくなったと言っては「うわあぁぁー♪ パチパチパチ♪」と、拍手が沸き起こり、画面に人の顔が出たと言っては「でだあぁー! でだでだでだあぁー!」と、大喜びの光景だった。
番組の予定表の無いこの集落に最後に登場したのが「物書き番」で、物書き番は時間と曜日の記された「帳面(ノート)」に、事細かく映った番組名と出演者を書き留める役目であり、主に初老の男衆がされを担っていた。
初老の男衆の帳面には、縦横に仕切られた筆で書かれた線の中に、ビッシリと内容が埋め尽くされていたが、その字は浜子(こども)には難し過ぎて読める者おらず、テレビ帳面は集会所のテレビの上に誰でもが見れるように置かれていた。
◆◆◆◆◆97話(下)
集落に一台しか無いテレビジョンは、まるで街の映画館のように毎日大盛況していた。
昼間は浜子(はまご)達と母親や老婆たち、夜は漁から戻った漁師や男衆たちと、文明がもたらした一つの「灯り」は、浜集落に希望の光を届けた。
岬の灯台に大空を照らす時「ドコドコドコドコ…」と、発動機(ふね)の機関音がアチコチから聞こえ、船着場に集まる男衆たちは、発動機を待つあいだ腕組みしては前夜の番組を語り合い、後ろを振り返って集落に灯された電球の明かりに「ホッ」と笑みを浮かべる。
足元に詰まれた木箱の山に寄りかかり「はえぐ見にいきてぇーなぁー♪」と、近付く発動機の音を目で追いながら、荷車と箱の間を行ったり来たりを繰り返す。
発動機が港に入れば普段でも活気付く港は、テレビジョン見たさに「更」に活気付き、魚を買い付けに来た街場の商家たちから「急げー!」とばかりに掛け声が掛かった。
少し前までは夜ともなれば、買い付け商家も数少なかったが、集落に「電気」が届いてからと言うもの、道を照らす電柱の明かりでその数は何倍にも膨れ上がった。
朝獲れる魚は商売用、夜獲れる魚は自家用と区別していた集落にとって、文明の力である「電気」は様々な人たちに様々な形でその恩恵を与えた。
集落の道路に止められ闇夜に溶け込んでいた「大型トラック」も、今では街灯の明かりでその存在感を昼夜を問わず見せつけ、集落は港だけでなく住む者全てを活気へと導いていた。
港からデコボコした細い道を荷車引いて歩む馬達、それを待てないとばかりにトラックの荷台から「そりゃぁ!」と、飛び降りて荷車の後ろを「よいせっ! よいせっ!」と、掛け声かけて押す運転手達。
その荷車の少し後を「ザッザッザッ!」と、まるで兵隊さんのように足踏み揃える「ゴム靴」の音は、トラックへ近付くと「おぉーい! いぐどおぅー!」と、トラックの荷台で忙しく動き回る運転手と馬車主に伝えられ、兵隊のような足音に少し遅れて「ザッザッザッ!」と、追い付けとばかりに跡を追う。
集落の集会所は瞬く間に人集りで溢れ、家々から持ち寄られた「酒と番餉(ばんげ)」に、漁師も馬車主もトラックの運転手も「まってましたぁー♪」と、大歓声が沸き起こった。
夜の九時、商家に頼まれて来たトラックは、地響きを立て集落を離れ、後に残った馬車主と漁師達の目は「爛々」と輝き、物書き番が書いた「帳面(ちょうめん)」に釘付けになった。
浜子(はまご)達の読めない難しい字で書かれた帳面に群がる男衆、女子衆が帰ったのを見届けると「頬をニンマリ」とさせ、テレビジョンの前に座る。
白黒のテレビジョンに映し出された映像には「膝下を出したスカート姿の女性」が、たって何かを朗読していたようだったが、それを見るや否や「よっ! 待ってましたぁ!」と、男衆から歓声が巻き起こった。
この当時、女性が素足を見せることの少なかった時代、テレビジョンに映った女性の素足が見たくて胸をワクワクさせる男衆の目は皆「爛々」と、輝いていた。
そして不思議なことに、集落にテレビジョンが来てからと言うもの、アチコチでは「おめでた」が相次いで報告されたと言う。
この後、テレビジョンは普及し数軒で「共同購入」が立ち上がり、今年は何処の家、来年は何処の家と言う具合に、テレビジョンは家々を回って歩いたと言う。
◆◆◆◆◆98話
セミの泣き声と入れ替わるように、砂浜を埋め尽くした海水浴客の姿も少なくなり「夏も終わりか…」と、暑さを懐かしむかのように自然と陽のあたる場所へと足が向く。
山々は夏の終わりも感じられないほどに緑一色に覆われているものの、空を見上げれば青々していた色が少し和らいだように思え、視線を海に向ければ浜から漂う潮風が少しだけ濃く(つよく)感じる。
午前10時をゼンマイ式の腕時計が指した時、下の砂浜から立ち上げる「浜焼き」の煙が、一本また一本と数を増やし数キロにも及ぶ砂浜には黒とも白とも付かぬ煙の柱が空に届けとばかりに勢いを見せる。
砂浜の見える場所へ少し歩みよれば「煙柱」の回りに、麦藁帽子が幾つも上へ下へ右へ左へと動き回り、馬橇(ばそり)の後ろに取り付けられた「犂(すき)」が、砂浜を掘り起こしている。
山里の畑で見る光景が、浜集落の砂浜に不思議な光景を醸し出していた。
※浜焼き
夏の終わりに海水浴客が残して行ったゴミを、馬と犂(すき)を使い砂を掘り起こし、周囲から集められた流木と一緒に燃やす行事で、単なるゴミ焼きとは意味の異なる浜集落ならではの行い。
この浜焼きを夏の終わりとして秋を迎える準備にはいる。
◆◆◆◆◆99話
白い足袋(たび)に白いタイツ、半ズボンにランニングシャツ、頭の上には外が白く内側が赤い帽子、盆を終え、漁も一段落した浜集落に遅い運動会の季節がやってきた。
木造平屋の校舎から下へと続く傾斜地の松林の下、街の学校のグラウンドの半分にも満たない小さなグラウンドに、白線が引かれグラウンドの内側に紅白で撒かれた丸太が四本、内と外の区切りを示す。
夏の暑さが未だ残る中、乾いた土煙が風に舞い小さなグラウンドの外側に敷かれたムシロの上を右往左往する。 黄金色に輝くムシロは、この時とばかりに「山里」の香りを「藁(わら)」に替えて浜集落に伝える。
港で使うムシロと違い、厚みのある優しい肌触りの「ムシロ」から、遠く離れた山里の温もりが、運動会の始まるのを今か今かと待ちわびる浜人(はまんど)達の足元に伝えられる。
グラウンド中央に聳え立つ数メートルの「マスト」は、港の漁船から借り受けた「ラッパ(スピーカー)」付きの丸太、そして真新しく塗られた白いペンキがその匂いを辺りに漂わせる。
灰色の作業スボンにゴム長靴を履いた「教職員(せんせいさま)」達の顔から「ピリピリ」と緊張感が走り、見守る観客と行進のために並んだ児童生徒たちに伝わる。
グラウンドの外側に居る観客たちに、運動会の手順表(わら半紙)を配る、隣り街の学校から駆けつけてくれた「モンペ姿」の女性教職員に、丁重に感謝を表す浜人達にも「ホッ」と、緊張感の取れる一時(ひととき)である。
厳しい表情の教職員と校長を前に、帽子をかぶった坊主頭やオカッパ頭の浜子達が決められた通りに整列し、厳しい顔で演壇を見詰めれば、離れた街場から来た町長さんや役場の迎賓の話しを、延々一時間以上聞かされ、次々に演壇に駆け上がる漁業関係者や警察関係者、そして最後は校長先生へと話しは繋がり、二時間近く立っている浜子たちは「ピクリ」とも動かず息を殺している。
グラウンドを囲む観客達は静まり返り、ひたすらマストから聞こえる迎賓や関係者の話しに聞き入り、誰一人として茶化す者おらず、別のマストに国旗が掲揚されると、グラウンドの観客から「うおぉぉー! パチパチパチ」と、盛大な拍手が沸き起こり運動会は開催された。
隣り街から掛け付けた女性教職員の美しい声が、マストのラッパから観客達に種目を伝えると、ここぞとばかりに正座していた男衆達が膝たちして「うおぉぉぉー! パチパチパチ!」と、盛り上がりを見せ、周囲からは「ドッ!」と、笑い声が上がり華々しく運動会は幕を上げた。
次々に種目が繰り広げられる中、小さな浜集落の運動会を盛り上げようと、集落の両側に延びる道から、土煙を上げ荷台に人を大勢乗せたダンプカーが何台も「ゴゴゴゴォー!」と、地響きを立て迫って来るのが見える。
小さな浜集落の小さな運動会は大勢の観客の見守る中で、大人も子供も先生達や様々な関係者を巻き込んだ大運動会へとなった。
グラウンドに鳴り響く「行進曲」に乗せて「パァーン! パァーン!」と、スタートガンが鳴って白い火薬の煙を上げ、辺りにマッチを擦ったような匂いが起ちこめる。
赤組と白組に分かれた浜子達も練習の成果を見せようと、顔をしかめて頑張る姿を見せれば「孫の晴れ舞台とばかりに」涙ぐむ老婆が豆絞りで顔を覆い、足を滑らせ浜子が転べば「頑張れー! けっぱれぇぇー!」と、周囲から熱い応援の声が天を貫く。
転倒し悔しさに涙を見せる浜子達に「よぐ、頑張ったどぉー!」と、男衆からも女子衆からも労いの声が浜子達にかけられ、大きな「赤チン(くすり)」の入った薬箱を持ち「もんぺ姿」の一人の女性が手当てに向かった。
隣り街から応援に駆けつけた診療所の看護婦さんも、また額に鉢巻を結び真剣な表情で浜子達の傷の手当に追われていた。
こうして、小さな浜集落の大運動会は進められて行く………
◆◆◆◆◆100話
青く黒々した大海原を鉈(なた)で切ったように、白い波しぶきを跳ね付けて進む漁船団。 色とりどりの大漁旗を風に揺らせ、マストの喇叭(スピーカー)から「ドンドドドドンドドド!」と、和太鼓の音が流れ、横笛の「ピィープゥーピィー」の細く澄んだ音色に重なるように「神主」の祈りが、逆巻く波の溶け込み、そして風に舞いながら天を目指す。
浜里の年に一度の「大漁祈願祭」は、船の内と外から普段の垢を何日も掛けて洗い流した後「ピィーガガガ! ピィーガガガ!」と、互いに無線で仲間と交信しながら「神主」の乗る先導船に何艘もの船が連なる。
青い大海原に浮く白い船から、時折「ドドドドドオォォーン!」と、神主の祈りに続けとばかりに、真っ黒い煙が轟音と共に天に向けられ「乗り子(おきゃく)」達から、一斉に「うわあぁぁーい!」と、大歓声が巻き起こる。
先導船からの「機関全開」の合図を受けると、船達は一斉に北へ西へ南に東へと進路を変え、逆巻く波に船首を数メートル乗り上げれば「乗り子」達から「うわあぁぁー! きえぇぇー!」と、大歓声、そして船首が数メートル下へと「一気に」落ちれば「ひょぉぉー! うわあぁぁー!」と、乗り子達の船に掴まる手に力がこもる。
大揺れに揺れる船の上、大勢の乗り子の人数を数え、漁師は無線で「おらの発動機さぁー! 今年は8人乗せたぞぉ! これで来年は豊漁だぞぉー!」と、仲間達に伝えれば「いやいや! なんの! オラのとこだって7人乗せてるぞぉ!」と、仲間から無線がアチコチで飛び交い、その「自慢試合」に、耳を傾ける乗り子たちから「パチパチパチ!」と、大きな拍手が沸き起こった。
神主の祈りと太鼓や横笛の音色の中、船達の「自慢試合」が繰り広げられ、中には「あいやぁ! までまでぇー! オラのとこは二人しかいねーども! 村長さんと町長さんがきってからのおぉー!」と、鼻を膨らませる何処かの漁師の声に「おぉぉー!」と、一斉に驚きの声が無線から辺りに漂う。
船のマストのスピカーからアチコチの乗り子たちの大歓声と、漁師たちの自慢試合が三十分ほど続いた後、神主の乗った先導船から連なる船達に「ドオンッ! ドドドン! ドドドンッ!」と、太鼓の合図が入ると、突然船達は一斉に機関を静まらせた。
大海原で渦巻くように先導船が大きな円を描きながら、ゆっくりと進めば、その後ろから二番船、三番船と船達は後を追うように渦巻きの形を取り、誘導船を中心に大きな渦巻きが完成すると、先導船の神主は太鼓と横笛の音色の中「かしこみ、かしこみ申すうぅー!」と、シャクを両手に大海原に頭を下げれば、漁師も乗り子も一堂に船の上に立ち上がり、神主が「来年の豊漁とぉー 山里の豊作おぉー 浜の神に対したてまつりぃー かしこみ祈願申し上げまするぅー!」と、船の上から樽酒を海原の神に小さな柄杓で何度も供えた後、船の上に積まれた「大根」を両手に持ち、天にかざして右へ左へと軽く振り、大根を真横に両手の平に置いて頭を深々と下げた。
神主は大根を「海の神」に、里人からのお供えと伝えると、静かに海へと大根を供え「里ありてぇ! 浜、栄え! 浜ありてぇ! 里、栄えまするにぃー かしこみ、かしこみ豊漁、豊作の祈願申し上げまするうぅー!」と、神妙な面持ちで海に頭を下げると、船に乗った漁師も乗り子たちも一斉に頭を深々と下げ祈りを捧げた。
この日、遥々(はるばる)浜里に来た「山里の山人(やまんど)」達は、浜里の大漁祈願祭の船に「山里の代表」として「乗り子」となって参加し、浜と山の栄えを皆と共に祈願し、里人たちは心の中でやがて来る厳しい冬が、浜神様のおこす浜風で和らぎますようにと合掌を繰り返した。
浜人(はまんど)は山里の豊作を、山人(やまんど)は浜里の豊漁を互いに神様に祈願し、浜の大漁祈願祭は幕を閉じた。
浜集落は山里から運ばれた色鮮やかな山の恵みに笑み浮かべ、そして山人たちも海の恵みに笑みを浮かべ、やがて来るであろう厳しい冬を乗り越えるべく神社の中で、神様ともども無礼講の酒を酌み交わした。
目を閉じれば今も蘇る、大漁祈願祭の終わり大海原の船の上で酒盛りを楽しむ、浜人と山人の乗り子の笑い声、そして当時流行っていた流行歌がマストのスピーカーから「コッココココケッコォー♪ コッコココケッコォー♪ 私はミネソタの卵売りぃー♪ 私は街中の人気者ぉー♪」と、一艘の船がラジオから流れる音をスピーカーに出すと、一斉に別の船達もスピーカーから同じ曲が流された。
凍りついた山の木々の割れる音が「カァーン! カァーン!」と、耳の奥深くにコダマし、閉じた瞼の内側に真っ赤に沈む夕焼けが蘇る。
こうして山里の険しい森の中に住む「天狗様」の旅の話しは終わりを告げた。
完結
2019年7月5日金曜日
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